「日常系」について
「日常系」と呼ばれる作品群について書きます。
「日常系」の定義はあいまいですが、おおむね「劇的な物語展開がなく、登場人物の代わり映えのない日常が描写され続ける作品」という風にまとめられるように思います。『あずまんが大王』がその端緒として言及されることが多く、具体的にどの作品が該当するかについて議論はあれど、代表的な作品として『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』『けいおん!』『ご注文はうさぎですか?』などが挙げられます。
「中身がない」と揶揄されることもあることもあるこのジャンルについて、ここではその積極的な意義について書いてみたいと思います。
「日常系」の定義は「劇的な物語展開がないこと」とされていますが、まずはこの「物語」という言葉についてまとめます。まず、あらゆる物語は「日常⇒非日常⇒日常」という構造で捉えることが可能です。ある事象が物語られるということは、その事象は物語られる価値があるということ、通常ではない要素があるということです。よって物語は「その事象が起こる以前は通常どんな状態であったか⇒どんな事象が起こったか⇒その事象が起こった後はどんな状態に落ち着いたか」という形で語られます。「継母にいじめられていた⇒舞踏会で王子様に見初められ、ガラスの靴を頼りに王子様に見つけられた⇒王子様と幸せに暮らした。」といった具合です。なお、シンデレラもそうですが、多くの物語は、事象の前後にある日常は異なったものとなる場合が多いです。非日常的な体験を経た主人公が、より良い環境で暮らしたり精神的に成長したりなど、以前とは異なる日常に落ち着くというのが、典型的な物語の構造です。
ここで重要な点は、「日常には変化がない」ということが前提とされていることです。物語は、「通常はこんな風であり続けるはずなのに、それに反するこんな出来事があった」という形をとります。
しかしながら、「日常は変化がなく続くもの」という前提はまったく自明ではありません。ひとたび震災や感染症が起こると昨日までの日常は簡単に一変します。世界はそもそもがでたらめな無秩序(カオス)なのです。
そんな世界の中に生きて、しかし人間はなんとか、より安定的に生存を続けていこうと試みました。その結果として創られたのが、社会と呼ばれる秩序(コスモス)です。明日には何が起こるかわからない無秩序の猛威の中に、膨大な努力を費やして、昨日と今日と明日とが恒常的に続いていくような生活領域を生み出し、維持しているのです。「日常は変わらず続いていくもの」という前提は、この血のにじむような努力に支えられて成立しているものです。
しかしながら、人間とは不幸なもので、そのように頑張って頑張って維持している社会の中で、代わり映えのない日常を過ごしているうちに、「日常とは変化のないもの」という考えを本気にし始めます。すると何が起こるかというと、「日常とは当然変わらずに続いていくはずなのに、なんで自分は毎日こんなに苦労しているんだ」と疑問を覚えるのです。世界は無秩序なのだと思い知っていてこそ社会=秩序の維持に意義を感じられるところ、秩序を当然のものと感じてしまうとそれを維持していく動機が失われ、虚しさを感じ始めてしまうのです。
この虚しさを解消するための試みは色々とありますが、「物語を楽しむこと」もそのひとつです。物語を通して非日常を追体験することで、「日常が続いていくことは当然ではなかったのだ」という感覚を覚えなおし、秩序維持の動機をふたたび手にするわけです。
ここで、現代の資本主義社会とはどのような社会であるかに話を移します。現代社会は「昨日までにない新しい価値」の創出を至上の目的に据えている社会です。経済の成長や発展というものを、社会を挙げての第一の目標としており、みんなが「昨日までにない新しい価値」の創出に必死になっている、またならざるを得ないような厳しい競争にさらされています。
このように「昨日までにない新しい価値」をみんなが躍起になって創ろうとし、また実際に創り出され続けている社会では、当然生活の在り方も刻一刻と変わっていきます。「昨日までにない」何かが次々と生み出される以上、明日の社会がどのようなものになるかは誰にも確実な予想ができません。ここが問題の核心です。すなわち、明日には何が起こるか分からない無秩序を回避するために社会を生み出したにも関わらず、現代社会を生きる私たちは、社会の中にありながら、明日には何が起こるか分からないという不安に苛まれているのです。
ここに至って、人々がフィクションに求める要素は逆転します。昨日と今日と明日とが変わらないという虚しさに悩まされた人々は、物語の中で非日常を追体験することで、秩序の中を生きていく動機を取り戻していました。これに対し、明日には何が起こるか分からないという不安に悩まされる人々は、代わり映えのない日常が穏やかに続いていく様子にこそ、慰めを見出しているのです。
「日常系」作品の代表のひとつとされる『けいおん!』、そのアニメのOPテーマソングであった『Utauyo!!MIRACLE』より、歌詞の一部を引用します。
「今日は昨日みたい? 明日は今日みたい? 大丈夫大丈夫楽しかったら大正解」
「日常系」とは、失われつつある「代わり映えのない日常」を賛美し、また希求する諸作品を指すのです。