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ゆうめい『ハートランド』
東京芸術劇場シアターイーストでゆうめい「ハートランド」を観に行く。
ゆうめいの演劇を観るのはもちろんはじめて、どんな作品を出している団体なのかも、予備知識もなんにもない状態で向かった。
鑑賞し終えて、
あれ?
この結末は、、?
あれ?回収されていないものがいっぱい、、?
結構混乱が混乱を招んでいる。(今芸術劇場前のPRONTでこれを打っています)
Twitterで、これはどういう意味だったんだ?
を書いている人いるかなあ、なんて思ったのですが、あんまりいないので、自分で噛み砕けってことですよねやっぱり。
※※※※
「自分で体験しないのは、体験した人に失礼だよ」
映画をつくる。作品をつくる。その際には、自分の記憶を使うこともあれば、人の記憶を使うこともある。
”何十人何十年もの体験を数時間でまとめて演出し発表していました”
当パンにそう書いてある。
その何十人、何十年分もの記憶、感情、現実を
わたし達は美味しい、おいしいと消費する。
やっぱり生モノにかぎるよね
非現実的な思考、世界よりも、やっぱり
そんなふうに、作り込まれた、綺麗な現実を私たちは「現実」と呼んで日々過ごしている。
一方で、作り込まれた世界。
・羽瀬川のアトリエ
・ユアンのバーチャル駆け込み寺
この舞台上で、現実をフェイクにすることなく、与え、受け止めることができるのは、こっちだったのかもしれない。
VRの映像は映し出されないので、自分で想像するしかない
自分の記憶を使って、人それぞれのメタバースの世界を想像する。
だからよりリアルに感じられる、の、かも。
※※※※
この加害者、だれでもなりうるわ。
わたしも加害者になりうる。っていうか、確実にやっているわ。
そう思うと、心臓がずしぃ、っと重たくなる。
丁寧に置かれたスマートフォンたち
ノーン以外のスマホは、一体どこで見つかったスマホだったのだろう
骨の髄までしゃぶり尽くされた人たちの最後の存在場所。
そこがユアンの駆け込み寺だったのであろう。
どちらにもならないように、自分のことは自分で理解して、自分で守らなきゃ、、と思うのです。