今を超えて明日へ行くための感想
シャニマス 6th live tour 横浜公演の感想です。
序論
少し遅くなりましたが、シャニマス 6th live tour 横浜を見て感じたことを少しでも語ってみたいと思います。
実は私はシャニマスのライブの中でユニットで出るライブの現場に参加するのはこれが初めてでした。 ゲームやライブは昔からやっていて、見ていましたが韓国に住んでいるのでコロナの時期には日本に行けず、道が開けた時に初めて行くことになったライブはMOIW2023の合同ライブでした。そして我儘なままにも両日現場に参加することができましたが、 シャニマスの5thや5.5周年と二次元フェス、大阪公演は大学の試験や金銭的な理由などで行けませんでした。
結局、現場に参加できたシャニマスライブは’我儘なまま’、でもこの公演では劇中劇の形をしていたので、シャニマスの世界観での円香を、そしてノクチルを完全には見られなかったと思います。 つまり、今回のシャニマス6thライブ横浜公演が私にとっては初めてノクチルを直接見ることができた機会でした。 そして彼女たちはそこに、そのままいてくれて、私は彼女たちを見て、感じることができました。 そんなライブ初心者の下手な感想だと思っていただき、読んでいただければ幸いです。
Day1
Reflection
初めて見ることになったノクチルの姿。
個人的にノクチルの今回のCANVAS曲は、変化を持ったノクチルの姿をそのまま見せる非常に重要な意味を持つと思います。 最初はアイドルをする理由も、目的も明確ではなかったので透明だったノクチルが今はそれぞれ自らの道を歩き始め、自分の色を強く探していく成長、そして自分の色で周りを染めるようになるその成長がそのまま感じられる歌です。
私個人としては初めてノクチルを直接感じるようになった瞬間としても、とても重く感じられました。 この数年間、コミュを見て、解釈して自分勝手に感じていたノクチルがその場所にいた。 今までの配信では絶対に感じられなかったその実在感を直接感じた瞬間、私は今までこの場所にずっといてくれた彼女たちに、ずっと待ってくれた彼女たちに対する感謝の気持ちでいっぱいでした。
ダブル・イフェクト(円香、美琴)
マージナル・マン(Marginal man)二つの文化の間で生きていく人、そして子供から大人に成長し、二つの世界の間で動揺する時期を意味する言葉。
円香は自分を見るファンの視線に重さを感じ、自分が考える理想的な姿である透明になるために内面を隠して自らを縛っていました。 しかし、LPでこれ以上自分を縛らないで、他人ではない自分のために歌ってほしいと、先に自分のために内面を現わしてくれたプロデューサーの行動で、これ以上他人のために歌わずに自分の歌を歌いたいという衝動によって歌うようになりました。
美琴は完璧なパフォーマンスに没頭しすぎて、それ以外をすべて度外視していた。 でもにちかやプロデューサーとの出会いで様々な影響を受けて視野が広がり、周りを見回す余裕ができ、自分自身を振り返ることで自分の本来の姿を見つけ出し、ステージを楽しみたいという思いを持つようになりました。
このように二つの世界の間で悩みながら成長していく二人のことを、マージナルマンと言えるのではないでしょうか。
あるいは、周りを気にしすぎていて自分のために歌うことになる円香と、周りに気を置かずに自分のパフォーマンスだけに集中していて、視野が広くなって周りを見ることになる美琴の相反する変化の方向性から現れるマージナルマンかも知りません。 円香は外から内へ、美琴は内から外への視線の転換。
あるいは、死を通じて成就する美を学んだ円香と、最高のステージを作るためにここで生きたいと決めた美琴の相反する世界観を通じて現れるマージナルマンかもしれないと思います。
”ねえ教えていつの日かきっと永遠を誓い合えるかな”のパートでいろんな感情が感じました。 ノクチルにとって、円香にとって永遠とは不可能だと自覚している概念。 すべてには終わりがあり、それは幼なじみの関係にも、ノクチルというアイドルユニットにも同じだと。 だから彼女たちは永遠にいてほしいというファンたちに永遠にするのではなく、今を永遠のようにしたいと話します。 そして、円香にとって永遠は美しさと関連します。 形のあるものはすべて時間が過ぎると終わりが来る。そのため、円香は形のあるものの現在を見ると、いつか来る終わりという未来を思い出してしまうため、美しいとは言えない。 でも、形がないものなら、時間に関わらないことができる。 美しいものは形のない透明なものかもしれない、まるで魂のように。という結論に円香はたどり着きました。(オイサラバエル)
そして円香は死を、終わりを通じて美を成就する方法を学んだ。 人気の絶頂から引退したアイドルほど名前が残り、時間が経つと枯れてしまう花が一番美しい時期に吊るすことで、ドライフラワーになると自分の美を時間にとらわれずに持つように。 そして、映画の中の主人が吸血鬼にはなれないが、それに対する渇望が極に達した時吸血鬼としての死を迎え、自分の美を成就したように。
フリークス・アリーで円香は監督から美を貪欲に追求する方式を見て、自分の美を追求するために引退という方法を思い出したのではないのかなと思ったことがあります。 死を通じて美を成就する方法を学び、美を成就するために非道徳な部分もつまびらかに曝け出す、貪欲に美を追求する方法を学んだ円香が上の歌詞もそうだし、二度と飛べなくなっても、翼を失っても何かの果たそうという歌詞での心はこのような円香の死による美の成就を思い出させます。
そして曲のタイトルでもあり歌詞にも出てくるダブル・イフェクトは二重結果論として意図された結果と予見された結果のうち前者にのみ責任を負い後者には責任を問われないという説。 上で話した円香の美的価値観の話を思い出すと、似ている部分がある。
そんな今の円香の状況で、あの歌詞と意味を持っているダブル・イフェクトを歌っているのを見ると、本当に胸が苦しくなっていきました。
僕らだけの未来の空
この曲での感情を話す前に、まずは6thライブ大阪公演のアスファルトを鳴らしてについてお話をしたいと思います。 大阪公演の’アスファルトを鳴らして’で、彼女たちはプロデューサーである私たちに一緒に歌ってほしいと要請しました。 この演出について、私は他人の勝手な期待に応えるのではなく、自分たちが観客に求める被食者から捕食者への転換を見せる天檻やワールプールフールガールズでのノクチルの姿を、そして彼女たちが進む海を用意することはできないから、代わりに彼女たちがまた戻って来れる陸になりたいと誓ったプロデューサーを、つまり私たちを含めてみんなノクチルになるという姿を感じ、あまりにも大きな衝撃と感動を受けました。
すべてにはいつか終わりが来るということを知っている彼女たちなので、自分たちの幼なじみの関係もいつか終わりが来るということを知り、それぞれ前に進むことをためらっていた彼女たちですが、再び戻ってくることができるノクチルというユニットをプロデューサーが守ってくれれば、再び集まって次の今を生きていけるので、彼女たちはそれぞれの正面を見つめ始めました。 だからノクチルは彼女たち4人だけで完成するのではなく、プロデューサーである私たちもいてこそ完成するのだと彼女たちが私たちに伝えてくれているように感じ、本当にあまりにも大きな感動を感じました。
僕らだけの未来の空のイントロが始まり、彼女たちが花道で歌い始めた時、衝撃が少し大きかったです。 彼女たちは花道でお互いを見つめ合って歌っていましたが、その間にはアリーナ席のプロデューサーが、私たちがいました。 そして、そんな彼女たちを包んでいるプロデューサー、私たちもいました。 これまでのノクチルはお互いがお互いを見つめる内面への方向性で、彼女たちだけの世界に誰も近づけないような姿を見せてくれました。 でも、そんな彼女たちが今は私たちを包み込み、私たちに包まれて、そして彼女たちお互いを見つめるが、同時に私たちを向かって歌うというこの姿がとても感動的でした。 上での大阪公演で感じたように私たちもあってこそノクチルになるというメッセージを伝えてもらったようであまりにも大きい感動になりました。
そして、ラスサビに入りながらセンターステージで彼女たちがお互いに背を向け、お互いが違う方向を見つめながら歌っていた姿がとても記憶に残ります。 それぞれが自分の正面を向かうようになったノクチル、お互いが向かう方向は全部違うけど、再び戻ってくる場所は同じだから自分の前を進むようになった彼女たちの成長がそのまま伝わってきて、この姿を直接感じることができたのが本当にとても幸せでした。 その後、真ん中に集まりお互いを見つめ合って踊っていた姿は、再びノクチルに戻ってくる彼女たちの姿を見せたのではないでしょうか。
そして最後のみんなでステージの後ろに回る演出。 この演出はこの曲の最後に続けて出ていた演出ですが、これまでの彼女たちはすべてメインステージの後ろ、つまりステージの後ろに戻っていきました。 彼女たちだけの空間に戻ったのです。 でも今回の公演ではセンターステージで歌って帰るということで帰る方向にもプロデューサーが、私たちが存在しました。 上でも言った彼女たちが私たちに戻ってくる解釈が感じられてずっと泣いていました。
Day2
夢が夢じゃなくなるその日まで
これまでは走る理由に君、あるいは私たちがいましたが、自分自身が理由になって走ることになる主体性の成長が見えるこの曲で、明日に向かって走っていくという歌で始まることで成長したノクチルの今を感じられてすでに感動しました。
僕らだけの未来の空で言ったように、ここでも彼女たちがお互い外を向かって違う方向を向かって歌うこと、そしてソロダンスパートがあること、そして最後にまた集まって手を合わせる演出、すべて私が持っていた私の中のノクチルそのままを感じることができて彼女たちに対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。
Fly and Fly(結華、透)
目指すアイドルになろうとする美琴の上に上がろうとする意志が感じられる歌詞を透が歌うとこんなに似合うとは想像もできませんでした。
透はGRADで頑張るということに共感できずミジンコという被食者の存在になって芸能界という巨大な生態系の中の一つの生物として息するだけでも認められたいと思い、そんな彼女を誰かが食べて自分がその一部になって生態系を循環させる一部になれば、生命を感じることができればと願っていました。 でも内面の捕食者の存在を、資質を自ら認め、飢えを解決するために自由を制約されながらも、より大きな仕事を受けようとLP以降、透は上がり続けます。
そんな彼女が、美琴の歌詞を歌っているのを見ると、自分の本質の姿を認め、より大きなステージに向かう、成長した今の彼女を感じることができて、とても良かったです。
そしてFly and Flyで透は風に翼を任せてもっと高く飛んでいくと歌いますが、逆に1日目の円香はダブル・イフェクトで翼を失って落ちました。 この方向の相反性は、円香と透のSTEPの内容を思い出させますね。
青とオレンジ
2日目最後のユニット曲で最後に見たノクチルの曲。
今がとても大切だから、彼女たちが誰も入れないように作った壁は、彼女たちを閉じ込める壁になった。 けど、彼女たちがまた一緒に帰ってくることができるノクチルという陸をプロデューサーが守ってくれれば、帰ってくる陸になってくれればそれぞれの前を向かって進んでも再び集まることができるということを彼女たちは分かった。 そうして成長した彼女たちは、明日に向かって走り出した。 あまりにも大切な今が重なって作られるのが明日だから。 そして今が良いだけそんな明日を、次の今を期待できるようになったので。
ところで、そういう花火じゃなく自分たちを見てほしいと言っていた彼女たちが、こんな明日を期待しながらそれぞれの前に進もうという歌をツアー最後の公演、最後の日、最後のユニット曲の順番に歌うのは、まるで私にメッセージを伝えているように聞こえてきました。
あまりにも楽しくて大切な今も、ライブももう終わりが近づいて別れなければダメだと。 でも、今回のライブがこんなに良かっただけ、次のライブも楽しいだろうと。 それぞれが向かう方向はみんな違うけど、帰ってくる場所は同じだから、次の今を楽しみにして前に進もうと。
私たちは、ノクチルは、 彼女たちと私たちは今を生きていることを改めて感じました。 そして、その瞬間を目に刻みました。
透明だった彼女たちがそれぞれ見つけた自分の色で周りを染めながら前に進むその姿を見ると、今まで共にしてきた記憶が思い出され、とても重く感じました。
星の声
いつ聞けるのかという考えは持っていましたが、実際に見ると、こんなに重く感じられるとは思いませんでした。
歌、歌詞、映像、照明、ステージ、演出、出演者全員が合わさって文字通り美しかった。
”一人じゃないどんな時も一緒だからこの世界が”の歌詞を聞いて青とオレンジで爆発した感情がもう一度爆発しました。
そしてラスサビの後、小さな銀箔を空にまき続けながら照明とレーザーを通じて見せてくれた演出は、まるで本当に星を見るようにとてもきれいな光景を感じました。 あの時見たあの景色は一生の思い出として残りそうです。 2日目は特に歌が終わった後もレーザーをつけっぱなしにし、あまりにもきれいな景色が続けて、そんなきれいな光景を見ながらライブの終わりが近づいてきたことを感じるその瞬間の感情は言葉では言い表せないと思います。
青とオレンジを通じて明日に向かおうというメッセージを伝えてもらいましたが、いざライブの終わりを直感すると、今が少しでも長く続いたらという気持ちになる自分自身を見て、自分に情けなさを感じました。
あの花のように
Fantastic Fireworksの名前だったので、出るのではないかと予想はしていましたが、本当に出ると感動で涙ばかり流していました。
ノクチルPならほとんど共感すると思いますが、私個人的にもこの曲には多くの重さが込められています。
花火に観客を奪われて誰も見てくれない観客のいないライブをした後海に入ることで彼女たちだけの輝きを見せてくれた天塵の内容が感じられる曲。一般的なアイドルという概念にも、芸能界にも、観客からもすべての制約を超えた彼女たちだけの自由という輝きを表した初めてのシナリオを感じさせる曲なので、感じられる感情が大きいですが、そんな曲を今という時間に歌ってくれるということがあまりにも感動しました。
初めて彼女たちが歌ったMUSIC DAWN、天塵ころの彼女たちは、隣に幼なじみがいれば自分たちも花火のようになれるだろうと歌っていました。 あのように一瞬の輝きを持っている花火も、夏の魔法が終わると、単なる灰に過ぎない。 それでは彼女たちはどうなるのか。 でも、そのような魔法さえ越えて、自分たちが見ている未来に向かう。
その時は朧げで小さな灯でしたが、今の彼女たちは夏の魔法を超え、花火すら超えたノクチルになったと思います。
あの頃の彼女たちが言ったきみは幼なじみの4人でしたが、今の彼女たちが歌ってくれるきみには私たち、プロデューサーも含まれているのではないでしょうか。
”僕ら今隣で 笑うきみと未来へ向かうよ”
そんなことを感じながら最後のこの歌詞を彼女たちの口から聞くと感情が爆発しました。
最後に
1日目のMCパート和久井さんの”花火じゃなくてこっち見てくれてありがとう”を聞いて、落ち着かせていた感情が、もう一度上げてきて、ずっと泣いてばかりしました。 やっぱり和久井さんは必要な存在なんだよ…
初めて直接見ることになったシャニマスライブでのノクチル。 私がコミュを通じて勝手に感じ、解釈していた私の中のノクチルが、オンラインを通じてだけ見ることしかできなかったノクチルがその場にそのままいてくれた。 それを感じた時の感情は本当にその場にずっといてくれた彼女たちに対する感謝とそんな彼女たちを直接見ることができた今この瞬間に対する幸せでいっぱいでした。
ライブで感じられる感情は私が思っていた以上にあまりにも重かったです。 けど感じられるこの重さは自分が責任を負わなければならない重さだと思うので、彼女たちと一緒にこれからも頑張ってみようと思います。
彼女たちから今を超えて明日へ向かおうとメッセージを貰ったけど、いざ終わりが近づくと、今がもっと長く続くように願い、前に進むことをためらっている自分を見て自分が情けなくなりました。でも戻ってくる場所は同じだから、また会えるから、先に走って行った彼女たちのように、私も今回のライブに対するこの感情を整理して、次の今を楽しみにして次のライブに向けて前に進みたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。機会があれば次の現場でお会いできることを、そしてお互いの感想や解釈を話せることを願っています。