見出し画像

花のない櫻を見上げて

小池美波さんの卒業発表を迎えて。ただの私自身の懐古録。

闘病記ではありません。

⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆

ついに小池美波さんの卒業発表の時を迎えてしまいました。
これにて櫻坂46、そして欅坂46の1期生は全員グループを去ることになります。

私がグループに初めて出会ったのは2016年。
とある歌番組にて「サイレントマジョリティー」を観た時のことでした。でもこの時はアイドルってこんなに強い歌も歌うんだという感想だけでした。

それから数ヶ月後、橋本奈々未さんの卒業発表をきっかけに乃木坂46を知ります。
そこから乃木オタになるわけですが、なにせド田舎の中学生。携帯も持っていない私は乃木坂工事中と歌番組に出演する乃木坂46か知らず、まだ乃木坂とあの時みた欅坂は繋がりませんでした。

そしてそれから2年が経とうとしていた2018年9月。
とある歌番組に出演する乃木坂46を観るためにそのチャンネルをつけてぼーっとしていた時に流れてきたのが欅坂46の「語るなら未来を」と「二人セゾン」、それから「サイレントマジョリティー」。「語るなら未来を」のイントロでセンターで踊る土生瑞穂さんに一目惚れして釘付けになったのが欅坂46と出逢ったきっかけでした。
その後すぐにiPadという文明の利器を手に入れた私は欅坂46の動画を漁りまくります。MVを見たり、曲を聴いたり。(けやかけのまとめ動画を観たり笑)
最終的に欅共和国2017の円盤で完全に沼に落ちました。

時をほぼ同じくして加入した欅坂46 2期生。
初代のTwitter垢を作った(規約違反)のはこの頃。
あまりにも叩かれる2期生に心を痛めていました。よく頑張ってくれたなぁ。

2018年の年末でしたかね。ハブビバレントは。
推し始めて数ヶ月しか経っていないのにテレビの前で叫んでいた私はオタクの素質しかなく、グループに沼るのは必然だったのかもしれません。


そして発売された9枚目シングル「黒い羊」。
MV公開がYouTubeではなくサイトで軽くずっこけた記憶があります。
私がグループをちゃんと知ってから初めてのシングルです。
シングル買いました。特典が「KEYAKIHOUSE」のシングルでしたね。さらにさらに沼へハマっていくことになります。
そして私は高校生になりました。ここで同じクラスの席前後になったAちゃんとの出会いがさらにグループ愛を加速させます。何がきっかけでどうしてそんなことになったのか私はまったく覚えていないのですが、私はAちゃんに欅坂46というグループを布教しまくり、Aちゃんをグループにハマらせることに成功します。人見知り内弁慶の私がなぜそんなことができたのか、大不思議のひとつです。
そんなわけでオタ友が身近にできた私は、さらに推し活に勤しみます。欅坂46初の東京ドームに思いを馳せたり、欅共和国2018の円盤を何度も観たり。初めてメンバーの卒業を発表から卒イベまでみた年でもありました。

アイドルオタク初心者の私でも「あれ?なかなか曲が出ないな?」とは思っていました。おかしいのか?でもドームには立っている。でも私にはグループを応援し続けることしかできません。


そして迎えた2020.1.23。
口があんぐりです。開いた口が塞がらないとはこのことかと。
1週間ぐらい病んでた記憶があります。
Aちゃんも平手友梨奈さんを推していたので共に病み。
あ、欅坂から離れちゃうかもなとも思いましたが、渡邉理佐さんも推していたのでオタ活継続。ちょっとだけ安心。
でもグループは大丈夫なのか。私の推し活は厳冬、耐冬の期間に入ったなと思いました。

同時にコロナ禍に突入。自粛期間は欅坂の円盤をみまくってまして、おかげでダンスは荒削りですが一通り踊れるように……笑


そして迎える7月のあの日。正直予想はされていたので覚悟はしてました。でもいざ菅井友香さんからその言葉を発せられると、私は文字通り泣き崩れた記憶があります。一晩中泣いて、学校でAちゃんと会って泣いて。
そこから守屋茜さんと渡辺梨加さんの卒セレぐらいまで、いやもっとかな。長い間欅坂46の曲がほとんど聞けない期間が続きます。泣いちゃうので。

2020.10.13それから2020.10.14。
終始泣きっぱなしです。正直苦しかった。
推し始めてからたった2年。されど2年。
思春期真っ盛りの私の人格形成には大いに影響が与えられ、
体感としては人生の全てを欅坂46と共に歩んできた気持ちでした。
あの「誰が鐘を鳴らすのか」のメンバーの表情は一生忘れることは無いと思います。
この日私は1度欅坂46を封印しました。
私だけじゃなく、グループにとってもオタクにとっても1度封印したも同然だったと思います。
それほどまでにやはり辛かった。
最後の最後に披露された「Nobody's fault」。
ここに一筋の光を見た瞬間でもありました。

さて欅坂の懐古はここで一旦終わり。
ここからは櫻の季節に入ります。



改名のタイミングで1期生は全員卒業しても誰も止められない、咎められないなと思っていました。
でも残ってくれたメンバーはたくさんいました。


「Nobody's fault」
「BAN」
「流れ弾」


2021年これらの楽曲を通して改めてグループにハマったと思います。確実に。
2021年というのは私にとっても勝負の年でした。
夏に大病を患い、命の瀬戸際が遠い世界のものじゃなくなった年です。
その時私は高校3年生。受験も最後の高校生活も何もかも諦めることばかり。周囲と比較して、荒んで、毎日泣いて。
そんな時も心の支えとなってくれたのは櫻坂46でした。
まだ私はこの子達に会っていないじゃないか。ミーグリだってしたいし、LIVEに行きたいし、まだまだこの子達の活躍を見ていたい。ここで立ち止まってる場合じゃない。この辛い治療を乗り越えて、治さねば。
病室のテレビカードがどんなに高かろうが欠かさず歌番組は見て、デイルームの隅っこで1stツアーの配信を見て。
病室が治療の関係で個室であることをいいことにはグッズを沢山持ち込んでたなあ。
とにかくここで死んでられるか。その一心でした。

幸いにも病気は寛解。
それでも2022年も辛い年です。
浪人生活。本来なら私だって大学生だったはずなのに。
免疫も弱っているため、外にも出れず、家で勉強漬けの毎日。この努力はどこに繋がるのか。櫻坂46の楽曲とともに泣きながら勉強した毎日。
グループもこの年は悔しい思いをした年でした。
彼女たちの何がいけないのか、彼女たちはこれ以上なにをまだ頑張らなきゃいけないのか、私にとっては2度目の厳冬期でした。
菅井友香さんの卒業を現地で見送りたかったなあ。

2023年。飛躍の年。
私は何とか大学に合格し、晴れて大学生です。
「桜月」、研修生だった彼女がセンターにまで坂を登った姿はすごく輝いていました。
そして「Start over!」。なんとなく暗かった空気が晴れた期間だったと思います。グループの大躍進のスタートダッシュでした。

3期生の加入も大きかったと思います。
櫻坂46に憧れ、グループを愛し、入ってきた3期生。
ドキュメンタリーを通して彼女たちを知り、迎え入れる。
グループの躍進にあたってアクセルをさらに踏み込めたのは彼女たちのおかげです。


2023.8.22。私の人生の初めての推しの土生瑞穂さんが卒業を発表した日。

2023.11.25。卒業セレモニー。

念願のLIVE初参戦は推しの卒業するLIVEでした。
とにかく感謝の気持ちでいっぱいです。
アイドルとして8年、私が出会って6年。
彼女や私の人生からみたらすごく短い期間なのかもしれません。それでも彼女には感謝の気持ちしかありませんでした。
私という人間を作り出したのはグループであり、彼女なのだから。
寒空の下の真っ赤なドレス。すごく綺麗で夢のような時間でした。

あんなに埋まるか心配されていたZOZOマリンスタジアムは
ステージバックまで解放して、ほぼ360°全面のサイリウム。あの景色をメンバーに見せることが出来たことは何よりも嬉しかったです。

2024年。まさに新・櫻前線。
たくさんの場所で咲き誇り、人々を笑顔にしてくれました。
東京ドームもステージバックを解放。
頂天、さらにその先へと連れていってくれることを期待できる山﨑天さんのパフォーマンスから始まり、初夏の東京ドームに咲き誇る花たちは一生の思い出です。



欅の新芽として成長し、枝葉をのばし、ひとつの大樹を完成させ、そこから櫻の太い幹へ、さらに成長。
1期生のみんなには感謝しかありません。
私が見ていないところでも数え切れないほどたくさんの嬉しいことも悲しいこともあって、もしかしたら全員がアイドル人生に満足して卒業した訳じゃないかもしれない。
それでも私にとってはそれら全てが私の人生を彩ってくれたもので、かけがえのないものです。

あんなに聞くのが辛かった欅坂46の曲もいまや笑顔で語れる大切な思い出。
多感な時期を欅そして櫻とともに過ごせたことは私にとって人生でトップ5に入るくらいに幸運なことだと思います。



永遠より長い一瞬。
そこをみさせてもらって私はとても幸せです。










なんだかここで推し活が終焉するみたいな雰囲気ですが、
私はこれからも櫻坂46を応援し続けます。
とりあえずツアー当たりますように!笑

いいなと思ったら応援しよう!