水の掛け合い漫才の話
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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!
できる人は伝わる言葉をつかう、という話を前回させていただきました。
「言った言っていない」「聞いた聞いてない」など言い争いがあったりなかったりします。友だちや知人、兄弟、夫婦や親子、仕事や遊び、はたまた、全く知らない関係性でもこんな言い争いがあったりなかったりします。つまりは水掛け論です。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。
自分の立場からの意見を自説を展開しその話を話し合いを解決へと導こうとはしていない展開です。
しかし、言ったからといって話が伝わったわけではありません。理解されたわけではありません。
と言うことをどちらの論理の人もわかっていないのかもしれません。
言ったけれど、聞いていない。なんてことは日常茶飯事にあったりなかったりします。
自分が言ったけれど、相手は聞いていない。ということは日常茶飯事にあったりなかったりします。
「帰りに牛乳買ってきて」なんて出かけに言われ「はいはーい」なんてまるで聞いているかの返事をしても、その時、何かを重要なことでも考えていれば、伝わっていないことがあったりなかったりします。
条件反射的に返事はできるものです。
挨拶だってできたりできなかったりします。
そして牛乳は買わずに買えずに帰ってきて「牛乳は?」なんて聞かれても「忘れてた」って返答ではなく「え?何?」と返答してしまいます。
となれば、言った言わないの水掛け論です。
言ったほうとしては言ってますから、譲れません。聞いたほうとしては聞いたけれど認識はしていません。聞いてないのと一緒です。確かに聞いてないほうが聞いていないのですからそれは論理に矛盾が生じます。
でもしかし、その録音が録画があることもないので、水掛け論になってしまいます。
つまりは、証拠が残るようにメールやメッセージ的なものでやり取りをしていれば水掛け論には終止符が打たれる。こともなく、「送った見ていない」論争が起きそうなきもしないでもないです。
しかし、返信があれば、見ていないの言い訳にはなりません。
街が慌ただしくきらびやかになっているので、このあたりで。
ありがとうございます。
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