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それでも食べられるの話

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ぎんぎん、こんにちは、ノウト!

いいいぞん、という話を前回させていただきました。

今では「依存」という言葉で表現されていますがその昔は「中毒」なんて言葉で言われていた依存性の高いモノゴトがあったりなかったりします。何事もそればかりをすることは毒です。食べ物や飲み物だってすべてのものに致死量があったりなかったりします。なんて話はしておりませんが、前回のお話もお読みいただければ幸いです。

水でさえ飲み過ぎれば死に至るということです。

成人で1日2リットルくらいが適量で、6リットルもとれば致死量なんて言われていたりいなかったりします。

人間が生命を維持するために絶対的に必要な水でさえ飲み過ぎれば毒になるという、なんとも不思議なことです。

カラダにいいとされる、他のものも適量がきっとあったりなかったりします。しかしながら、それを越えて摂取してしまうのが人間の抑制のなさなのかもしれません。

食事にしても、「お腹がいっぱいだ」と思ってからデザートが出てくると「別腹だ」なんて口にします。

お腹がいっぱいだったのにもかかわらず、食べられる。と言うのは、物理的科学的に胃を調べてみると、デザートなど全く違う味の食べ物を目の前にして「食べたい」なんて「おいしそう」なんて思ったときに、それまでいっぱいだった胃が空間をつくる。なんてことがわかっっていたりいなかったりします。

つまりは、胃が大きくなる。ということです。

そんな見た瞬間に消化はされませんからね。

何とも人間のカラダは不思議です。

たくさんの違うモノならば、カロリーをどれくらいとっても今すぐに死ぬなんて致死量にはならないということでしょうか。

糖分や塩分などが超えてしまうとなんてことはあったりなかったりするかもしれません。そこをうまく考えて摂取するといくらでもカロリーがとれる、ということでしょうか。

いや、長い目で見ると、それはそれで致死量です。違う病が発症するかもしれません。

病ではなくても、脂肪がつきすぎることで足腰がだめになり歩けなくなってしまう、なんてことにもなりかねません。自分の体重を自分の腰が足が支えられなくなってしまう、ということです。

カロリーをとっても、カラダを動かし消費をしていればそんな問題もないとも言えたり言えなかったりします。

大食いなんて生業にしている人は、カラダのつくりが違うなんてことも言われていたりいなかったりします。がどうなのでしょう。

もはや普通の日曜日なので、このあたりで。


ありがとうございます。

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