子ども と 私 〜お料理編〜
2021年12月現在。娘 4歳。私 38歳。
保育園で大流行り。「お母さんごっこ」。
たまに、家でもしますが…
「お母さんは、お母さんな。」
「私、子どもやるけん!」
?????????
いつも通りやないか!
配役する意味ないやないか!!!
笑って、そらそうやなみたいな顔をするカワイイ娘です。
さて、ここから私になかなかのミッションがやってくる訳です。
「お母さんごっこ」がそこで終わらないのが、我家の娘。
リアルでの感覚を得たいというのが始まります。
▶︎お母さんばっかりお料理するやん
▶︎自分で使った食器は自分で洗いたい
▶︎自分のフライパンと包丁が欲しい
フェイクではダメなんです。ガチです。
こちらの“これくらいでいいんじゃない“は通用しない。
でもですね。子供用の包丁を買ってしまう訳です。
これね…まじ失敗した。
ガチ包丁にすればよかったと後悔中です。
もちろん安全面で言えば、子供用包丁は安全性抜群。
しかしながら…
切なさ過ぎやろ!!!!!!
いや、わかる。わかるよ。切れなくする事の意図もわかる。
でも、私が娘に体感・体験して欲しいのはそこじゃないってことに気づく。
はい。私です。問題は。
包丁を持つ。物を見る。切る感触を感じる。
その行為の中に彼女の何が反応し呼応し反芻しまた新たな出会いへと向かうのか。
それは、私が作るのではない。
彼女自身が、彼女自身の中で出なければ、起こり得ない無限の化学反応のようなもの。
私。軌道修正いたします。
日々、忙しい忙しいと感じながら過ごしてしまっている。
あれして、これして、って段取りくめどうまくいかないことも多い。
苛立ちは何も生まない。
わかるよ。わかってる。
だから余計に苦しくもなる。
でもさ、そもそも私が「お母さん」像を作り過ぎてるんじゃないかな。
そんなことを思う。
肩の力を抜き、深呼吸し、家ででかい声出して歌手にでもなったような気で歌をうたえば。
何とかなるか。
母という役割にシャンとせねばならんことだってあります。
でも力み過ぎないようにしよう。
さ、今日もそろそろお迎えの時間。
きれない包丁は今、彼女のお気に入り。
ならば、母ちゃんにも考えがございます。
蒸してやる!!!野菜をその包丁で切れるように!!!!!!
柔らかく蒸してやる!!!!!!
今日の彼女の反応はどうなるかなぁ。
楽しみに変えるのも 自分次第。…と毎回言える訳ではないけれど。
ゆるく、楽しく、ときに眉間に皺と角と怒りのオーラもまとうけれど。
可愛いあの子を迎えにいこう。