星からのメッセージには愛が詰まっている
ヘリオセントリックの星詠みはとてもシンプルだ。
【惑星×惑星×角度】それしか盤面には記載がない。
そこから、星の解釈者たちはどのような言葉を紡ぐのだろう。
映画の翻訳者が変われば言葉のニュアンスが変わるのと一緒で、
星の詠み方も作り出す空気感も千差万別。自分にとって必要なものを必要なだけ迎え入れればいい。
自分の質に合ったものを選択すればいい。すべての選択権は自分にしかないのだから。
紐解かれる【自分】は、1つ。
でも、【自分】はとてつもなく立体的で複雑なのだから、
何か一つの助言めいたものに固執する必要は全く無いということ。
さて、ここでタイトルにもしたけれど…
《星からのメッセージにはには愛が詰まっている》だが、これは私自身が感じる事。
星詠みを提供する相手 と 星の盤面 と 私。
部屋 と Yシャツと 私 的な…… どんなだ。
立体的に紡がれるそれらは、いつも何かしらのヒントを与えてくれる。
《愛》とは常に温かく、幸福そのものってものでもないと思っている。
どんな状況にあっても根底には《愛》があると思えてならない。
どんな状況にあっても、必ず糸口を見せてくれる。
その解釈が私なのだから…まぁ、ねぇ…どんなかな🤣
私自身の愛も付属してぶっこむしかないわけです。一択です。
私が手渡すことは、あくまでもヒント。
そこにアナタの閃きとアクションが重なった時、初めてその《愛》は発動する。
私はそれを引き出したい。
私の想う、ヘリオセントリックの星詠みは、
未来を予見し、起こりうることにビビりながら回避させることではない。
イマ・ココに在るアナタを輝かせたいが原動力だ。
イマ・ココに在るアナタが輝かなければアナタの見る世界が輝かない。
ヘリオセントリックの星詠みは私がしたいことへ《愛》を注ぎ、魅せてくれる。