旅立ちの前夜に
僕は別れが苦手だ。永遠の別れでないと分かっているけれども、それでも僕は別れが苦手だ。どんな顔をすれば良いと言うのだろう。
明日から、北海道へリゾートバイトに行く。24年間住み続けた地元を離れ、初めての一人暮らしだ。ほんの数ヶ月ではあったものの、コロナ禍でも雇ってくれた地元のバイト先に別れを告げてきた。
店主を始め、色々な常連さんが僕を送り出してくれた。プレゼントをくれる人もいたし、最後の2日間でワインを5本空けた。店主はいつも優しかったし(彼は否定するだろうが)、おいしい賄いを作ってくれた。
「人はなぜ他人に優しくできるのだろうか」
「人はなぜ他人を助けるのだろうか」
僕はその答えをまだ知らない。
一体なぜ、昨日バイト先に来て下さった方は”僕の勤務が最後だから”という理由だけで初対面の僕とワインを飲もうと思ったのだろうか。
なぜ就職もせずに、自分がしたいという理由で北海道へ行くのに、そんな僕に祖母と叔父は餞別をくれるのだろうか。
なぜ一生の別れというわけではないのに、友だちは空港まで見送りに行くよと言ってくれるのだろうか。
性悪説に賛同してきた僕にとっては、とても興味深い問いだ。人の優しさとは。そこにある感情とは。
人が誰かに親切にするとき、彼らは見返りを求めているだろうか。見返りを求めたら、それは偽善なのか。
ともかく、僕の周りには空気を吸うかのごとくgiveしてくれる人が多すぎる。甘ったれの僕には居心地が良すぎたのかもしれない。もしくはそのような環境だからこそ甘ったれに育ったのかもしれない。
いずれにせよ、僕はそういう人たちに囲まれているから、ピュアな気持ちでgiveできない自分と葛藤している。親切心に見返りを求めてしまう自分と。
ただ僕は、親切にしてくれてるすべての人からの重すぎる期待を背負って、前に進まなきゃいけない。120kgのスクワットで潰れているようじゃ、まだまだ。
最初はヨロヨロしていても良い。その場で立ち止まってスクワットしていても良い。
たくさんの別れと出会いを繰り返し、いずれ、しっかりと自分の思うままに前へ踏み出せるように、僕は今日もスクワットを続ける。
スクワットを続ける。