見出し画像

表現としての怒りは甘えで、優しさは強さ

そいつが中学生の頃から何かと可愛がってる重度の鬱病を患う後輩と久しぶりに会った。

入院する時にIQテストを受けるらしいのだけれども、140というスコアを出したらしい。

いや、メンサじゃんと思ったのだけれども、150以上を出す人もいるらしく、フォレスト・ガンプか!と思ったが、成る程なぁと。

と言うのも、感じる事が人より多いと言うのは大変な事だ。人の顔色や言葉尻が気になってしまうのだろう。因みに僕も気になって受けた事があるが125という事だった。結構負けてる。僕も悪い方ではないらしいが、バーは自分時。最悪そせ

生まれ持った大きなギフトがあっても環境がそのスペックを伸ばしてあげないと人生は難しいなと考えてしまった。奴はまだ30代前半なので、これから大いに活躍してもらいたい。


全然関係ないけど

何で人は怒るのかと真剣に悩んだ事がある。

親しい人や、自分より立場の弱い人に怒りやすいことに気がついた。

自分とこの従業員や、妻、親兄弟など、近ければ近いほど怒りを覚えたりぶつけたりをし易いと気がついてしまった。

その事について何故なのだろうと考えていたら、それは単純に甘えているのかもしれないと気がついた。
親しいから言い易く、甘えやすい。

たぶん見るからにヤ◯ザの人にクソほどムカついても、なかなか怒りをぶつけるのは恐ろしい。

しかし、自分よりも立場が弱いと思えば強く出れるのでは無いか。

つまり、怒ったり、人を怯えさせて言うことを聞かすという行為は、その日から僕の中でとてもダサい行為となった。

そもそも立場が弱いなんて思い込みで、僕らの業界だと元請け下請けがハッキリしているが、それはそのまま上下ではない。

人間に上も下もないと原点に立ち戻って考えれば、至極当たり前な話だ。

しかし、自分はそう考えていても、確かに弱い奴に強いダサいヤツは沢山いて、自分もとても苦しい立場に立たされることもある。が、しかし、僕らは日本に生まれて、最悪、明日食べる飯に困ることはない国民だ。今の所。


怒りは怖い感情だ。
怒りは感情の中で最も暴力的なものの一つだと思っている。
暴力的と表現するのは、一度解放するとエスカレートしてしまうからだ。
障害や虐待で逮捕されてしまう人が知人にいたりしたこともあるが、基本的には普通の人間で、語弊はあるかもしれないが良い人の印象であった。これは僕の推測でしかないけれど、特定の相手に解放してしまった怒りや嫉妬の感情、激情がコントロール出来ない状況であったのではないかと思う。
被害者が存在する以上、加害者の罪は明白ではあるが、人は自分の心すら自由にコントロールできないのだと思う。
勉強は教えてくれる人が沢山いるが、こう言うことは誰も教えてくれない。

うまくまとめられないが、逆に優しいということ。これは強さだと思う。
優しいが何かというのはまた難しい事だけれども、強さを持ち合わせてないと他人に表現できないのが優しさだと思う。
身内に甘くなることとは違くて、肩越しに見える悲哀の向こうに本当の優しさがあるのではないかと思うのである。

つまらない日記を書いてしまった…





いいなと思ったら応援しよう!