言葉の強さはテクニックであり暴力にもなる
2023.10.1
唐突に秋が来た。
秋刀魚は高い年が不味くて美味しい年は安い。
いつのまにか当たり前になってしまったが、昔は毎年安くて美味しかった。
お寿司屋さんに行くと、身と皮の間に白い脂肪を蓄えた脂の乗った秋刀魚を食べたものだが、今では高いし美味しくないので注文しない。
先週北海道札幌の二条市場に行った時、昔よく見た丸々と太った秋刀魚が並んでいた。
ちょっと前まで千葉銚子が秋刀魚の水揚げ一位だったらしいが、今はゼロだとか。
温暖化は嘘だというとんでも論者がいるみたいだが事実として深刻な問題なのだろう。
よく考えることがある。
同じ言葉を使っても強い人と弱い人がいる。
説得力を帯びている人とそうでない人であったり、同じ言葉でも笑える人と笑えない人、少し注意しただけでも人を傷つけてしまう人、流される人。
これは何でなのかといつも考えてしまう。
もちろん、見え方は大きな比重を持っているような気はする。
例えば、社会的な地位や関係性、つまり社長に言われるのと同僚、後輩に言われるのでは聞こえ方が違う。しかし、初対面の人でもこの人の言葉は強いなと思うこともあるし、逆にこの人は嘘つきなのかもと思ってしまうこともある。
それで、こんな事を思った。
僕は怪談や落語が好きでよく見るのだけれど、同じ噺を聞いても入ってくる人と入ってこない噺家さんがいて、当然二つ目の人より真打ちの人の方が入ってくる。
つまり、経験に基づくテクニックなのではないかと思っている。たぶん科学的にも証明できるのではないかと考えている。
自分が人に話をする時、自分の言いたいことよりも、言うべき事と、伝わる言葉を探している事を思い出したのだ。
正直、怒っている時は一言で相手を刺す言葉を選んで話しているし、大概は失敗する。テクニックなので冷静さを欠いた状態では失敗するのだ。
なので、僕は周りの人間に言葉が強いと言われるので言い争いや議論に参加する時は相当気をつけてる。とはいえ、僕の言葉の強さは単純に音量がでかいだけな気もするのだけれどね。
言葉は時に酷い暴力になり、暴力は恨みを買うのでゆめゆめ気をつけようと思う次第だ。