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週刊モルモットラボラトリー 第7号

みなさんこんにちは。経理事務のおねえさんです。

11月17日に、ポケモン最新作 ウルトラサン・ウルトラムーンが発売になるそうですね。

私はポケモンシリーズとともに生きてきたといっても過言ではありません。初めて買ってもらったソフトはピカチュウVer。後ろをついてくるピカチュウの愛らしさにメロメロでした。




ところで、みなさんはポケモンシリーズをプレイしたことはありますか?ポケモンは最大6匹のモンスターをパーティ(手札)として選び、勝負します。さて、どういう構成にしましょうか?




私は、6匹でタイプ相性もストーリー攻略もすべてこなせる、低コストバランサーパーティを構成していました。可愛さは度外視。図鑑を埋めるために捕まえるけれど、レベル上げはしない。だってその労力無駄じゃない?というなんとも可愛げのないことを考える小学生でした。

一方で私の姉は、6匹ともかわいいポケモンを揃えるキューティパーティでした。もちろんタイプ相性とストーリー攻略は度外視。ピカチュウとバタフリーの二匹で岩タイプジムに挑んでいました。逆にチャレンジャー。




子どものゲームへの取り組み方には、上記のようにその人の個性(キャラクター)が色濃く反映されます。


例えば私は、低コストで最大の効力を求め、化粧やブランドといった可愛さは度外視。最低限はこなすけれど、見栄のために高級ブランド買うのは無駄じゃない?と可愛げもなく考えるOLとなりました。

一方で私の姉は、モデル級の美人ではないものの、化粧に人並み+αくらいの興味を持っています。ボーナスではブランドバッグを買ってきて、綺麗な服とともに出勤していきます。


基本的にはこのように、人は幼いころの性格そのままにすくすくと成長していきます。




さて、姉はその後、ゲームをどのように攻略したのでしょうか?


彼女は、先に殿堂入り(ゲームクリア )した私に攻略法を聞いてきました。最初は自分の可愛い尽くし戦略と全く異なる低コスト攻略に一瞬抵抗感を示したものの、幼いころのいい意味での鈍感さも手伝って、あっという間に吸収、すぐに殿堂入りを果たしました。


簡潔にまとめると、

戦略を変えて問題に挑むことができた結果、
解決(ゲームクリア)に到達しました。




ここで、現実世界に目を向けてみます。

私は、お金をためて投資に回すことに幸せを見出しています。
姉は、お金を使って綺麗になることに幸せを見出しています。

私は姉に再三、貯蓄するように言っていますが、まったく聞き入れてもらえませんでした。
逆に、姉は私に再三、おしゃれをするように言っていますが、まったく聞き入れませんでした。

私たちは自分が思う幸せに固執して、現状の生き方を変えようとはしないですし、年を重ねるごとに助言してくれる人は少なくなっていきます。つまり、変化のチャンスが減っていってしまいます。

ほんとうに、そのままでいいのでしょうか?




ゲームにおいては、自分の個性を容易に変更できるのにもかかわらず、人生において、自分の個性を容易に変更できないのはなぜでしょうか。




それは、コントロール権を意識していないからです。


"自分"のことを、現実世界での"主人公"だと認識して、操作する感覚を身に着ければ、自身のコントロール権を得られます。そうなれば、もはやゲームと同じで、自分の個性を容易に変更することができるようになります。自分を俯瞰して見るとも言われますね。



このコントロール権の掌握により、無駄なエネルギーを使わなくて済みます。

例えば、ややこしい仕事を頼まれてむしゃくしゃしそうになった時、俯瞰して自分をみると「主人公が、小ボスとエンカウントした!」と変換できます。経験値を得るために戦ってもいいですし、最短解決を目標にRTAしてもいいでしょう。するとあら不思議。むしゃくしゃした気持ちが一転、ゲームに熱中・集中して、楽しみながらあっというまに仕事を終えることができるでしょう。

同じ仕事なのに、最終着地点がまったく異なります。

あなたなら、どちら行きのルートを選びますか?


人生を楽しいゲーム化する方法については、下記の本を読みました。
(Unlimitedで読めますよ!)




※子どものゲームのやり方を観察することで、
 子どもの潜在的な要素を垣間見ることができると思っています。

 ゲームと能力との関係については、今後もウォッチしていきたい内容です。
 マネーリテラシー教育にも使えるかな?※




今回は、人生のコントロール権を意識しよう!というお話でした。






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ざつだんコーナー ~反省編~

私が最近一番反省したこと、それは後輩とご飯に行った時。

「先輩、それはさすがに勉強したほうがいいですよ。」


私が勤めている職場は、比較的和やかだ。仕事も楽しいし、定時で帰れる。わからないことがあれば、上司や先輩たちに聞ける、頼もしいサポート体制が整っている。

そんな状況に変化が起きたのが今年の4月。後輩が入社した。

後輩に仕事を引き継いでいく中で、改めて聞かれるとわからないことが多数出てきた。「この仕訳にはどういう意味があるんですか?」「このシステムは、どこのシステムに繋がっているんですか?」

調べて聞いて教えて、の繰り返し。通常業務外の作業に四苦八苦しながらなんとか概ね引継ぎおわり、引継ぎおつかれ会と称して後輩とご飯に向かった。

しばらくして、後輩から「これまでで一番難しかった課題はなんですか?」と聞かれた。「固定資産の処理がややこしかったな。つい先輩に助けを求めちゃったよ。」私は軽い気持ちで発した言葉だったが、後輩の表情が少しこわばった。そして冒頭のセリフ。

すこしむっとして、反射的に「でも…!」という言葉が飛び出た。「そのあと勉強して、今はちゃんと理解してるよ。」言いながら、すでに後悔していた。私は自分の非を指摘されたことに腹を立てている。なんとしょーもない先輩なんだろう!すなおに「そうだね、ありがとう。一緒に勉強していくね。」で良かったのではないか。どうして言い返してしまったのか。

なんともいえない空気は、運ばれてきたレンコンのはさみ揚げのおかげで何とか持ち直したが、心の中での反省会はしばらく続いた。

指摘によって不快な気分になるということは、自分もそうだと気づいているけれど変えられない現状を指されたということ。成長センサーだと読み替えよう!



それではまた来週!




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