BE THE SUN 20221204
こんなに幸せなことがあっていいんだろうか。
ひたすらに好きで、大切で、愛おしくて、希望で、有難くて、目に映る全ての人の幸せを願う気持ちで私の身体がパンパンになっている。
自分が直接何かをしてもらう以上に、誰かに心から幸せでいて欲しいと願う気持ちが、こんなにも幸せだとは思わなかった。
私の初現場となった大阪公演は正直脳震盪のような状態で、とにもかくにもどデカいインパクトだった。強さだけで言えば、あれより強い刺激を味わうことは今後ないんじゃないかとすら思う。
だからこそ、その刺激によって2回目の今日が薄く感じてしまったらどうしよう…と思ったけれど、完全に杞憂だった。
というより、今日初めてちゃんとSeventeenさんのコンサートを「楽しめた」と思う。
なんだか今日はSeventeenさんの姿がよく見えた。
舞台演出も、機材も、誘導員の方も、彼らを照らすCARATさんたちの姿も…その場を創り上げる大勢の人の顔が見えたし、そこに身を委ねて楽しむことができた。
現地でFFさんに会うことも前回はどこか夢心地だったけれど、今回は私の大好きな人たちが、これまた大好きな人たちによって幸せになっていく様子を間近で見れることの嬉しさを噛み締めた。しかもその大好きな人たちの中には、Seventeenさんと出会わなければ決して繋がることのなかった方もいれば、Seventeenさんに出逢う前の私をよく知る長年の友人もいる。
バックボーンは皆違うのに、皆同じ人たちを好きで集まり、それぞれの顔を見るだけで今日が特別だということが痛いくらいに伝わるのだ。
いざコンサートの内容について書こうと思っても、正直今の私はホシくんに関する言葉しか出てこない。
Seventeenのコンサートなのだから、全員を順繰りと見れれば良いのだけれど、そしてもちろん全員の姿に幸せをもらったことに間違いはないのだけれど、それでも私はホシくんから目が離せなかった。
当然だけれど、魅力度の序列じゃない。
ただ、ステージの上のホシくんに引き込まれてしまった以上、どうしてそこから目を離せるというのだろうかと何度も思った。
双眼鏡を使えば今しかないホシくんが、私だけのチッケムの中にいてくれる。
私が穏やかだと解釈していた歌詞の振り付けで泣きそうな顔をしながら強くヒットを打つ姿、かと思えばパフォチステージで凪のような恐ろしい精密さを見せる姿…
私はホシくんのダンスや表情に表れる音や歌詞に対する彼の解釈が大好きで…
…大好き、というと私の思考や意思が介在していそうだけれどもはや肉体的な快感と言っていいくらいには抗いようがなくて、カタルシスで、「大好き」よりもっと単純で原始的な感情だと思う。
私は初めてのセンイルnoteでこんなことを書いた
この意味で、終始「出逢えてよかった」と思いながらステージの彼らを見ていた。私にはちょうどぴったりSeventeenさんとホシくんの形に空いている穴があったんじゃないかというくらい、今満たされている。
ホシくんに出逢わなくても生きていけたことはそれまでの私の人生が証明してしまっているけれど、この穴は他の何にも埋めることはできなかった。
ホシくんに出逢わなければ、私の穴は、ずっと穴のままぽっかり口を開けていたに違いない。
今回の座席はステージのほぼ真正面で、双眼鏡を覗いた途端「あ、アンコールのときにはホシくんが真っ直ぐこちらの方向へ駆け抜けてくれるんだ」と嬉しくなった。
けれど彼は今日、花道を駆け抜けなかった。
ピストルの弾丸のようにCARATの宇宙の中へ飛び出してくるホシくんの姿が大好きだった。
過去のLIVE盤でそんな彼を見て「ホシくんらしいな」と涙を流しながら笑ったことは一度や2度ではない。きっと、私の愛するホシくん像の象徴的な姿の一つだったと思う。
けれど、恋焦がれてきたその姿をこの眼に映すことは叶わなかった。
叶わなかったのに、ある意味で予想を裏切ったホシくんの姿がとても、とても、とても、手に負えないくらいにホシくんらしいと思った。
メントで他のメンバーが話している間、俯いていたホシくん。順番が回ってきて顔をあげた彼は、涙で頬を濡らしていた。
星の海に佇むホシくんは、そのひとつひとつにCARATが住むことを知っている。
トロッコで目の前に来たホシくんはずっと視線が動いていた。まるで1人でも多くのCARATの姿をその眼に映したいかのように見えた。
だからきっと目が合っていたはずなのに、確信にはならないほど一瞬だった。
恐れ多くも座席的に指名ペンサをもらえるんじゃないかなんて期待をしてしまっていた私だったけれど、ああ、そうだよ、私はどこまでも遠くを見る君を好きになったんだ、と胎に落ちた。
彼がなぜ泣いたのか、分かる気もするし分からない気もする。
個人対個人の関わりではなかったとしても、生身の人間として彼にまみえた以上、大切な友人に対してそうしないように、彼の涙に意味をつけることはしたくないと思った。
ただ彼がその眼に無数の星を湛えている姿が綺麗で、世間から見れば私とホシくんは(個人としての接点を持ったことはないという意味で)他人なのに、こんなに綺麗な感情の揺らめきを見せてもらっていいんだろうかと途方もない気持ちになった。
大切だと思った。
大切だなんて言葉だけじゃ足りないけれど、修飾もしたくない、ただこの「大切だ」という言葉が太く分厚く強くなればいいのにと願う気持ちが今ここにある。
あいのちからを歌い、CALL CALL CALLで再びセンターステージに向かって歩いてきたホシくんは、駆け出しこそしなかったけれど、全ての星を視界に入れるかのようにどこか遠くを見ながら、少し顔をあげて両腕を広げていた。
ああ、ホシくんだ、と涙が出た。
これが、今のホシくんなんだ。
もう、誰よりも早く花道を駆け抜けて光の海に飛び込む彼だけじゃないんだ。
表出した振る舞いは別物だったけれど、その姿を見て心底ホシくんらしいなと思った。
人は変わっていく。
アイドルに向けてこの言葉を放つとき、そこにポジティブな意味はないと思っていた。
けれど今、これほど素晴らしい希望は無いと思っている。
変わることは滅びではない。朽ちることでも褪せることでもない。ただ、流転するということ、一つの場所に止まらないということ。
私も、あなたも。
なのに互いもそれを取り巻く環境も変わっていく中で、互いが互いの手を離さないように、一瞬先、1日先、1年先を約束しながら永遠の方向へ物語を紡いでいこうとすること。
今回のセトリではないけれど、これがまさにTo youの「渦を巻く日々の中、永遠の愛があるならばそれはあなたでしょう」だと思った。
「皆さんの最高で最後のアイドルになります」
京セラのときはどこか照れ臭そうだった彼が、涙で濡れた顔を上げ、同じ言葉をまた手渡してくれた。
私が最初に聞いたのは、Ode to youのDVDで、なんて強欲なひとなんだろうと惚れこんでしまった。
大きなことを恐れず口にできるひとだと思った。
けれど3年たった今、彼にとって、果たしてそれは「大きい夢」なのだろうか。
ファンレターのなかで私はこんなことを書いた
ホシくんが私たちの最高で最後のアイドルになること、Seventeenが CARATの最高で最後のアイドルになること。
今はもう、大きな夢じゃなく、この道の先にあってしかるべき未来なんじゃないかと思う。
私のCARATアカウントの名前である밤は、韓国語で夜という意味です。Seventeenさんの曲でよくこの言葉が使われるのが印象的で、この名前にしました。
それほどまでに夜を見つめ、惜しんでいたSeventeenさんが、太陽で在ろうと言ってくれた今回のツアー「BE THE SUN」。
太陽に向かって火を点けろ
恐れることは何もない。
あなた達が照らす世界ならば、私は自分の姿を目に写そうと思う。
この道の先を見ようと思う。
その先の景色を見るために、歩いて行こうと思う。
大阪と名古屋で会った大切なひとたち。
また、今度。
どうかそれまでご無事で。
全ての災厄があなた達を避けて通りますように。