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晩夏

ホシくんのセンイル以来、ホシくんに関するnoteを書いていなかった。

気持ちが冷めたなんてことはない。
好き。超好き。俄然大好き。

ただ、「ホシくんを好きな私」が「私」に馴染んできたんだと思う。当たり前のようにホシくんが好きだ。

馴染んだけれど「慣れ」ではない。
彼の姿を見るたびに綺麗で、なんだか心地よくて、そのくせ鳥肌が立つくらい高揚して、何度でもびっくりし続けてる…

ただ、そんな驚きの連続が私の日常になっている。

私にとっては変化だった。
そして「好き」だけでは受け入れられない、澱のように沈んだ気持ちも見えてきた。
ホシくんへの思いを吐き出さずにいられなかった前までとは違う。語りたいというのも少し違う。
でもそんな「今」は「今」で書き留めたいなと思って、また書き始めた。 

恐れ

「ホシくんを語る」ということをしなくなった1番の要因は、生きている人間のことをこれ以上「語る」ことが恐くなったからだ。

ホシくんは「アイドル」であると同時に生きている1人の人間で、私が見ている彼は常に一面に過ぎず、そして彼自身が絶え間なく変化していく。

これは本当に、私の個人的な感覚の話なのでうまく説明はできないけれど…私の中で「ホシくんという人についてここまでは大枠として語ってもいいな」と思える部分は「これは光のはなし」と「閉月の艶花」が限度だった。

あとは「アイドルとしての美学について」とか「spiderを通して見えるホシくんについて」とか、テーマを決めて仕舞えばその枠の中で限定的に語ることはできるし、私がホシくんのどんなことろを好きと思うかとか、私がどんな風にホシくんを好きかを語ることはできるけれど、「ホシくんとはこんな人」という語り方はもうできなかった。

これは正しい正しくないとかそういうものの外側にある私の個人的なこだわりです。
大切な人ほど、わかった顔をしたくない。
理解者でいたいけれど、絶対にわかることのできない余白を尊重したい。

…少なくとも口では「わからない」と言っていたい…

誰かが推しを語る姿を見るのは楽しいけれど
自分がそれを不特定多数に見える形で語るのは、なんだかひどく暴力的に感じてしまう。

ほんとは誰よりも分かっていたいのにね。
偽善者め。

畏れ

私はホシくんを畏れている。
彼は私の「理想の人」ではなく「理想の先に立っている人」であり、理解の及ばない人だと思うから。

私が目一杯背伸びして、思い切り腕を伸ばして掴もうとした指先で、僅かに彼の放つ熱だけを感じられるような…そんな人。

ホシくんのダンスを見ていると、彼の世界に対する解釈の自由さに驚く。
彼は彼自身の目で世界を見ている人だと思う。

今から例え話をします。

私は空が青いと思う。
「青空」という言葉を知っているから。
空の色を「青」という色の名前に押し込んで、解った気になって安心して生きている。

だから私は美術の技法を勉強したりしない限りは空を描く時、青い絵の具しか使えない。
でもきっとホシくんは、自分の目で見た空を描くことができる。緑も、黄色も、赤も、白も、黒も…
空の色をそのまま空の色として見て、解釈して、アウトプットすることができる。
…私の目に映るホシくんは、そんな人だ。
「誰かがこう言ったから」じゃなく、「自分にはどう見えるか」で物事を捉える強さと自由さを感じる。

そんな彼を心から敬愛している。
けれど、私はそうはなれない。なれなかった。

別にそうなることが正義じゃない。
そうなることが評価されるわけじゃない。
それが生きづらさに繋がることだっていくらでもあるだろうと思う。

けれど私は「それ」が喉から手が出るほど欲しかった。
いかなる添木も枠も必要とせず、ただそこにあるものを心のままに捉える強さが。
在るがまま、そのまんまの心をのびのびと走らせる大らかさが。

私は「これは光のはなし」の最後をこう締めくくった

ホシくん、私は君になりたかった

なんて失礼な言葉だろうと思う。
なりたい理想像があるならそこに向けて努力すればいいだろと思うし、なんだか彼の苦労やしんどさを軽視してただ羨んでいるみたいで躊躇った。

でも本当に、この言葉の通り、
私は、彼になりたかった。

彼のような人間で在りたかった。
彼の「どんなところ」とかそんな部分的なものじゃない。「生き方」でもまだ狭い。もっと根本的なところ、彼の生き方や思想や感性の源…それっぽい言葉を持ち出すなら「魂」か…

私はホシくんのそんなところを心から敬愛し、渇望し、手を伸ばし、そして届かないことに嗚咽して、
…畏れている。

この一年毎日沢山ホシくんを見て、私の心が動くほぼ全ての瞬間にはホシくんがいて、詮のないことでもあれやこれやとホシくんへの思いを巡らせていた。

ここ最近、すごく不安なことがある。
私は「ホシくん」に正しさを押し付けてはいないだろうか。私の中で思い描く「ホシ」というアイドルに、清く正しく在ってほしいと…その思いが肥大化して彼という人間を押し潰していないだろうか。
ホシくんに限らずSeventeenさんに対しても、自分の理想を押し付けては彼らが見せてくれる様々な姿を曇らせてしまっていないだろうか。

…きっと、しているんだろう。
私の中で「ホシくん像」「Seventeen像」がハッキリしてくるほどに、私はこの不安が大きくなる。

そしてその度に思う。
彼が私個人から一切の影響を受けない海の向こうの遠い存在でよかったと。
彼に「ホシ」というアイドルとしての名前があってよかったと。
私はホシくんの本名が好きだけど、なかなかその名を呼ぶことができない。私が「ホシくん」と呼ぶ時にそれは彼のアイドルとしての名前なのだと思うことで安心している面があるんだ。私の暴力的な押し付けからホシくんというただ一人の人間を守ってくれているように感じるから。

そして今度はそうして距離をとって安心している自分に吐き気がしてしまう。
距離があるからといって押し付けるのかと。
彼らがあの手この手で寄り添おうとしてくれるこの関係に自らの手で線を引くのかと。

正直苦しい。
いっそのこともうどちらかに振り切ってしまいたい。
ただ私はこの苦しみの中を彷徨い続けることが彼に対する誠実なのではないかと信じたい。
苦しみ悩んだ分だけ赦されようと目論んでいる魂胆が透けて見えて(自分の思考なんだからそらそうか)、これもまたエゴなのだろうと軽蔑するけれど…

ホシくん。
それでも、誰がなんと言おうと私の光であるホシくん。
今日もこの夜を照らしてくれるホシくん。
大切で、大切にしていたいホシくん。

心の底から、あなたが大好きだ。
あなたが好きという、根っこのこの気持ちだけは、あなたに出会ったあの日から変わらず輝いている。

ホシくん。
最高で最後のアイドル。
君みたいな宝石、きっともう2度と見つけられない。

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