光の海の片隅
師走の2日、熱い夜、
私は光の海の片隅に腰掛けた。
ライト側500番台、正面向きのモニターより裏側で、メインステージの演出はサイドモニターで見る。桟橋のように左右に伸びる道も、その端の端だけが見える場所。
コンサートの始まりを告げる음악의 신のMVと、そこへ加わるCARATの声。いわゆる「よく見えない」ステージサイド席のボルテージは最高潮だった。
私が今まで経験したどの席よりもあの片隅を護るCARAT達は腹の底から声を出していたし、気持ちよさそうに歌い、踊っていた。
会場全体の声もまた、よく聞こえた。
視点はほぼステージなので、こんなにも光が、声が、ステージに集まってくるのかと驚いた。
そんな光と歓声の波に向かって歌い踊るSEVENTEENの後ろ姿が、モニターの影から見え隠れする。
その背中があまりにもかっこよくて、ボロボロととめどなく零れる涙を拭うことすらできないまま光を振り、叫ぶように掛け声を押し出した。
けれど絞り出しても絞り出しても、私の声が1番大きくなることはなく、その度ここにいる人たちもまた全力で声を振り絞っているのだと思い知る。
光の海の波打ち際に架かる桟橋を渡り、
代わる代わる彼らが会いに来てくれる。
こちらからステージがよく見えないということは、ステージからもこちらがよく見えないということ…のはずなのに、ずっとずっと、気にかけてくれていることが伝わってきた。
CARATの光の海が、SEVENTEENの立つステージを抱きしめているのだとすれば、私のいた場所は抱く腕のさらに指先のあたり。
センターステージに駆けていく彼らはさながらその胸に飛び込んでいくようで、こんなに暖かく、激しく、美しい抱擁が他にあるだろうかとその姿を遠くに眺む。
あの光の海の片隅、抱擁の指先で
それでもなおここにいるCARATは幸せにしてもらっているのだと、「君は宇宙の果てに絶え間なく届く光」なのだと、私たちは指の先まで全力であなた達を愛しているのだと伝えたくて、必死に叫び続けた。
あの場所にいたCARATの想いはひとつだった。
私の届けたい「愛してる」に最も近い時間だったように思う。それはつまり「届いているよ」と伝えることだった。
あなた達の歩いてきた道のり、紡いでくれた言葉、創り上げた音楽、ワールドワイドスターとしては素朴すぎる祈りや、守り続けてくれた「人と人」との愛…そういうもの、言葉にしたり羅列したら溢れていくもの…全部、ちゃんと届いてるよと。
幸せなら手を叩こう、幸せなら態度で示そうよ、とはよく言ったもので、あの場所で私は幸せであることを全身で示したのだった。
アンコールでトロッコが目の前に差し掛かる。
ホシくんと目が合った。
言い逃れようがないくらいに、目と目が合ってしまった。
幸運なことに、トロッコに乗った彼らの表情が確認できる距離に立ったのは初めてではないけれど、目が合ったことはなかった。ホシくんの視線はいつもさらさらと流れていく。
大きく表情を動かすこともなく、少し口を開けて、どちらかといえば無表情で、ファンサもそこそこに、光の海を航海してゆく。
決して淡白なのではなくて、なるべく多くの光をその両目いっぱいに掬おうとしているように見える。それに集中するあまり表情を動かすことに意識が行き届いていない…というように私は感じていて、その姿が胸が苦しくなるほど美しく、風景と呼びたくなるほど大きい。
その目は「CARAT」という大きな生き物を眼差している。そこで「ホシペン」であることはあまり重要な意味を持たない。ただ、CARATをみつめるホシくんの表情を見ていると彼がSTAYで歌ってくれたように「You're the most beautiful moment in my life」と今まさに感じているのだろうと信じることができて、彼の人生の最も美しい瞬間に私もまた立っているという何にも代え難い幸福が湧き上がる。
だから私は、自分の心の真ん中を捧げた最高で最後のアイドルを目の前にして、彼の目が私の個人の姿を捉えなくても、その目に映る光のひとつを私が握っているということがかけがえないのだ。
なのに、
目が合ってしまった。
言ってしまえば「目があった」ただそれだけのことで、ハートを作ってもらったわけでも手を振ってもらったわけでも微笑んでもらったわけでもない。
本当に、ただ目と目が合っただけ。
お見送り会に当たれば、多分参加者の誰もが確実に目を合わせることができる。きっと目が合うということはそれほど特別なことではない。
なのに、私は息が止まるかと思った。
正直怖かった。輪郭を失いそうになった。
その視線の先に立てば「CARAT」以外の私が捨象されるようにでも思っているのだろうか。そこにいるのが私じゃなくても「私」を見出せるし、私じゃなくてもいいのにそこにいたのが私であったこと…
私はあの人の前に立つのが恐ろしい。
けれど私がその恐ろしさに負けず劣らず歓びを感じることができたのは、「愛してる(届いているよ)」と私にできる目一杯で体現できた日だったからだ。
ギリギリ、何かと何かが釣り合ったのがあの瞬間だった。私は一体どんな顔で、ホシくんの目を見つめていたのだろうか。
気づいた時にはトロッコはずいぶん遠くへ進んでいた。その後もあの宇宙の片隅で、全力で歓びを謳い続けた。私はあなたが好きで、あなた達が大好きで、あなた達に幸せだよって伝えたくて、ここにいるのだと。
あの目の先に立ったこと、きらきら輝く煌めきとして書き残したいのに正直私はまだ緊張している。緊張という刹那的な感情の高揚が持続していることが有難い。銀テープの届かない席から確かに持ち帰ってきた、人と人としてホシくんと対峙した私だけの感触。
SEVENTEENの元に降り注いだ紙吹雪は、彼らの歌とCARATの歓声が鳴りやんでからも、規制退場で呼ばれるまで、ゆっくりヒラヒラと舞い続けていた。