Follow Again to INCHEON
韓国のコンサートへ行くこと
昨年7月のFollowソウルコン以来人生2度目の韓国に渡って来た。前回は公演直前まで粘ったけれどとうとうチケットは手に入らず、コチョクスカイドームを外から眺めた後ホテルでストリーミングを見た。それだって紛うことなく幸せだったけれど、いつか韓国のコンサートに参加したいという夢は一旦未来に送ることになった。
こんなにも日本でたくさん公演をしてくれて、抽選という制度も整えられているなかで、それでも韓国のコンサートに行きたいだなんて強欲すぎやしないか…と自分でも思う。
強欲、で間違いないのだと思う。
ただもう少し自分の言葉に落とし込むと、1番大きな想いは「できたはずのことを諦めた記憶を作りたくない」だった。
逆に言えば「諦めた記憶」が私の中にあった。
昨年のCARAT LANDで、チケッティングや渡韓へのチャレンジはおろかストリーミング配信も3日中1日しか見なかった。
チケッティングなんてやり方が分からない、やったってどうせ私には取れない、海外なんてお膳立てされたツアーでしか行ったことがないから自分で手配するのは怖すぎる、韓国語も分からない、仕事も忙しくてどうせ休みが取れない、ストリーミングも金曜はスタートまでに退勤できないだろう、2日だけだと割高だから1日にしよう…
そう考えた結果だった。
そしてすごく、ものすごく後悔した。
正直、全機会応募のうえで全落ちしたHANABIよりもこたえた。
例えば季節柄の繁忙だとか、ちょうど異動のタイミングが重なったとか、プロジェクトの過渡期だとか、ほかにやりたいことがあるとか、そういう理由であればこんな気持ちにはならなかったと思う。
けれどあの日は2年続く慢性的な繁忙のなか、しかも時間外の労働なのに、自分の生活のなかで1番大切にしているものを諦めた。よく考えれば仕方なくなんかない環境を、仕方ないと諦めて変える努力をしなかった。
毎日毎日あなたたちに出会えて幸せだと思わせてくれているSEVENTEENに支えられて深く息をすることができている。SEVENTEENを想うことで私は世界を、自分を憎まずに生きていられる。
そんな彼らに喝采を送って、歓声の波を届け、空っぽのこの手に握らせてもらった光を彼らの動きに合わせて動かし、私が常日頃愛おしく聞いている彼らの歌を彼らに続けて歌うことが一番の幸せで、一番在りたい自分の姿なのだ。
それが最も実現できるのがコンサートの場だから、コンサートに行くことは自分の心を大切にすることでもあると私の中で意味付けている。
義務感とかじゃなく、自分の中で絶対的に大切にしたいはずの時間を、他でもない私自身が疎かにしたことが悔しくて哀しくてたくさん泣いた。
だからもうこんな想いをしたくない、手を伸ばすことすらも諦めた記憶は作りたくないと思ったのだった。
もちろん席は限られているので全通にはこだわっていないし、手を伸ばした先でチケットが手に入らなければそれは仕方ない。お金にも限りがあるのでどこかでは折り合いもつけなきゃいけない。ただ私自身の基準で、やりようがあると思えるものは頑張りたかった。その選択の先に今回の仁川コンサートがあった。
私がCARATになったその年の暮れ、SEVENTEENに出逢ってから経験した「初めて」を書き連ねたnoteがある。その中にはこれから先経験するであろうたくさんの「初めて」も書かれていて、コロナ禍でオフライン公演に参加することすら夢だった当時、夢のまた夢であった「渡韓」つまり韓国のコンサートに行くことも書いていた。
そして3年を経てようやく、その「初めて」に辿り着いた。
めんどくさがりで体力もなく内向的で未知なものが恐ろしくできるだけ回避したい性格の私にとっては、あの空にほど近い5階席へ辿り着くまでの全ての過程が壁だった。
けれど、だからこそ特別だった。
Heaven
コンサート会場であるアシアド競技場の近くには芝生の広場があった。ぽかぽかの陽気に誘われてそこで何人かのCARATさんと開演までの時間日向ぼっこをしていた。
そこにはドレスコードであるセレニティとデニムのファッションを中心にそれぞれの描く「CARAT」を身に纏ったカラフルな人たちが集い、ピクニック会場のようになっていた。
様々な言語が行き交うなかに聞き馴染みのあるメンバー達の名前。大切なぬいぐるみを日向ぼっこさせているひとや好きなメンバーの旗をたなびかせているひともいる。
遠くの方ではCHEERSやソノゴンを踊る集団、近くではSEVENTEENのMVが放映されていて、曲が切り替わるたびに「いい曲だあ…大好きだあ」と思いが溢れる。
ずっとここにいたいと思った。
13
13人。
13人だからSEVENTEENが好きだと言い続けて来た。オープニングステージで降りてきた13人。
「I love my team , I love my crew」
泣きながら掛け声を絞りだした。
私1人の声じゃ届かないかもしれないけれど、この言葉を届けたい人たちが目の前にいる。自分だけが叫んでいるような気がしても何万人で叫べばちゃんと大きな声になって彼らに届く。それを実感できるあの空間はクソみたいな世界を、それでも生きていくための勇気をくれる。
13人で立つためのステージだった。
全ての演出が13人でステージに立つのだという強い意志に基づいて創り上げられたものだった。
きっとステージに立つ前も、ステージに立つ間も、私には想像も及ばないような課題や苦悩があっただろうと思う。けれど13人の顔を見れば眉間に皺を寄せるのではなく、この瞬間だけを待ち望んで駆け抜けたのだと言わんばかりの幸せで満ちていた。
大袈裟じゃなく、人と人はこうやって生きていくことができるのだということが嬉しかった。
13人の名前を、一人ひとりの顔を見ながら呼ぶことができる、その幸せを改めて噛み締めた。
UNIT STAGE
仁川空港からホテルへ向かう電車の中、CARATさんと話していた。ユニットステージはきっとSEVENTEENTH HEAVENの曲たちが入るけれど、一曲もセトリ落ちしてほしくないねと。
屋外だからこそ風を感じながら바람개비を聴きたいし、コンサートの光景を想って作られたHIGHLIGHTも聴きたいし、バキラで踊り狂いたい。各ユニット3曲ずつやってくれたらいいのに…あくまで叶わないものとしてそんな妄想をしていた。
けれどSEVENTEENはそんな夢を叶えてくれた。
하품の長い間奏の後、息を止めてウジさんの「하품」というフレーズを聴いている間に私のなかの何かがシャボン玉のように柔くぷかぷかと西陽さすスタジアムの上空へと昇っていくのを感じた。
back2backは一瞬だって見逃したくないのに、カッコイイ!カッコイイ!カッコイイ!と、ただただその感情だけで涙がボロボロ出て困った。誰かに聞かなくたってわかる。こんなの世界中の誰が見たってカッコイイ。私はこんなにカッコイイ人たちを好きでいるんだ。ガッツポーズでCARAT棒を強く握り直し、激しく振り続けた。
星空の帳から仕立てたような、瞼を閉じて彼らの姿を思い描いた時に見える姿そのままのようなあの衣装も、とにかく嬉しかった。
Monsterでは血を吸ったような鮮やかな赤髪の我らが統括の登場から、絶叫した。最高の彼らに、1番気持ちよく最高!と叫ばせてくれるのがヒポチのステージだと思っていて、今回も例に漏れず、拳を高く突き上げた。
君の目を
五階席だったけれど、双眼鏡を覗けば彼らの姿がよく見えた。バックステージなら表情までよく見えた。
けれどbeautifulを歌いながらバックステージに来て五階席を見上げてゆっくりとCARATの光の海を見渡すホシくんの姿を見て、私は双眼鏡を下ろした。
もちろん肉眼ではホシくんの目を視認することができないけれど、そしてホシくんからもこちらの目や表情は視認できないだろうけれど、とにかく今は目を合わせていたいと思った。
だってもうホシくんがどんな顔で、どんな瞳で私たちを見ているか知っている。口を少し開いて、この世界で最も美しいものを見て心を奪われたかのように立ち尽くす彼の瞳に光の海が揺れる。
何度も見ているはずのCARATの光の海を、まるで生まれて初めて恋に落ちたかのような、けれどなぜか一生に一度きりの夜と知っているかのような…そんな表情でそこに立っていることを知っている。
そして私はその姿を、彼がCARATの光の海を愛するのに負けないくらい愛している。
そんなホシくんの視線の先に立っているのだと思ったら、そうするべきだと考えるまでもなく自然と双眼鏡を持つ手は降りて、ただただ大きな声で歌いつつ、膝の屈伸もつかってCARAT棒を振っていた。
細部まで見えなくたって、あなたは美しい。
You're my Headliner
この言葉に何度救われたかわからない。
人に言ってもきっと理解されないと思ってしまうような苦しみ、改善だけを求めといるわけじゃないから相談することも憚られる悩み、ひとにいうほどではないけれど自分にとっては挑戦だったこと、誰かは引き受けなければいけなかった小さな損、言葉にならない不安を堪えて顔を上げた瞬間…そういう全ての場面を見ているよ…少なくとも見ていようと思いながら君のそばにいるよと言ってもらったような気がした。
応援しているでも、頑張って、でもなく「君の最前列に立っている」と言ってくれたことがストンと胸の奥の奥まで届いて根を張り、「수많은 내일들의 용기가 되어 (数多の明日の勇気となって)」くれた。
私も大切な人になんとか想いを伝えたいと思ったときにHeadlinerを贈ったりもした。「あなたの最前列に立っています」という言葉は誇張でも謙遜でもない真っ直ぐ伝えたい心の等身大の器になってくれた。
そんなHeadlinerをはじめて聴いたときに思い浮かんだのはコンサートの光景だった。
まさにそんな夜だった。彼らが手渡してくれた言葉が私の言葉として自然に胸の中に浮かぶ。
「아름다워라(美しいね)」
いわゆる「最前列」ではなくても、五階席だろうと、ストリーミングだろうと、彼らと私たちとを遮るものが何もないのだから彼らを見ている私の立っている「ここ」が最前列だ。
そして「すべての愛を手渡すこの夜」が明けても、私たちが共に輝いた瞬間を携えて、いつだってあなたたちの最前列に立っているから。
一緒に行こう
当たり前のことだからと、もしくは妄想にすぎないからと、あふれ出した想いをもう一度飲み込むようなことはもうしたくない。
Togetherを聞いていたとき、ふと確信したことがある。
コロナ禍真っ只中で生まれたこの歌は、目の前にいる大切なひとに届いてほしい言葉があって生まれたのだ。
「君」に、これを聞いている他でもない「君」にはわかってほしい、伝わってほしい、知っていてほしいという言葉を声とメロディに乗せて、そしてその先にいる「君」が呼応して、ともに歌うために生まれた歌なのだ。そうして共に立ち上げた帆に風を受けて、各々の渺茫たる海原を航海していくための歌なのだ。
それを実感して涙が溢れた。
「Follow」というタイトルにはたくさんの意味が込められていると思うけれど、「一緒に行こう」も間違いなくひとつの「Follow」だ。
アンコールコンサートで改めて加えられた曲たちが、彼らのメッセージに一層奥行きを出してくれている。
I'll follow you
13人で幸せそうにステージに立つ彼らを見てぐるぐると考えたことがある。
あなた達が笑っていてくれさえすればもうなんだっていい、あなた達がそこにいる姿を見ていられたらなんだっていい、それ以上のことは望まない。私個人に対して何かしてほしいとか、そんなものは何にもない。
これがあなた達の笑顔を見るときに、何よりも先に浮かんでくる嘘偽りない想いだ。
でもいつも笑っていなきゃいけないわけじゃないし、あなた達が一緒にいて、その姿を見せ続けることの裏にある途方もない過程を無視したいわけでもない。だからそのまま口に出すことができない。
何がなんでもあなた達には幸せでいて欲しい。
でもいつも幸せでいなきゃいけないわけじゃない。
あなた達の望む選択をしてほしい。
でも本当はずっと一緒にいてほしい
…と伝えることが未来を負わせる願望じゃなく今まで共にした時間へのI love youとして伝わったならいいのに。
あなた達があまりにも人としてCARATを大切にしてくれるから、私もあなた達を大切にしたいのに、そう思えば思うほど自分の置き場が定まらない。
近づきすぎては見失う気がする。
だからと言ってこんなに誠実に手を伸ばしてくれるあなた達を遠ざけたいわけじゃない。
こんな頼りない人間だけど、こうして振り子のように行ったり来たりしながらこの先もあなた達の最前列に立っていてもいいでしょうか。
「Follow」というコンサートのタイトル、そしてそこで見せてくれた彼らの姿全てが、答えとなって私の手を引いてくれる。
全てを知ることはできないけれど、
全部わかっています。
ドローンによって夜空に描かれたCARATからSEVENTEENへの手紙を思い出す。
いつだってどこだって、輝かせるよ、SEVENTEEN。