adamazein
ホシくん、大好きだよ
…と呟くと幸せな気持ちになれるのは、目の前に相手がいないからなんじゃないか。
反応に困らせることもないし、嫌な顔をされることもない。返ってきた言葉に私が戸惑うこともないし、その後会話が続くわけでもない。
相手をその場に縛らないまま、ただ自分の想いだけを言っていたいんじゃないか。それはとても無責任で軽薄な逃げで、私の弱さの象徴なんじゃないか。
って、何度も私の中の私が、わたしを詰ったけど、でも私やっぱりホシくんを好きでいられて嬉しいんだよ。
何度も何度も自分の心を踏み絵のように試した。
これは本物か?誠実か?エゴじゃないか?暴力じゃないか?消費じゃないか?逃げじゃないか?甘えじゃないか?依存じゃないか?嘘じゃないか?
正直、全部
「そうじゃない」とは答えられない。
「多分そう」とすら思う。
なのに何度踏んでも擦り減ることなくあなたが好きだ。…いや、擦り減って削れて剥がしていけばいくほど、何度確かめても、好きだ、と思う。
偽物かもしれない。不誠実かもしれない。エゴかもしれない。暴力かもしれない。消費かもしれない。きっと逃げてる。甘えてもいるし、依存もしてる。嘘を吐こうと思ったことはないけどそうなのかもしれない。
私の「好き」が何かよくないものになっているとしたら、それは私が弱くて下手くそで歪んでいるからで、増幅して出力させる私という人間が至らないだけだ。
私の「好き」から「私」という器を取り除いたら、ここに在る「好き」は、多分本当に本当に素晴らしいものなのだろうと思う。
とんでもなく理屈の通らないことを言っているのは分かってるけど私は本当にそう思っている。
私は、私のなかに、誰にも…私にすら干渉されない素晴らしいものが在ることを知っている。卑屈な話をしたいんじゃないのに卑屈な話ぶりになってしまうこのちっぽけな人間のなかに宝石があることを、もう知っている。それが嬉しいんだよ。
ねえホシくん、私を燃やしてみてよ
灰のなかに君を映して光るものがあるはずだよ
本当だよ 信じてよ
って言いたいけど、
もちろんそんなことはできないので
私はここに宝石があると知っている、ということを自分の外にのこしておきたい。
ねえホシくん
大好きだよ