好きだ!!
ホシくんの誕生日をお祝いする4回目の今日
私はやっぱりあなたが好きだ。
去年のセンイルnoteを書き終えたあと、正直次はもう書かないかもしれないと思った。
あの人を前にして、そしてこのどうしようもない想いを抱えて、言葉にできることなど一体どれほどあるというのか…そんな無力感と、お祝いするに当たってnote自体を目的にしたくないという気持ちもあり、ホシくんを好きでいる心の真ん中はあまりブレがないから過去に書いた言葉の焼き増しになってしまうのは嫌だった。
けれど私は今日もホシくんが好きだ。
1日1日新しく、あなたのことが本当に大好きだ。
その想いは増すばかりで、まだまだ言いたいことがたくさんある。
お祝いというよりは、ただのラブレターだけど、好きだって言いたい。
私はホシくんという人が好きなんです。
1.
刃のように自身のパフォーマンスを研いで、アイドルとしてもパフォーマーとしてもカリスマ的な存在感を放ち、ソロへの意欲も十分に持っていながら、SEVENTEENというKPOP随一の大所帯でパフォーマンスをする時にその培ってきた強さを最大限発揮するあなたが好きだ。
BLEACHという漫画のなかに「剣を握らなければ おまえを守れない、剣を握ったままではおまえを抱き締められない」という言葉があって、私はどちらかを選ばなければいけないのならば抱き締めることを諦めても、剣を握る方を選びたいと思うタイプだ。
けれどあなたの研いできたものを用いる先にあるもののあたたかさを見るとき、私はあなたのように在りたいと思う。あなたは剣を握ったままでもひとを抱きしめられることを見せてくれたから。
ステージ上でどれだけスポットライトと紙吹雪を浴びようと、CARATのいないステージでは苦しそうな顔をしていたあなたが好きだ。
苦しむ姿を「好きだ」と言うのは人としていかがなものかと思うけれど、あなたの心から求めるものが、あなたが立ち続ける場所にきちんとあるのだとあのとき確信した。
私がホシくんに出逢った2020年はすでにコロナ禍で、そこから2年、私のまだ見ぬ星の海を恋しがる彼の姿を見ていた。今、私はあの星の海を知っていて、その中心に立つあなたの顔も知っている。その上で時々、CARATのいないステージに立つあなたのパフォーマンス映像を見ると、背中を冷たい金属でなぞられるような心地がする。顔が全然違うんだ。
コロナ禍を経て発売されたFace the Sunの中でホシくんはこんなことを書いていた。見せる姿と発する言葉とがこれほどまでに一致する人がいるだろうかと面食らってしまう。
いつも一貫して「CARATのことを想っている」と言ってくれる、その言葉は決してお題目ではなく目の前にいるひとりひとりの人間に向けて発されているのだと実感をもたらしてくれる。
見るたび「この人のこういうところを好きになった」と呟いてしまうような星の海のほとりに佇む姿は、 ホシくんが心から満たされている姿なのだと確信できるのはとても幸運で稀有なことなのだと、いつまでも忘れないでいたい。
描く夢は途方もなく大きいのに、誰よりリアリストなあなたが好きだ。
あなたの言葉にはいつも実感がある。
例えば「ずっと一緒に」とか「永遠に」とか、そんな夢みたいな言葉を夢みたいに語ってくれたっていいのに、
ホシくんの語る有限は、私の知るどんな「永遠」よりも永い。
デビュー(もしくはそれ以前)からの様々な作品、パフォーマンスを見ればどれもその時々のベストを尽くしていることが伝わってくるし、本当に息つく間もなく走り続けてきたことは想像に難くない。
だからこそどこかのタイミングで「そろそろ穏やかな時間を過ごしたい」とか、「HOSHI」としてではない個人の人生を想う瞬間があったって不思議じゃない。
にも関わらず、走り抜いたその先の「波が穏やかになったとき」をホシくんが想像したときに、そこにSEVENTEENとCARATがいること。こんなに幸せなことがあっていいのかとただボロボロ涙を落とすことしかできない。
「未来のことはわからない」という言葉を発することが、ホシくんの場合は予防線を張るためではない。現実を見たうえで、難しいということを承知したうえで、最後に選ぶ言葉が「ずっとずっと一緒にいよう」であること。
現実的な壁にぶつかりながらも、最善を尽くして一日でも長く、明日も明後日も一緒にいようとしてくれる。
5月26日に公開した自主制作WEBサイト、Albusの中で私はこう締めくくった
そういえば、初めてホシくんの誕生日をお祝いした2021年のnoteにもこんなことを書いていた。
明日はどうなるかわからない。ひとりひとりが自分の人生を生きているのだから、互いを想って交わしたはずの約束がそれぞれの選択を縛るものではあってほしくない。
あなたに対しても、私に対しても。
それでも…
ホシくん、私はあなたに出会った日から今日まで1日の例外もなくあなたが好きでした。そういう日々の積み重ねが永遠に限りなく近づいて、いつか「あなたが最高で最後のアイドルでした」という言葉が本物になる日が来たらいい。
それまで、一緒にいられる時間、
互いに最善を尽くしましょう。
2.
隣の芝生は青いとはよく言ったもので、私は私だけの持っている鍵であなたの扉を開いてみたかった。
私の目に映るCARATさんたちがそう見えるから。眩しくて美しくて、決して解けないその人だけの結び目を見るから。
比べるものじゃないとはわかっていても比べてしまうのが私のしょうもなさで、私はただ美しい人を美しいと言って、かっこいい人をかっこいいと言っているだけだなと思って背中を丸め、そんな自分のくだらなさにまた落ち込む。
私の心の真ん中を掴んで離さないあなたへ、私の全身全霊の愛ですら埋もれて見つけられないくらい沢山の愛が降り注いだらいいのにと願う気持ちと、私の全身全霊の想いが私にとって何にも代え難いほど特別で譲れないものであることが同時に成り立っている。これって、矛盾するのかな。
今更正当化したいわけじゃないけれど、この感情を相反するものとして受け入れ難いと思う自分がときどきなんだかひどく奇妙で。
あなたに対するどんな感情も、清濁併呑するくらいの、デッカい人間になれたらいいのだけれど。
きっとこの先も何度も隣の芝生を見ては背中を丸めてしまうけど、私は私を降りられない。
私の芝生が青くなくても、一生懸命綺麗なところを集めて君に冠を編んでもいいだろうか。
君はきっと不恰好に萎れた草の冠だって、ひょいと掴んでその美しく弧を描く頭に乗せ、星空に両腕を広げてくるっと回って笑ってみせる。
そのとき、世界は君のものだ。
この星の全て、あの空の全て
君のためのステージだ。
3.
迷わせないアイドルだ、と思う。
あなたに憂いや迷いや恐れが無いなんて思わないけれど、あなたにとっての「ステージに立つこと」の価値を疑ったことがない。
だから私はあの星の海の一粒でいたいと思う。
あなたを崇め奉りたいわけじゃなく、突き放したいわけじゃなく、責任を負いたくないわけじゃなく、あなたが見てほしいと考えた姿を見ていたいと思うのだ。
아픈 길 を歌ったとき「ただホシが歌を歌ったと思ってもらえたら」と言ったあなたは、「人と人としてあたたかくあれたら」とも言ってくれる。
そのどちらも叶えられるだけの聡明さが欲しい。
例えば私があなたの個人的な連絡先を知っていたとしても、偶然夜道で悔し泣きするあなたを見たとしても、人伝に弱音を吐いていたと知ることがあっても、あなたがHOSHIとしてステージに立つことを選ぶなら私はあなたの背中をさするのではなく、あなたが最高で最後のアイドルだと世界に胸を張る。
あなたがステージに立ちたいと望んでくれる限り、私はあなたの名前を呼び続ける。あなたに向かって歓声と喝采を送り、あなたがこの手に握らせてくれた光を振る。
それだけ。
ただそれだけです。
ひょっとしたら、薄情かもしれない。
本当は「元気ないね、何かあった?」と言ってほしいかもしれない。本当は「疲れたよね、休もうよ」と言ってほしいかもしれない。
でも私たちはひととひとだから本当はどうしてほしいかなんて分からない。私は私なりの精一杯の誠実さを実践して、あなたの前に立ち続けることしかできない。
あなたの柔らかさを無視することになるんじゃないかとゾッとする時もあるし、私なりの「大切にする」があなたの望む「大切にする」ではないかもしれないけれど、それをひとつの選択肢としてあなたの前に、あなたのいる世界に提示し続けることしかできないのだ。
分を弁えたいとか、アイドルとファンで距離を保ちたいとか、そういう想いとも少し違って、きっと私はあなたが友人だとしても、そういう類のI love youを手渡そうとする。
あなたというひとが日々を賭してきた「ホシ」というアイドルを眼差すファンでいることは、あなたを人として大切にすることだ。
私にとっては。
もし、あなたにとってもそうであったなら
私はそれを奇跡と呼びたい。
4.
「花道だけを歩こう」という言葉を掴んでは棚に戻すことを何度繰り返しただろうか。
花道だけを歩いてほしいというのは本音で、けれど花道だけを歩いて来たわけじゃないからこそ出会えたことも知っている。
ただ、あなたが歩いた道に蒔いた種は時を経て綺麗な花を咲かせると信じている。いつか振り返った時、あなたの足元へまっすぐに伸びる道をあなたが花道だと思ってくれたならこれほど喜ばしいことはない。
あなたと出会って私の人生には花が咲いた。
私の歩く道にもちゃんと花が咲くことを教えてくれた。
ホシくんもきっとそうであるように、花道だけを歩いてきたわけじゃないけれど、あなたに向かって歩いてみたら、何度も転んで立ち尽くした私の不格好な道にも花が咲いて、それに気づくことができて、愛おしいと思うことができた。それまでの私じゃ気づくことも愛することもできなかったよ。
そしてあなたにそういう奇跡のような彩りを手渡してもらったのは、私だけじゃない。この世界のたくさんの「君へと向かう花道」が辿りつくのは「君」だから、その両腕をいっぱいに広げて世界一大きな花束として受け取ってほしい。
なんて、私が願うまでもなく受け取ってくれているんだろうなと、星の海の真ん中で両腕を広げるあなたを見れば、思わずにいられない。
5.
朝、目を覚ます。スマホをつける。
待受画面に映る人の美しさに驚く。
部屋を見渡す。
世界で一番大好きな人の顔がある。
好きだ!!!!と腹から声を出すように、感情が爆発する。ずっと慣れることもできず、やれやれ今日も好きだったなと、半ば呆れながら眠りにつく。
毎日一目惚れするようにあなたを好きでいる。
けれどふとした瞬間に(ああ、一緒に歩いてきたなあ)と全身に等身大の重みを感じたりもする。
そんな日常を繰り返した4年じゃ永遠の証明にならないくらいの長い時を、新しい日々を、これからも歩んでいくのだろうか。
あなたに出逢った時は新入社員だった私が、
仕事が辛くて夜中に吐きながらあなたの画像に縋りついていた私が、気づけば5年目。
「ひととひととして」
あなたがくれた言葉を私も仕事や生活のなかで周りに手渡そうと笑顔の裏で歯を食いしばったりもしながら自分なりに歩いてみたら、いつの間にか自分の足で波の上に立っていた。
明日へと踏み出す勇気をどれだけもらったかわからない。
あなたの光を追いながら歩いてきた。
けれど歩いてきたのは自分の足だった。
ホシくんと、SEVENTEENが私にもたらしてくれるのはそういうものだ。
敵わないなあと笑ってしまう。
今日からまた、
共に歩んで欲しい。
6.
つらつらと書いてきたけれど
言葉にできることなんてほんとに一部だ。
私は、自分に入ってくる世界の大部分が、感じる時には「言葉」に変換されてしまうのがコンプレックスだ。
世界はこんなにも言葉にならないもので溢れていて、言葉に依らず“在る”豊かさを理解はしているのに、私は言葉以外のものに対する感受性が弱いのだ。言葉を愛していると同時に、言葉が憎い。
けれどそんな私の世界の中で、あなたは色も匂いも温度も手触りも…光以上に光然として私に干渉する。
だから
もしもいつか私の中の言の葉が全て散ろうとも
君だけはここに、この心に芽吹いて
大輪の花を咲かせてくれると信じている。
7.
私がホシくんを好きになったあの日から毎日幸福に過ごせているのは、きっとあなたが私のどうしようもなさを「受け入れてくれるから」じゃない。
必要以上のしがらみに勝手にもがいて雁字搦めになってしまうような私が、あなたを前にすれば、あなたの方からどっと押し寄せる風に吹かれて、ただ、まっすぐそこに立つことができる。
ただ、真っ直ぐあなたに向かって立ち、
何にも遮られることなく、あなたを眼差して震える心が私の輪郭になる。
私があなたを好きになることができて幸福なのは、あなたが私のどうしようもなさを「どうってことないものにしてくれるから」だ。
そういう人だから好きになった、というわけじゃないのに、あの日稲妻に打たれたように好きになったあなたが、そういう人だった。
ホシくん、好きだ。
大好きだ。
ただそれだけだ。
あなたを見れば何度でもここに還って来れる。
「ただそれだけ」じゃいられない日も、
「ただそれだけ」でいいと思えない業も、
だからなんだ俺を見ろと言わんばかりに、
私の顔にかかったしがらみを
あなたの風はほどいてくれる。
なかったことにするんじゃなくて、
絡まりを解いてくれる、強く、柔く、優しい風。
ここに私がいて
あなたがいる。
ホシくん、
私はあなたが大好きです。