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BE THE SUN 20221120

※3曲セトリバレ含みますのでこれから参戦の方はご注意ください🙇‍♂️


いつから始まっていたんだろう。
大阪に着いた時だろうか、
どこを見てもCARATばかりの大正駅に着いた時だろうか、
ソンムル交換で大好きなCARATさんたちの実存を確認できた時だろうか、
ゲートをくぐった時だろうか、
自分のチケットに書かれた番号と同じ席を見つけた時だろうか、
…その頃にはもう確実に、夢ではない夢の中にいた。

ドームに入った瞬間、本当に、本当にステージが目の前にあった。
アリーナやスタンドの最前ではなく、注釈付きだったけれどセンターステージのほぼ真横。顔を上げてステージを見ればそこと私の間には空気しかなかった。

既に埋まりつつあった会場の熱気とCARAT棒の光がドームに敷き詰められていて、ああ、まるで宇宙船みたいだと思った。
本当に、この熱量を燃料やして離陸し、このままどこかへ飛んでいくんじゃないかと思った。

入った瞬間から涙が止まらなかった。
嗚咽も止まらなかった。
無様にも「うえぇっ」と叫ぶように泣いてしまった。はじめての、「入場」だった。

照明が落とされた瞬間、何か細くて硬い糸状のものがピンと張り詰めるような空気になった。
Seventeenさんの姿が見えてからは、急拵えの双眼鏡を持とうにも笑っちゃうくらい手が震えて上手くいかない。
泣いてる暇なんかないのに涙がボロボロボロボロ止まらない。涙で前が見えない瞬間も、無数の光が玉ボケしたようになるドームの景色は困ってしまうくらい綺麗だった。
ひぃっ、うぅーーーっ、いぐっと声にならない叫びを堪えきれず漏らしながら、でも、涙はなんとか堪えながら、目を開けて前を見る。

ああ、いる。

画面を見ても、双眼鏡で見ても、肉眼で見ても…
確かにそこにいる。
ほぼ真横から見ているので、真っ白な衣装の中にあるスポットライトの影になり暗くなった部分が波打つ様子すら見える。

最初のステージが終わり、VCRが流れ始めるまでのあいだ、ずっと顎が震えて奥歯がガチガチいっていた。こんなこと初めてで、完全に私のキャパシティを超えているのだと分かった。




実は、夢にまで見ていたコンサート参戦だけれど、実際にSeventeenさんをこの目で見ることが不安だったりもした。

Seventeenさんの布教を受けてから2週間でファンクラブ会員になり、変わらぬ熱量で走り続けた2年半。間違いなく古参ではないけれど、もう新規CARATとは呼ばれないくらいだと思う。
HANABIの落選もふまえ、自己の中のSeventeen像と、「そこにいる」Seventeen像の大きな乖離が生まれているんじゃないか、就職後のストレスからの逃避がエンジンになっていたんじゃないか、「人間:Seventeen」の姿をみたら勝手にがっかりしたりなんかしないか…

そんな想いを抱えてはじめてこの目で見たSeventeenさんは、人間だった。

ステージ、客席と分けられていたって、4万もの人々に囲まれた彼らは当然に1人の人間の大きさしかなく、どう考えても13人で担うには広すぎる空間と、13人に集まるには大きすぎる想いを全方位から受けて、そこに立っていた。

そういう意味で、いつも画面いっぱいに映されている彼らの姿ばかり見ていた私にとって、普通の、たったひとりの人間の大きさは頼りなさすらあった。
なのに、彼らはそこに立ち続けてくれるのだ。
愛おしそうに光の海を見るのだ。

そこにいるひとつひとつの光を一人ひとりの人間と認識した上で、しかもその想いや生活に想いを馳せて、それでも尚、その視線と想いを受け止めてそこにいてくれるのだ。

アイドルになったからにはアイドルで、
誰かの救いになったからには最後まで救いで…
義務感とは違う責任感で
そこに立ってくれているのだと感じた。

Seventeenさんを「人間」だと思い知って、
より一層ありがたいと思った。


一方で、それでもそこに立ち続けようとする気持ちもわかる気がしてしまった。
私は人と関わるのは得意じゃないし、ひとりひとりが「違う」ということ、それぞれの感情があり意志があり人生があることが苦しい。
それを考え始めると人と関わるのが本当にしんどく、人混みも本当に苦手だった。

正直トイレの列に並んでいる時にさまざまなCARATさんがそれぞれの想いを持ってこの日を待ち望んで、この場にいるということに途方もない気持ちを覚えた。彼らが打ち上げた花火は打ち上がったが最後、きっとSeventeenさんの意思を離れて思い思いの構図で切り取られた写真が持ち帰られていくのだろう。
それが相手にどう作用するか分からないし、しかも何万人規模だなんて、途方もないと思った。


けれど、コンサートのあの場所では
それこそが、愛おしかった。
こんなにも「違う」それぞれの人生の持ち場から、それぞれのSeventeenとの物語を紡ぎ、それぞれの形で支えられて、それぞれの光を持ち寄ってあの場に集まったのだ。

なんて素晴らしい希望だろうか。

私はきっとこの先の人生で、これ以上に美しい景色を見ることはないかもしれない。
これ以上に愛おしいものに出会うこともないかもしれない。

確信しているのに「かもしれない」と付けたくなるくらい切実だ。

ホシくんも、人間だった。
テンションが上がればセンターステージまで来て一人で悠々と話し、かと思えばステージの端っこでオフになり誰が見たってわかる愛想笑いを浮かべながらモニターを見て、話さなくなる。
今までも見ていたはずのその姿は、おそらく画面を通して見るときに私のフィルターも相まって薄められ、あまり気にしてはいなかった。

当たり前だけれど、自分の意のままにならない人間の固さというか、生身の人間が関わる上での引き際いうか、そういうのを感じた。

どれだけ距離があっても、目に入ってくる情報の要素は変わらなくても、やっぱり感じ取るものは生身の人間のそれで、全然違っていた。

ピリッとしている人、怒っている人、不機嫌な人、言葉を詰まらせている人、言いたいことを言い出せずにいる人…そういう人といる時にくるこの、何らかの共感性の苦しさが刺さる。

「吹雪」と呼ぶにふさわしいくらいたっぷりの紙吹雪が翻り、スポットライトの反射で瞬いて、地球上で見えるどんな満天の星空よりもギュッと敷き詰められた光の海に呑み込まれながら、君は一体何を思っただろうか。
私は、本当にこんなに美しいものがこの世に存在するのかと思った。
君も、きっと美しいと思っただろう。
けれど君と私の「美しい」は一緒じゃないし、美しいと哀しいとか寂しいとか切ないが抱き合わさっているときもある。
今回のホシくんの姿を見て、私は直感的にそういうものを感じた。当たっていようがいまいが、どちらでも構わない。君が私に直接作用した事実が何より大切だった。
あと、何回その姿を見られるのだろうか。

DREAM、ひとりじゃないに続けて、舞い落ちる花びらが流れた時、あの瞬間に私の中に注がれた幸せがあまりに多かったから、危うく私の器から零してしまいそうになった。いや、零してしまったと思う。

舞い落ちる花びらへの執着を捨てきれなかったHANABIの亡霊は、成仏した。
本当に、この目で見れる日が来るだなんて思わなかったし、それもBE THE SUNでセトリを変えてパフォーマンスしてくれるなんて夢のようだった。



ホシくんが
「全てのことは鮮明に思い出せません」と言っていた。続けて「CARATとの思い出は鮮明に覚えています」と言った。
勝手な自己投影かもしれないけれど、後半部分は付け足しというか、CARATを不安にさせないための言葉だったんじゃないかと思う。
少なくとも、「鮮明に思い出せない」ようになってしまった「大切なもの」があったんだろうなと思うし、それを心から惜しんでいるような口調だった。

最後、
「皆さんの最高で最後のアーティストになります」
と言った。
そんな彼が背中を丸め、膝を曲げて椅子の足に乗せ、なんだか随分身体を小さくしていたこと。
きっと顔のアップでは分からなかった。
だからどうということじゃない。自信がなさそうということでもない。本気だからこそ怯むこともある。ただ、私がそんな彼の姿をこの目に映し、こうして思い出して書き留めるに至った、それだけ。
それだけのことがこんなにも愛おしい。

「最高で最後のアイドルになります」と言ってくれた彼に吸い込まれるように落ちてから、2年半。
ホシくんの名言としてあまりにも有名なこの言葉を握りしめ、私はようやく星のひとつになることができた。
その間に再契約をし、「未来を確信できる人は誰もいない」と言うようになった。あっという間のようで人が変化していくには十分すぎる時間が経った。それでもまた、あのドームのステージの上で、その言葉を選び直してくれたことが本当にありがたい。


何かを返したいと思った。
返さなきゃ行けないと思った。
裏切れないと思った。

あなたたちが、生きていてくれさえすればいいと本気で思った。
けれど生きているだけじゃ彼らは「そこ」に居ない。

CARATがどこに居てもすぐ見つけられるように、激しく強く熱く燃えようと決意してくれた13人の宝石たち。

いや、
13人の、青年たち。

ありきたりどころか当たり前の感想しか出てこない。
Seventeenさんは人ひとり分の大きさしかない人間だったし、私の日々は私のものとしてこれからも続いていく。

誰が聞いてもハッとなるような感想は書けない。
それでも色褪せない私の太陽。
いつか思い出になってもきっと私の背中はあたたかい。

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