星よりも星の如く
2年ぶり3度目のウジさんのセンイルnote。
仰々しくTwitterよりも大きなキャンバスを選んでおきながら、あなたに言いたいことはつまるところ、これだけかもしれない。
いつも隣で手を握っていてくれてありがとうございます。
でも今日はもう少しだけお話しさせてください。
SEVENTEENTH HEAVEN が初動500万枚を売上だと言う驚異的な記録が発表された日、ウジさんはweverseに長文で想いを綴ってくれました。
この投稿を見て真っ先に、そんなこと思わなくていいのにと思いました。
世間からしたらものすごく傲慢かもしれないけれど、あなた達が常にCARATを想ってくれていること、ちゃんと届いているよと。
11/8にリリースしたCARAT ZINE、その中の私の作品は「あ、ひかった」で始まり「いま ひかったね」で閉じる形になっています。
今まで暗い場所に蹲っているような気持ちでいることが多かった私にとって、光を見せてくれる存在はそれだけで心からの救いでした。
「光」との出会いはこれまでも何度かあったけれど、SEVENTEENがくれたものは光だけでなく「いまひかったね」と言える心でした。
でもじゃあなんで、私が「いまひかったね」と言えるようになったのかと考えると、それは他でもないウジさんがいつもそばにいると信じさせてくれたからです。
ウジさんのコメントを見て「そんなことを思わなくていいのに」と思ったけれど、「そんなこと」を考えて、自分が浮かれているだけだとしても伝えたいと書き残してくれるウジさんの言葉だから信じられたんです。
3月のCARAT LANDのときに「目の前が真っ暗になることもあるのですがいつもメンバーやCARATを見て立ち上がってきたんです。僕、うまくやれているでしょうか」と。「皆さんを苦しめるクソみたいな世界で、僕たちだけは本当に皆さんの味方です。皆さんが苦しいとき、僕たちが手を握っているということを覚えていて欲しいです」と言ってくれたウジさん。
あの頃の私は周りが見えなくなっていて、なんだかひとりぼっちのように感じた時期だったけれど、ウジさんのメントを聞いて本当に申し訳なくなりました。どうして私はこんなに誠実に向き合ってくれている人がいるのにその差し出された手を自分だけが握っている気になっていたのでしょうか。
私という人間は歪で、不安定で、人が言うには「重い」らしいです。それが決して褒め言葉ではないとわかる表情で手渡されることは多くありました。人の関心と私の関心がどこか釣り合わないんです。だから「私がそうしたいからしているだけ」と考える方が心が傷まないし楽に生きていける。相手に期待しても相手に負担をかけるだけだって学習したはずでした。
でもウジさんにはそういうことをしたくない。
経験則を用いるんじゃなく、ただあなたの言葉に耳を傾けたいと思ったんです。そしてこんな短歌を詠みました。
どうしたら伝わるのでしょうか。
届いてるよって、
距離は遠くても一緒にいるよって。
私にとっては星よりも何よりも綺麗に輝くあなただけれど、見上げて指さして「あ、ひかった」と呟く遠くの対象ではなくてその光が散らした反射も含めて「いまひかったね」と肩を並べる存在があなた達なんです。
あなたには伝わってほしい。
あなたにはわかっていてほしい。
このクソみたいな世界の誰もが「たかがアイドルとファン」と言ったとしても。ファンである私がアイドルであるあなたに「いまひかったね」と語りかけることをイタい妄想だと笑ったとしても。
CARATだけは、いつだってあなたの味方だし、あなたの言葉を信じて受け取っているということを。
それでもやっぱりあなたはきっと
「そんなこと」はしなくてもいいのに
あなたの内にある痛みや苦しみ、葛藤を、自分から先に曝け出すことで味方であることを伝えようとしてくれる。
その度に私は「そんなこと」までしてくれなくていいと思うんだけれど、それは傲慢で、どう考えたってあなたじゃなきゃダメだった。
まるでそれ以外の方法を知らないかのように「そんなこと」をしてくれるあなたじゃなきゃ、ダメだった。
だからせめて私は
遠くに光る星があなたの頭上を離れたことがないように、私もまたあなたの味方でいるのだと言い続けていたい。
あなたの光は届いているし、
あなたと同じ光を見たと思っていることを伝え続けていたい。
雨の降る日も雲のかかる日も
星よりもなお星の如く
その光の手を伸ばして
ときに手を握り、ときに頬を撫で
ときに肩を抱き、ときに涙を拭い
ときに背中を押して
この世界の誰よりも味方でい続けてくれたあなたへ
お誕生日おめでとうございます
あなたの生が私にとっての祝福です