Rain drop on us
好きです。
いつもありがとう。
ある意味これが全部だし、これだけが伝わったらいいなと思う。けれど今日は貴方へ「好き」の雨を降らせてもいい日だと思うから、綺麗ではないかもしれないけれど、この気持ちを綴らせてほしい。
傘を畳んで全身で受け止めてくれてもいいし、
部屋の中からぼーっと眺めててもいい、
見ないで雨音を聞くのもいいね。
何も気にせずあなたのペースで過ごしてくれても嬉しい。
私が貴方に向けるものは、
貴方にとってそんな感じであればいい。
薄明
この一年、私のなかで何が1番大きく変わったかといえば、ホシくんの姿をこの目に映し、名前を呼べたことだ。
ホシくんは「キラキラホシです」と挨拶するくらい、その名前が日本語で「星」であることを大切にしてくれている。
卑屈で生きることに後ろ向きで夜の方が居心地が良かった私にとって、昼ではなく夜に輝く光を重ねられることはとても有り難かった。
けれど実際にこの目に映したあの強烈な光は、そこに収まりきらない。
薄明。
太陽が地平にかかるときのぼんやりとした明るさ
「薄」や「ぼんやり」と言うと弱々しく聞こえるかもしれないけれど、無限に広がる宇宙の闇を映した夜の帷を、たったひとつの恒星が一気に染めあげる…そんな凄まじいエネルギーをあなたは放っていた。
今も夜に瞬いて一緒に歩く星でいてくれるし、
白昼に浮かぶ灼熱の太陽としか言えない時もある。
けれど朝なのか夜なのか、こことそことの境界すらも溶かすようなあの不思議な光はあなたにぴったりだと思った。
夜は昼に縁取られたものではないと、
昼に居場所がなければ夜にいるしかないわけではないと教えてくれた。
気がつけば私は夜ではない場所に立っている。
強烈で、ふたつとない、けれど柔くあたたかい
私の薄明。
パフォーマンスリーダー
ホシくんのパフォーマンスに懸ける想いが好きだ。
いや、好きなんて穏やかなものじゃない。
「心」よりもさらに奥深く揺るがないところに「魂」というものがあるならば、その「魂」が抗えないような引力がそこにある。
環境要因である「役割」にフォーカスをすること、その人自身を見る姿勢としてどうなんだろうかと悩むこともあったけれど、パフォーマンスリーダーであることはホシくんの「役割」であると同時に、きっと1番こだわってきたものでもある。
だからホシくんの最も譲れないもので、最も固いところで、それを見てかっこいいと思うのは自然なことなのかもしれない…最近はそう思うようになった。
ホシくんには健全な自信がある。
それと同時に健全な謙虚さもある。
ときに凶器にもなり得る歓声と喝采に対し、臆すどころかいつだって気持ちよさそうで、彼が潰されるんじゃないかと不安に思ったことがない。
その理由のひとつが彼の健全な自信なのだろうと感じる。
一方で健全な謙虚さがあるから「まだ上がある」とストイックに登り続けられるんだと思う。
ステージに酔っているように見えるのに、そこに相応しくあろうとする姿勢はゾッとするほどシビアだ。
ホシくんがパフォーマンスリーダーである理由は、きっとダンスがズバ抜けて上手いからではない。
全員があれほど技術があって、その上で目一杯練習して、それぞれの身体を最大限活かしたダンスをするんだから。
ただ「Seventeenのパフォーマンスリーダー」であることへの矜持、そこに懸ける想いは圧倒的。
「一番」という表現は暴力的だからあまり使いたくないけれど、でもこれだけは敢えて言いたい。
Seventeenというチームのパフォーマンスを「最高」にすることを一番考えて走り続けてきたのはきっとホシくんだ。
リーダーだから当たり前なんてことはなくて、
全員が全力で真剣に上を目指している最高のチームのなかで、それでも(自分が…!)と限界からさらに踏ん張って足を一歩前へと持っていけるひと。
それをデビュー前から続けてきたひと。
その熱は想像を絶する。
ホシくんを見ていると「自分の意志がTeam SVTの限界を決める」とでも言わんばかりの覇気と緊張感を感じる。
モニターチェックをしてる時の顔が一番恐ろしく、カッコいい。
あの熱はホシくん個人の欲や「我」と呼ばれる類のものだろう。
ライブ中に「あぁ、ステージで死にたい」と言ってしまうくらいステージに命を賭している彼を、真に満たせる場所はあそこなんだと思う。
一方で「パフォーマンスリーダーとしてのホシ」は、どこまでも冷静で、周りを見ていて、自分を活かすも消すも全てはチームのためにと考えている。
ある意味で徹底して「献身」のひとだ。
その烈しさと堅さが、私の魂を激しく揺さぶる。
最後
その言葉を聞いたとき、なんて欲張りなひとだろうと思った。
だって「最高」と「最後」だ。
その人の「最後」まで「最高」で在り続けるということだ。
あの日から人生最後に「私の最高で最後のアイドルはホシくんでした」と言うことは、私の夢になった。
この言葉を聞いた瞬間、私は永遠を見た。
年齢、容姿、体力、集客力…
一度CARATになってしまえば大して重要じゃないと思うそれらの要素だって、きっと年を経るごとに無視できないハードルになっていくはずだ。
けれどSeventeenの期限としてその何れでもなく、なんなら「死ぬまで」という寿命ですらなく、「13人で作り上げる姿」を挙げていることに明確な“永遠”への意思と覚悟を感じた。
いちにち、あといちにちを、
いちにちでも遠くまで紡いでいくこと。
Seventeenの「最後」から私の「最後」まで、彼らの姿を思い出として反芻する期間はもしかしたらさほど長くないのかもしれない。
この言葉を見て、それはもう「すべて」じゃないかと思った。
「最高」と「最後」以外の波が穏やかになる瞬間も一緒にいようといってくれるのか…と。
楽しい瞬間や最高の瞬間だけを共に過ごすのではなく、ただ連綿と続いていく日々も一緒にいようと言ってくれたこと、グッときた。
なんて素敵な覚悟だろうと思った。
そして今年の5/26、8周年の日。
大変なひとを好きになってしまったと思った。
私の夢は「最後」に「あなたが最高で最後のアイドルでした」と言うことだ。
生まれ変わってもまたホシくんに出逢ったら…
正直、生まれ変わりを信じて生きているわけではないし、生まれ変わっても人として生きたいと思えるほど私は前向きじゃない。
けれど「生まれ変わる」と言えるくらい「私」を引き継いで、「生まれ変わる」と言えるくらい「ホシくん」を残したひとを見つけたら。
絶対にまたどうしようもなく好きになってしまう。
それならまた夜と朝を何度も転げ、泥の中を泳いで生きてみてもいいと思える。
だから私の夢は次の人生まで持ち越すことになる。
人と人として
リムジンサービスで、ホシという芸名についてこんな話をしていた。
あなたの歩いてきた道が
あなたの選択であることを願っていた。
私が全身全霊で肯定しているのは
あなたの選択してきた道だと思いたかった。
けれどその道の途中にはあなたのものだけでない選択も数多くあっただろう。
私が好きな「ホシ」の中にはあなたの意に反する選択もあったかもしれない。
その瞬間、会社はアイドル個人の意思を尊重してほしい、ホシくんには自由であってほしい、あなたの選択を見ていたいのに、と思った。
けれどハッとした。
これは「アイドルだから」ではない。
組織の中で働く以上自分の選択だけで進んで行くことはできない。けれど自分ひとりではできないことを実現するために、組織に所属するのだ。
自分の選択だけで物事を進められないことそれ自体は、別に何かが蔑ろにされているわけではない。
芸能人ではない、ありふれた会社員として生きてきた私でさえそうなんだ。
あなたを取り巻く問題やあなたの痛み、あなたの葛藤から目を逸らしたいわけじゃなくて、きっと私たち、綺麗事以上に簡潔に、同じ社会を生きている人間なんだね。
ただ、その道を振り返った時に「間違いだった」と思うことがなければいいと思う。
君の選択の過程を知ることもそこに作用することもできないけれど、振り返った時に見える景色は一緒に作ることができる
組織の中の社会人でありながらこの感覚を持つこと、私がホシくんを尊敬し、見習いたいといつも意識することの一つだ。
私の仕事は、人と関わる仕事だ。
それと同時に大きい括りでは金融業界で、あらゆるものを金銭換算していく。
「お役所仕事」といわれることもあるし、サンドバッグのように罵詈雑言を受けることもたくさんある。
私の仕事に限ったことではないけれど、「人」であることが忘れられやすいし、こちらの意識からも相手が「人」であることが薄れてしまうことがある。
その度にホシくんを想う。
私の仕事の先に人の生活があること、その人にも日々があり、息遣いがあり、その人が守り守られてきた宇宙があること。
ホシくんを想えば、その当たり前の事実がよく見えてくる。
そうやって日々の行いの中に想いを落とし込むとき、ようやくホシくんの「人と人としてあたたかく過ごせたら」という言葉がきちんと自分の心に着地し、芽を出すような気がする。
私たち、いつも人と人としてあたたかく在りましょう。そう願ったことを忘れずにいましょう。
今は君だけが
CARATになったばかりのころ、ホシくんのこの言葉が好きだった。
けれどその時の「好き」の裏側には、彼の言葉から「卑屈さ」を読み取って安心している自分がいた。
当時の私は、自分が自分としてしか生きられないことに途方もなく絶望していた。
何者にもなれないどころか歳をとるごとに自分の目の前にクリアできていない「あたりまえ」が列を成し、頼むからもう許してくれと首を垂れて生きてきた。
そんな私のコンプレックスをホシくんの言葉にドンと乗っけて「“自分なんかが”誰かの幸せになれるなんて」というようなニュアンスを読み取っていた。
もちろん実際のところはわからない。
けれど2023年の私が久しぶりにこのホシくんの言葉を聞いてみたら、そこまでの卑屈さは感じなかった。
ホシくんのやりたいと思うこと、
誰かの光になりたいと思うこと、
そんな彼自身の思い描く理想に向かって妥協なく突き進んできた道が、現実にCARATひとりひとりの幸せとなっていた…その一致が奇跡のようで有難いと言っているように感じた。
あなたが積み重ねてきたものなのに、どこまでも真っ直ぐで謙虚なひとだと思う。
好きの安心材料として自分の文脈に無理やり引っ張り込んだあれこれが、少しずつ代謝されている。
今年の春に発行した私家版歌集、薄明にこんな歌を載せた。
2021-2022年の私はまさにそんな感じだった。
本当に、四六時中ホシくんのことばかり考えていたはずなのに、段々自分が何を見ているのか分からなくなっていった。
喩えるなら「HOSHI」という文字が印刷されたポスターがあって、その文字列の意味するところが分からないと言うのではなく、文字に近づきすぎて、視界には真っ黒なインクだけがあるような…
それが果たして文字なのか、文字だとしてどういう形なのかすら分からないような状態だった。
けれどあなたのことを見つめ続けるなか
あなたを見つめる人たちと関わり続けるなかで
私はあなたと私の違いをわかるようになってきた。
いや、違いから目を逸らさずにいられるようになってきた、と言う方が適切かもしれない。
私と同じ卑屈さを持ってなくても
私があなたになれなくても
箇条書きにした「好き」を全部破り捨てても
もう決して見失うことはない
どう足掻いたってあなたが好きだ。
さらに言えば、あなたのおかげでその光に「卑屈さ」というフィルタをかけなくて済むくらいには顔を上げられるようになった。
おかげでホシくん、あなたの美しい姿が
今はよく見える。
But I Luv U
考えても考えても、
私はあなたが好きなのに
考えれば考えるほど、
私があなたを好きな理由に特別なものはない。
あなたのステージを見れば心が動かない人はいないだろうし、その頬をもちあげて目を線にして笑う姿を見れば誰しも顔が綻ぶ。
誰がどう見たってカッコよく、
誰がどう見たって憧れる。
「運命」が何か特別な糸で結ばれたものなのだとしたら、私とホシくんの間にそういうものはないと思う。私だから気づくことができた魅力があるわけではないし、共通点があるわけでもない。
思えばあなたに対して「わかる」という実感を抱いたことがなかった。ずっとずっと、あなたがわからないと言ってきたように思う。
あなたはCARATを「僕の奇跡ちゃん」と呼んでくれたけれど、私もあなたは「奇跡」だと思う。
そうなるはずだった「運命」よりは
そうなるはずがなかった「奇跡」だ。
あなたと私が最初から糸で繋がれていたんじゃなくて、無数にある糸の中であの日掴んで手繰り寄せたものがあなたに繋がっていた。
そんな奇跡で出逢ったが最後、
蹴破るくらいの勢いでどんどん「好き」が膨れ上がり、あなたは私の心の真ん中どころじゃなく、心ごと押し広げていった
理由がないとか、説明がつかないとか、
正しいとか、役に立つとか、美しいとか、
全部全部置き去りにして、ただ「好きだ」という実感が何よりもハッキリとここに、
この、私の存るところに、
私の自我を上回るくらいの確かさで、
存在している。
これは2023.6.15の私なりの「I Don't understand But I Luv U」だ。
そういえば大学生の時に読んだ「I love youの訳し方」という本の中にこんな言葉があった。
ホシくんに 「I Luv U」と思ったとき、ふと思い出した。
あなたに対してそう在りたいと思った。
それと同時にあなたの道を彩る花で在りたい
今のあなたが見たくないものや聞きたくないものをふんわりと隠しながら積もる雪で在りたい
時が来たらその雪を溶かす春で在りたい
あなたの隠したい姿を包む夜の帷で在りたい
あなたが進むときには追い風で在りたい
けれど何か1つを選ばなければいけないとしたら
やっぱり、
あなたを包み込み、
あなたが目を輝かせて、
愛おしそうに見つめる
あの満天の星のひとつになりたいと思う。
ああ、
こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。
私は毎日「I Luv U」と祈り続けている相手に対して、一番在りたい姿になることができている。
それもこれも、
全てはあなたが創ってくれた宇宙だ。
ホシくん、
私があなたの誕生日に贈りたい言葉は、
初めてお祝いした2年前から変わらず「生きてきてくれてありがとう」です。
海の向こうに生まれたあなたが
人前に立つ道に進み、
KPOPも男性アイドルも無縁だった私に届くぐらいの光を放ってくれた。
だから今の私があるし、その後もあなたが踏み固めた道を歩かせてもらっています。
そんな私の立場から「生きているだけであなたが好きだよ」とはどうしても言えないんです。
もちろん生まれてきてくれたことは紛れもなくあなたのはじまりだし、あなたの命を、魂の存在を心から祝福しています。
けれど一番はあなたが歩いてきた道に、
歩みを止めずに踏み出し続けたひと踏みひと踏みに、全身全霊で感謝しているのだと伝えたいんです。
ホシくん、
私の星、私の薄明、
私の海であり、風で、宇宙、
そして違う国に生まれ違う言葉を話す
私の、アイドル。
今年もあなたのお誕生日をお祝いできることが心から嬉しい。
お誕生日おめでとうございます。
生きてきてくれてありがとう。
独り言
ああ、もう、
この幸福と感謝が全てでいい。
この章の前までの語りなんて消していい。
貴方に手紙を書くならこの章だけを贈る。
なのに私の生活や思想、替えようのない「私」にあなたの光が織り込まれて色を変えていくこの全ての過程が、愛おしくって消せないんだ。
きっと、あなたは本当に
孫の孫の代まで人々を照らす。
あなたが舞台から降りてもその光を見つけて目を逸らせなくなるひとがいるでしょう。
けれどこの生臭さは今を共にする私にしかないものだから、書き残させてください。