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An Ode Teaser × Dead Poets Society

SeventeenさんのアルバムやMVは、映画のオマージュになっていることがあると聞きます。
今回はタイトルの通り、An Ode Teaser の中に散りばめられたDead Poets Society(邦題:今を生きる)の要素について考えてみます。

私は一度もこの映画を観たことがなくて、Seventeenさんのオマージュ元という話を聞いて初めて興味を持って観始めましたが、昨夜この映画を観終えた今の率直な感想を言うと、かなり動揺しています。

良い映画で、良いオマージュでした。
だからこそ酷く共鳴してしまって胸が苦しい。

こちらを読んでくださる方は、ネタバレもがっつり含みますのでどうか慎重に進んでください。

映画のあらすじ

伝統と規律を重んじる全寮制進学校で、抑圧される日々を送る17歳の生徒たち。
転任してきた英語教師・キーティングは彼らに「Carpe Diem(今を生きろ)」という言葉と共に自分の心の声に耳を澄ますよう訴えかける。
その型破りな授業を通して生徒たちは自分が何をしたいか、どう在りたいかを考え始めていく。

Dead Poets Society in Teaser

【Teaser】
🔗[Prologue]An Ode 1 :Unchalned Melody

🔗An Ode 2 : Fear

⚠️以下ネタバレ注意⚠️
※挿入画像は全て上記YouTube動画のスクリーンショットです。

映画の中で使われているテキスト「詩の理解」は詩の良し悪しは数値で評価することができると主張する。

キーティングは「こんなものはクソッタレだ」と言い放ち、該当ページを全て破り捨てるように指示する。

そしてその破り捨てた紙を屑籠で回収する。

自分の力で考えることを学ぶのだ。
誰が何と言おうと、言葉や理念は世の中を変えられる

そう説きながら詩の授業をし、生徒それぞれの「詩」を問う。

そんなキーティングもかつてはその学校の生徒であり、「Dead Poets Society(死せる詩人の会)」の会員だった。寮を抜け出し、洞穴の中で詩を読みあう会。その話を聞いた生徒たちは懐中電灯を持って洞穴へ向かい

自己を解放し、詩を読み合った。
サックスを即興演奏する夜もあった。

その洞穴に持ち込まれた灯りは人形の形をしたランプだった。映画中では「洞穴の守神」と呼ばれていた。

会を始める合図は一編の詩。

私は静かに生きるため、森に入った
人生の真髄を吸収するため
命ならざるものは拒んだ
死ぬ時に悔いのないよう生きるため

そして蝋燭(知の光明)が灯される。

キーティングの授業では徹底して心の声に耳を澄ますように促す。

列を乱さぬよう、規律を守るよう教えられてきた彼らに対して

自由に歩き回る練習をさせたり
(歩かないことすらも自由)

自作の詩を発表する授業で、周囲の目を気にしてしまう生徒に対して

その手で目を覆いながら

「君の見えるものを描け」
と伝えたり…
(Describe what you seeは作中の台詞そのまま)

そう言った経験を通して、生徒たちは次第自分の在りたい姿を見つけていく。


⚠️以下、映画結末のネタバレになります⚠️

キーティングの授業を通して、「自分は芝居をやりたかったんだ」と確信した生徒がいた。
父親は彼の意思によらず医者になるよう強要し続けており、彼自身もまた優秀で従順な息子を演じ続けていた。

そんな彼が初めて父親に抵抗し、芝居の役を掴み取った。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に登場するパックという妖精の役。

枝と実の冠が特徴的な衣装。
生まれて初めての父との衝突に困惑しつつも

僕には芝居しかない

と涙を流す。

芝居は大成功を収めるが、出張を押してまで見に来てくれた父はそれでもなお反対し、陸軍学校に転校させると言った。

「お前の可能性を無駄にはさせない」

ー僕にはやりたいことが

「なんだ言ってみろ、くだらん芝居がいいか」

ー…何も

その言葉を最後、彼は何も言わなくなった。

そしてその夜

父親の書斎にあるピストルで、自ら命を絶った。


彼の死について
父親は学校に、
学校はキーティングに責任を押し付けた。
そしてキーティングは職を追われた。

キーティングが教室から去る時、1人の生徒が立ち上がり、机の上に立った。
かつてキーティングが授業の中で教卓の上に生徒を立たせたからだ。

物事を常に異なる側面から見つめるため
分かっていることも別の面から見直せ
どんなにバカらしく見えてもやってみろ

校長が「退学にするぞ」と制止するなか、
最後にはクラスの半数以上の生徒が机の上に立ってキーティングを見送った。

所感片々

まだ心臓がバクバクしている。
映画そのものの内容を受け止めるだけでも精一杯なのに、今回はそれと並行してAn Ode の内容まで流れ込んでくる。
エンドロールが流れる間、吐きそうになっていた。

我々はなぜ詩を読み、書くのか。
それは我々が人間であるという証なのだ。

私もそう思う。
そう信じながら詩や文学に縋り、
そう信じながら国語の教員免許を取った。

だからといって私はキーティングの行動を両手を挙げて称賛することはできない。
「自由」と「自分の頭で考えること」はある意味で非常に暴力的で、苦行でもあり得るから。
17歳という柔らかい心を持つ生徒たちに「自由」という劇薬を注入することは、大きな危険を孕む。
ただ「抑制」しか知らなかった彼らは、キーティングのような大人に飢えていたのだとは思う。
あとはただ、信念の問題。

ただ、Seventeenさんからは
「世界を自分自身で定義しよう」
「君の選択を尊重する」
といったメッセージが手渡される。

지금부터 해방 뛰어!
今から解放 走れ!
ーHIT

そして彼らは「解放」を選んだ。

Describe what you see.

このシーンでキーティングの立場をスンチョルさんが、
トッドという詩に魅了された生徒の立場をウジさんが担っている。

周囲の生徒に笑われながらも、目を覆われて心の声に耳を澄ます。そして詩を読み切ったとき、束の間の静寂の後生徒からは拍手が巻き起こった。

君はまだ恐れている

恐れ…「Fear」。
まずは目を閉じて、自らの内側に潜む恐れに向き合うこと。彼らの「解放」はそこからはじまる。

洞穴の中で行われる「死せる詩人の会」は自主制作アイドル・Seventeenさんたちの話し合いの様子も彷彿とさせる。

마음이 이끄는 대로 움직여
心の導くままに動け
숨겨왔던 꿈
隠していた夢を
Up in the sky
空に掲げて
ーHIT

そして芝居の夢に向かって駆け抜けたニールの立場をホシくんがやっていた。
「僕には芝居しかない」と言うニール
「ステージの上で死にたい」と言うホシくん。
よく似た欲を抱えた2人。

ニールの死の理由なんてわかりっこない。
本人にだって分かっていなかったかもしれない。
でももし、不躾にも私に彼の死の理由を想うことが赦されるのなら…それは彼自身が彼の夢を否定してしまったからではないかと思う。

陸軍学校に転校させると言う父に「僕にはやりたいことが」と最後の抵抗をするも、「くだらん芝居がいいか」と問われて「何も」と答えた。
「芝居も見ずに」ではなく、芝居を見に来てくれた父にそう言われたら私もきっと絶望する。
そこで彼の夢はきっと、死んでしまったのだ。

ホシくんの構えた銃は
ホシくんを撃ち抜いた。

けれどホシくんは今、生きている。
そして、今を生きている。

ホシくんの夢はホシくんの手で掴み取ったものだ。
けれど私は、ホシくんがニールのような環境に置かれなかったことに感謝せずにはいられない。


ニールの死を知ったトッド。2人は同室だった。
芝居に魅了され、その夢に駆けていく姿を誰よりも近くで見ていたトッドが雪景色のなか、微笑みながら呟いた言葉。

綺麗だ


そしてその直後雪原に嘔吐した。

こんなに苦しい「綺麗だ」という言葉を私は聞いたことがない。大切な人の死に直面したひとの言葉のなかでも、こんなに哀しい表現は見たことがない。


この映画の良いところは、生徒たちに「自由」と「詩」を授けたキーティングがニールの死について最後まで悩み悶えるところだと思う。
「彼は夢に生きて死んだのだ」なんて美談に収束させない。自分の頭で考え続けるからこそ、きっと一生苦しむのだ。

「解放」の苦さも映したこの映画を、
それでもオマージュの中心に据えようと判断したSeventeenさん達。
その事実を私はただ噛み締める。


「君はまだ恐れている」と言われたトッドが
自らの意思で反旗を翻すラストシーン。

우리를 위해 이 노랠 부르자
僕らのためにこの歌を歌おう
한계를 넘어선 우리는 HIGHER
限界を超えた僕らは さらなる高みへ
거칠은 새벽을 끝없이 달려
荒々しい夜明けを果てなく走って

지금부터 해방 뛰어
さあ今、解放だ 走れ


ーHIT

ずっとこの部分が響いていた。
頭の中をじゃない。
腹の中。声を出す源。
私も共に「僕らのためにこの歌を歌おう」と歌っているような気がした。

An Ode。ある叙情詩。
HITをはじめとする様々な「詩」
そのタイトル曲は「Fear」…恐れだ。

そして行われたワールドツアー、「Ode to you」
恐れを孕みながら、他の誰でもない君のための詩を届ける。

世界一優しい彼らによる
私達のための
世界を巻き込んだ反撃の狼煙。

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