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LOVE

私の奇跡に僕の奇跡と呼ばれた日。
私は初めてあなたの名前を呼ぶことができた。

歓声を聞いて、嬉しそうどころか大興奮で、손오공で踊り狂って、あっちに行ってこっちに行って…
私の声が、どんなに張ってもドームの蠢きに呑み込まれていくような私の声が、他のCARATと合わさって彼の鼓膜を揺らした瞬間、明確に呼応してくれるホシくんの姿が私の心の中でぶわあっと膨らんで、幸せ以外の全てを押し出してくれた。

会場全体を巻き込みながらゲームをする彼らを双眼鏡で見る。オンラインストリーミングではカメラが映しているところしか見えないから少し歯痒かったけれど、今回は思う存分、会場ごと視界にいれて楽しむことができた。

一つ一つの曲についての感想は割愛するけれど、
悪態をつくことすら自分の弱さと感じてしまう日々の中、数万人が一緒になって「このクソみたいな世界で」と謳うのはとても有難い光景だった。

その後焼け野原に咲いた紅い花。
衝撃だった。
今までの「舞い落ちる花びら」のイメージはそれこそMVのような薫風に舞う淡き花びらの色だった。花の盛り、必ず訪れる終わりすらも慈しむような美しさ。
けれど今回見た舞い落ちる花びらは、再生だった。
一度舞い落ちた花が、それでもまた…と決意を新たにもう一度生まれ直すような力強さだった。
最後に握りしめた手は舞い落ちる花びら以外の何かを掴み取り、固く握りしめているようだった。

そこに重なるCARATの歌声。
「あなたは花」

一年前にカラオケの一室で見たHANABIとも、
半年前に初めて現場に立ったBE THE SUNとも違う
この物語を読める立場にいて、心から幸せだと思った。

17日のスローガン「봄바람보다 따뜻한 사랑에 감사해요(春風よりもあたたかい愛に感謝します)」を見て、「夏よりもあたた…あつい愛」と言ってくれた。
「あたたかい」と「あつい」の違いを理解して、使い分けるくらい日本語という言語の意味や使い方に関心を持ってくれていることが有難い。

ホシくんといえばパフォーマンスだし、楽曲制作の時に音のイメージをダンスで伝えるというくらいだからダンスでアウトプットするのが得意な人なんだろうと思うけれど、私はホシくんの紡ぐ言葉が好きだ。

皆さんは僕たちに会いたいときどうしていますか?weverseを見ますか?YouTubeを見ますか?インスタを見ますか?Twitterを見ますか?ストリーミングを見ますか?直接逢えなくてもいつでも僕たちを見ることができます。でも僕たちはそうじゃないです!!かわいそうじゃないですか!

ホシくんメント

ホシくんかThanks toやこうしたお手紙で話してくれるとき、例示や羅列をよく使う印象がある。
自分が例示や羅列をするときは根底にどういう想いがあるかなと考えてみると、自分の描いているものを齟齬なく伝えたいという想いだったり、その例示を出した目的のテーマについての強調だったり、その情景や読んでいる時間の経過を共有して没入感を高めたい時だったりする。
もちろんそんな明確な意図があるのかはわからないけれど、少なくとも「伝える」ということについての前のめりな気持ちがなければこういう表現にはならない、と私は思っている。

どれだけCARATに会いたかったか…!!
と、一言で言ってしまうこともできるのに、最後には「かわいそうじゃないですか!」と訴えかけてすらくれる。

母国語ではないのに、
母国語ではないからこそ、
感情の乗る表現で、私たちが「ネー!!」と答える間もたくさん作って、あのLOVE Letterを書いてくれたんだろうなと想いを馳せる。

Seventeenのメンバーには13人それぞれの愛の表現がある。
微笑みながら話してくれる人、
真剣な顔で話してくれる人、
1日目と2日目で内容を変えてくれる人、
同じ内容を2度伝えてくれる人、
友達のようにフランクに話してくれる人、
少し畏まって伝えてくれる人、
長い文章を一生懸命読んでくれる人、
短い言葉にたくさんの想いを詰め込んでくれる人…

だからSeventeenが好きだ。
13人だからSeventeenが好きだ。

そして私はホシくんが好きだ。
ホシくんの愛し方が好きで
ホシくんを好きでいる私が好きだ。

同時にメンバーそれぞれの愛し方も好きで
そのメンバーを好きでいるCARATが好きだ。

僕らが蟻のように小さく見えても来てくださってありがとうございます。

ホシくんメント

その言葉でBE THE SUNで涙を流してたホシくんの姿を思い出した。
トロッコで回った先からステージの方を見たらあまりにも小さく見えて、それでも会場に来てくださるのが本当に有難くて申し訳ないと言ってくれていた。
当時「ホシくん、あのね」というnoteでこんなことを書いた。

魔法みたいな話だけれど、本当に、本当にステージの上に立つ貴方達の姿はよく見えるんだよ。
貴方たちのいないステージはあんなに遠いのに、貴方たちが立った途端に距離が圧縮されるんだ。
貴方たちが届けてくれるパフォーマンスは、物質的な光の反射を超えて、もっと綺麗なものも眼に見せてくれるんだよ。

あなたにはわかってほしい。
あなた達がどれだけのものを私たちに届けてくれているのか。
私たちを数、集合として捉えず、一人ひとりの立場に立って考えてくれるのがどれだけ稀有なことか。

私事ではあるけれど、京セラドームに行く時は祖父の経営する中華屋さんに行く。大きなお店ではないけれど創業55年。その店の規模からは考えられないくらいの売上を出し、地域に愛されている。
祖父が言っていた。
「一年に一度しかお店に来れないひとも、月に一度のひとも、一日に二度来てくれる人もいる。その一人ひとりに支えられてここまで来れた。だから売り上げや人数ではなくて、一人ひとりに届けるつもりで鍋を振るう。」

その言葉を聞いてホシくんのことを、
そしてSeventeenのことを思った。

私も社会人になって4年目。
まだまだペーペーだけど、自分の仕事をただこなすのではなく一人ひとりに届けるつもりで毎日続けていくことがどれだけ難しいかは、痛いくらいに分かる。

けれど私はもう「まあ仕事なんてそんなもん」と開き直るわけにはいかない。
口で言うほど誠実でい続けることは容易くないけれど、それを何万人に向けて実践し続けてきた人を好きでいて、その人達の歩いた道の上で私は深く息を吸うことができているから。


ありきたりな表現だけれど、Seventeenに出逢って世界が美しく見えるようになった。

結果に現れずとも、誰に認められずとも、泥臭くっても、お天道様が見ているように、Seventeenがいてくれる。
Seventeenが私を指さして素晴らしいと言ってくれるわけじゃないけれど、私の世界にはSeventeenがいて、CARATがいる。そこでは私は「私の思う誠実さ」「私の感じるもの」が赦されると思える。
赦されるから、自由になれる。
自由になれたから、世界が美しい。


「僕らだけは時間に追われても忘れないで」なんて
「僕の手を放さないで」なんて
放せるわけがないのにね。

畏れ多いにも程があるけれど、Camp fireは名前を呼ばれてるみたいな気持ちになれて嬉しい。
そもそもSeventeenの歌う夜が好きで「밤」という名前にしたのだから、当たり前といえば当たり前だけれど、Twitterのユーザーネームである「밤」を自分の名前だと認識できるようになったのは今まで出逢ってくださったCARATさんが繰り返し私を「밤」と読んでくださったからだ。この名前にはCARATさんとの幸せな思い出がたくさんたくさん詰まっている。

わたしはCARATさんが好きだ。私には分不相応なくらい、素敵な人との出会いに恵まれてきた。
CARATさんにはいつも幸せでいて欲しいと思う。
というより、あなた達には幸せでいてもらわなくちゃいけないとすら思う。


アンコールで掲げたスローガンに彼らの歌う歌がぶつかって振動になり、指先に伝わる。
画面に映る君の顔が愛おしそうに遠くを見つめる。
君の真似をして、ステージから目を離して、会場全体を見渡した。

綺麗だね。
ちゃんと一人一人の顔が見えるね。
もしかしたら、私にとって実寸よりあなたたちが大きく見えているみたいに、あなた達にも私が思っているより、もっとよく私たちが見えてるのかもしれない。


ダメだなあ、全然話がまとまらない。
でも書き留めたくて仕方がないんだ。

最後に、今はただこれだけ。

Seventeen、そしてCARATの皆様
出逢ってくれてありがとうございます。
この世界にSeventeenという存在を守り続けてくれてありがとうございます。

私たち、どうか幸せでいましょう。

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