우리의 새벽은 낫보다 뜨겁다
夜の砂の上で爆竹がタンタンと弾け
13人の青年(少年)が笑いあう光景。
そこから想像される音にそぐわない
まるで水槽の中からもう1人の自分が覗いているかのような少しくぐもった波の満ち引きの音が、ずっと遠くで鳴っている。
달빛の「da〜rbich」という音の伸びに引っ張られるように、視線は月へと向かう。ふいに宙を仰ぎ月を指したあなたの指に視線が引っ張られる情景が浮かぶ。
この曲を聴きながら夜を歩いていると、見上げた月が私の照明にもなって包んでくれるような気がする。
自分の頬を掠めた風が君の頬も撫でて、涙を拭って乾かしてゆく。
歩みを進めるうち、いつのまにか後ろに置いてきてしまった目に見える涙を、そうして強くなるしかなかった日々をどこか寂しく思うようにも聞こえる。
直前の「消えていくね」という言葉を受けて、その目的語が「僕らの後ろ姿」へ転換する。
そんな寂しいことを言わないでほしいとすら思ってしまう。けれど「僕らの後ろ姿」を見送る「僕」は一体誰なのだろうか。
「노을」という単語は陽で赤く染まる空を表すものだという。朝焼けにも夕焼けにも使えるそうだ。
昼に向かうも夜に向かうも隔てることなく、ただ赤が滲んでいくあの空の姿にひとつの名前がつけられているということの美しさに胸が苦しくなった。
また「깜깜한」は暗さの中でも最も濃度の高い暗さを表すそうだ。調べれば調べるほど、新しい世界の縁取り方を教えてもらえる。
墨を溶いたようにとっぷりと黒いそらを満たしてほしいと願う星は、CARATのことだろうか。
ドームの景色を見てからというもの、満天の星空すらどこか物足りなく見える。
明確に、夜にいる。
そして夜を惜しんでいる。
その中で落ち着いていくのではなくむしろ胸が高鳴る。それを君へ渡したい。君も同じであってほしい。
どれだけしがみついてもいつか終わりが来るとわかっているから。
…そんなの「青春」じゃないか。
あなた達は青春を「夏」だけでなく「夜」に喩えるのですか…
かつて私が想像していたよりも遥かに湿度が高く、そして深く深くどこまでも黒に近い青に、面食らってしまう。
タイムカプセルでも残すかのように、夏の夜に「僕ら」を刻む。また訪れる時にはどうなっているだろうか。この夜を強く切実に惜しむと同時に、その分だけ意識は未来へ向いている。抗うことすらできず未来へ飛ばされた意識が、目を細めて今この夜を眺めている。まだ身体はここにあるのに。
誰が見ても美しいんじゃない、誰かが美しいというから美しく見えるわけじゃない。なんならきっと、目の前の景色が美しいわけでもない。
ただ君の姿と、君と僕との間に何も入り込まない混じり気のない時間が浮き彫りになるから、夜が美しく見えてハッとしてしまうんだろう。
たったの5単語でこんなにも心を握り潰すほどの切なさを表現できるものだろうか。
ただただ
ああそうか、あなたの目には、耳には、「君」が、世界が、そんな風に感じられるのか…
と深く息を吐く。
微笑む姿に月明かりが透けて見えるひとは
どんな存在だろうか
笑い声が波の音のように聞こえるとき
それはどんなひとだろうか
ひとをそんな風に感じるとき、自分は、どこまでも深く、深く、幸せの海へ身体が沈んでいくような心地がするだろうと想像する。
決して苦しくない、穏やかな、雑音を絶った、全身を委ね、肺の奥、細胞の奥まで満たされるような…
そんな幸福。
前半の地に足のついた、そして芯の通った「禁止」を経て、鳥が羽ばたいていくような万能感へ。
この部分はとてもとてもバーノンさんの言葉だなあと感じる。この曲の世界観に身を委ねていると、ここでやや目が覚めるような感覚になる。けれどその現実味と自分との「違い」が心地よい。
そもそもポジティブなメッセージだけれど、私の内側からは「彼らの基準に合わせないで」という言葉は出てこない。もっと言えば私の心がこの言葉でものすごく救われるというわけでもない。
けれどそんな言葉がこの曲の中にあり、その言葉を発する人が13人の中にいることが心から救いだ。
自分たちで灯し、囲んでいたであろう篝火がだんだんと遠ざかり、追憶の波に攫われていく。
今が続いてほしいと願うことと終わりに想いを馳せることは常に表裏一体で、本当に恨めしい摂理だなと思う。
砂浜に互いの名前を刻みつける
その上を波が繰り返し撫でる
いつかは消える
いつか消えても、失くせないもの。
1番のサビから未来へ投げた意識を、「その時はその時」と今へ引き戻す。
諦めではなく覚悟を感じる。
いつか訪れるその時はその時で、まずはこの愛おしい今を生きるのだと。
常に共に居るひとへ、こんなにも美しい眼差しを向けられるものだろうか。
過去アルバムの収録曲の振り付けをふんだんに盛り込んだパフォーマンス、Seventeenのロゴすらも振り付けに入れ、この歌詞の部分では横一列に並んで肩を組む。
恋愛の唄でもなく、青春への応援ソングでもなく、他の誰であろうと代入不可能。明確に「Seventeen」へとベクトルが向けられた曲だ。
きっと私が思う以上に目まぐるしく変化し、人も入れ替わり、数えきれないほど多くの熱い想いと、想いだけではどうにもならないものを見てきたであろう彼らが、それでも「Seventeen」にこの眼差しを向けること、その眼差しを持っていることがどこまでも希望だ。
きっと彼ら13人には互いしかいなかっただろうけれど、それと同時に13人だけで「Seventeen」を守ってきたわけではなく、周囲のひと達によっても作り上げ、守られてきたであろうこと。
夢物語ではなく今彼らがそう「在る」こと。
アイドルは偶像じゃない。
たくさんの人の手によって作り上げられた、たしかな実像だ。
「今のように美しくありますように」
と歌いながら両手を挙げてくるりと体を翻す13人
これが愛じゃないのなら、これが希望じゃないのなら、愛や希望なんてものはきっとどこにも存在はしないとすら思う。
どこまでも夜を惜しみ、君を愛し、誰よりも夜明けを前に炎を絶やさないようにしていた彼ら。
今、とうとう太陽となった。
情景はガラリと変わったけれど、大切なところは何も変わらず、この歌を歌った時と同じ道の上に立っていると感じる。
「今のように君へ」