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星のひとつになれるらしい

Seventeenのワールドツアーの一環にして初の日本ドームツアーが始まる。

私は、本当に本当に幸いなことに、そこに立ち会えることになったらしい。
恐らく全てのCARATさんがそうであるように、私もまた今回のドームについては並々ならぬ想いを持っていた。

Seventeenの活躍の場は多岐に渡る。
私が最初に見始めたGOING SEVENTEEN、
言わずもがな各楽曲のMV、
ありがたいことに今は日本の地上波でも彼らを見る機会があるし、その他SNSや個人仕事、何より何回聞いても涙を流すほど胸を打つ彼らの楽曲…

コンサート以外の場でも沢山幸せをもらってきて、それが全てではないことは分かっている。
ただ、全てではないけれど、
彼らはコンサートでCARATに照らされているときにこそ、一番輝くと思っている。

この後にも書くけれど私は2020/7/25にCARATになり、5月のファンミーティングHANABIは全落ちしている。
好きになって2年と4ヶ月。
決して古参ではないけれど、出会って2週間でFC会員になりアクセル全開で毎日好きだと言い続けてきて、私という人間の核にまで根を張りはじめた唯一絶対のアイドルに会えない期間としてはあまりにも長かった。

本当に怖かった。
こんなに好きで、こんなに会いたいと思い続けてきた私の人生に、もしかしたらSeventeenのコンサートに参加する瞬間が一度も登場しないもしれない。
それは一冊の本の中で最も重要なサビとなるページが破り取られているようなものだと思う。

逆に言えば、コンサートに参加することで、私の中の何かが大幅に変わると思う。それは言葉じゃ説明できないことかもしれないけれど。

だから彼らを見る前の、彼らの星になる前の私を書き残しておきたいと思った。

HANABI

先ほども書いた通り、私はHANABIには参加できなかった。あの悔しさや遣る瀬なさはずっと生々しく心に遺っている。
けれど半年経ってようやくこうして言葉にできるようになった。

先に断っておくと、私はHANABIに行ったCARATさんたちにズルイとかそういう感情を抱いているわけではないし、もちろん責める気持ちも全くない。
ただただ、私という人間1分の1のなかで絶対的に悔しかったと思っている。

HANABIの情報が解禁された日、あまりの嬉しさに泣きながら退社した。
2020年の夏に彼らを知った私にはオンラインコンサートが当たり前で、オフラインコンサートは過去の歴史だった。
「日程」「時間」の他に「開催地」が、それも日本の開催地が記載されているWEBページが新鮮で、それだけで「彼らに会える機会って本当に用意される日が来るんだ」と…幸せすぎて信じられない夢のようだった。

彼らに会いたい、この目で彼らを見たい、
彼らを照らす星のひとつになりたい…
その想いの他に、私にはどうしてもHANABIに行きたい理由があった。

絶対に「舞い落ちる花びら」を見せてくれると思ったからだ。

コロナ禍に入った直後にリリースされた日本オリジナル曲。Seventeenと日本語、侘び寂びの精神が完璧な調和を成し、パフォーマンス面でもひとつの代表作となっているこの曲が、私は本当に大好きで大切に思っている。

この曲についてのnoteも書いているし、なぜか返歌も書いている。

そしてこれは私の勝手な憶測だけれど、Seventeenさんはこの「舞い落ちる花びら」を日本語でパフォーマンスすることを日本公演まで大事にとっておいてくれたんじゃないかと思っている。
リリース後初のオンラインコンサートであったINCOMPLETEでは韓国語verだったし、POLの JAPAN Editionでもやらなかった。もちろんそれぞれのコンサートのコンセプトを踏まえての総合判断なのだろうけれど、私はそこに想いを汲み取っていた。

そんな「舞い落ちる花びら」を絶対にこの目で見たかったけれど、ついにその願いは叶わなかった。

オンラインストリーミングでの参加だったけれど、案の定コンサートの幕が開けた瞬間に飛び込んできたあの美しい旋律、あの美しい花のフォーメーションに打たれた私はしばらく画面も見れないほど泣き崩れた。

しかしどんなに泣き喚こうとも、あの会えなかった2年を耐えて咲いた美しい花をこの目で見ることはもう叶わない。コンサートというものは全て等しく、そして無情に、一回きりのものだから。


ネガティブな話ばかりで申し訳ないけれど、HANABIに関してはもう一つ悔しかったことがある。
「HANABI」「ファンミ」「ペンミ」「7日」「8日」「たまアリ」「両日」「座席」「発券」
…これらのワードを軒並みTwitterのミュートワードにしたことだ。

泣くほど嬉しかったオフラインコンサートの大切な公演名、その開催地である「たまアリ」そしてSeventeenとCARATが会える日付。

それらを見ないようにするために、初めてミュートワードの設定方法を調べた。

様々なCARATさんが会う約束を結んでいく姿も、「ずっと頑張ってきたご褒美だ!」「神様に見放されてなかった!」という何の悪意もない喜びの当選ツイートも…当落自体は無機質に割り振ったものだと頭では理解しているのに、自分が否定されているかのような気持ちになってしまった。
今会いたいCARATさんは次のコンサートでも会ってくれる関係だろうか、ペン卒しないだろうか、私の日々における頑張りや苦しみが不十分だったんだろうか、想いがたりなかったのだろうか、完全体のSeventeenを見れる機会はあと何回あるのだろうか…
Seventeenが見せてくれた世界が彩り豊かであった分だけ、その絵具を全て混ぜた吐瀉物のような色の感情が生まれてしまった。私の考え方のせいで。

止めるには、見ないようにするしかない。
実際、ミュートワードにして私の心はだいぶ楽になった。自分を守りたかった。後悔はしていないけれど、今でも後ろめたいし悔しい思い出だ


画面越しの彼らは本当に眩しく、CARATに向ける眼差しはどこまでも愛に満ちていて、画面越しだろうと溢れんばかりの幸せを貰った。
画面越しの私のようなCARATのことも沢山考えてコンサートに臨んでくれたことも痛いほどよくわかっている。

それでもやっぱり、綺麗に諦められるほど私の心は清らかではない。今でもHANABIのことを思うと心がキューッとつねり上げられるように軋む。

けれどこんな私の濁流のような思いも、私だけのHANABIのドラマとして一隅に存在を許されたい。
好きでなければ、諦められる想いならば、こんな思いはしなくて済んだのだ。

HANABIには行きたかった。タイムマシンで過去に戻って分岐点に立ち、HANABIに行けるルートと行けないルートを選べたならば、絶対に迷わずHANABIに行けるルートを選ぶ。

けれど私が実際に歩いてきた、後ろめたさと悔しさと涙とその他諸々の綺麗ではないものに塗れたこの思い出を、私ひとりだけが味わった“HANABI”を…私は誰にも譲る気はない。
HANABIに行けなかったのは私だけではないけれど、私の悔しさを感じられるのはこの道を歩いてきた私だけなのだから。
そしてその道は間違いなく私だけの花道だったのだから。

一言じゃ言えないけれど、HANABIというコンサートは私というCARATにおいて、替えのきかない大切なものとなった。

知覚過敏

自覚していなかったけれど、HANABI以降の私はなんとか自分を落ち着かせるために「会えなくてもこんなに救われている」という想いを一生懸命膨らませるようになっていたらしい。会っていない状況での幸せを100%として固定していたのだ。

それに気づいたのはBE THE SUN当選のお知らせを見た後だった。
ひとしきり嬉し泣きした。
会社の昼休みに見て泣いて、帰り道でも泣いて、お風呂でも泣いて、布団に入ってからも泣いた。
ああ、やっとだ、やっとSeventeenの愛する場所に行ける。やっとホシくんが1番輝く場所で光源のひとつになれる。

胸がパンッパンになるような幸せも束の間
私はSeventeenを見れなくなった。

見れなくなったと言うのは語弊があるかもしれない。相変わらず私のプライベートや頭の中はSeventeenのことでいっぱいだった。
けれどいつもの調子でSeventeenやホシくんの姿を見ることができなかった。

Seventeenの姿をこの目に映せる日など来ないとどこかで思い込んでいた(そうでないと気持ちを保てなかった)私にとって、当選という未来の約束は劇薬だった。

普段なら1の情報から5を受け取って食らっていたものが、当選後には10にも100にもなって私の胸を貫いた。
もちろんそれは全て「好き」という感情だけれども、どれだけポジティブな感情でも一定ラインを過ぎれば痛みにもなりうるのだと知った。

困惑した。
「会えなくてもこんなに救われている」
膨らませなくたって紛うことなき事実だったのに、会ってなくてもこんなに救われていたのに、会って救われてしまったらどうしよう…
その先私は生きていけるのだろうか。

蓋をしていた想像力が洪水のように溢れた。
彼らが登場したら会場の空気はどんなふうに変わるんだろうか。
CARATの灯す星の海に浮かぶ彼らの姿はどんなだろうか。
肉眼で見るホシくんはどんなだろうか。
画面の外にいるホシくんはどんなだろうか。
ホシくんが吼えたらどんな風に反響するのだろうか。
照明の中で汗が光ったらどんなだろうか。
「そこにいる」ってどんなだろうか…


ずっと歯痒かった。
どんなに彼らを知ろうとしても
どれだけ好きを表現しても
何万字想いを綴ろうと
どれだけ誠実であろうとしても
「でも“そこにいる”Seventeenを知らないじゃん」
と自分の中の誰かが詰った。
新規とか歴とかじゃなくて、彼らのステージを知らないことで自分がCARATとしてどこか不完全な気がしていた。

誰かがこんなことを言ったら絶対に迷わず「そんなわけない」と否定するのに、自分のことになるとそう考えずにいられなかった。

今、そしてコンサートのその場に立った時
そこでCARATとして完全になったと思えるか、といえばきっとそうじゃない。けれど本当に色々な感情が溢れて止まらない。

当選の文字を見てからというもの、私の中の価値観が異常な速度でスクラップ&ビルドされ、筋肉痛のようなものを感じている。
まだ、彼らの姿を見ていないのに。

星のひとつになれるらしい

夢にまで見たドームの景色。
…これは本来Seventeenのセリフかもしれない。
けれど私にとってもドームで彼らを包む星のひとつになることは文字通り「夢」だった。
道は違えど同じ景色を夢見てきたことのなんと不思議なことか。

私は、どうやら星のひとつになれるらしい。

掛け声でよく用いられる「빛내 줄게(輝かせるよ)」というフレーズ。“CARAT”というファンダムの名前を与えられた瞬間からこの手に光の種を蒔いてもらっていた。

BE THE SUNというタイトルの通り、Seventeenという恒星の光を受けて、私という惑星は輝く。

惑星たちの真ん中で星空に包まれるSeventeenが、星の光を見ることで彼ら自身のかけがえのない輝きを知ってくれたなら有難いと思う。

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