祈る
善き人間で在りたいと願うのは、
どんな時だろうか。
こんなことを言うのは人としてどうかと思うけれど、私の人生において善く在るということはあまり重要ではなかった。もちろん善悪どちらかといえば善く在りたいけれど、そのために何かを心がけようと思うほど、自分の人格や生に対して前向きではなかった。
けれどSeventeenのことを考える時、今更ながらどうにかして善き人間で在りたいと願ってしまう。
そもそも「善」というのは何か…というのは本題と離れるけれど、少し表現を変えると「美しいひとで在りたい」とも言える。
そしてそれは、私の中では
「Seventeenのようなひとで在りたい」
と望むことだ。
ありきたりな表現だけれど、私は彼らに出会って、こんなにも美しい世界があるのかとひどく動揺した。
「愛」という言葉もその意味ももちろん知っていたけれど、それはずっと私のものではなかった。
なのにCARATになった今、それは私の手に握らされている。
ひとは言う
アイドルの美しさは建前だ、
上辺で繕ったものだ、
彼らの言葉はリップサービスで
あくまでビジネス、イメージ戦略…
つまりは、偶像なのだと。
そこまでストレートに言われずとも、
(…本気なの?)という眼差しを向けられたり
「まあ、ほどほどにね」と苦笑されることはしばしばある。
以前の私は、別にそれでもいいと思っていた。
職業・アイドルの姿を見るのが好きで、それ以上のものを求めようと思わなかった。
けれどSeventeenに出逢って、職業・アイドルとしての魅力はもちろん、それだけでは説明できない様々なものを目の当たりにしてきた。
個人と個人は共に生きていけるのだということ
思い遣る方法が違っても互いにそれを受け取ることができるのだということ
アイドルとファンという関係性だからこそ築ける関係性があるのだということ
愛は与えられること以上に、受け取ってもらって初めてその存在を信じられるのだということ…
資本主義社会の影響もあってか「職業」だからニセモノであるかのような扱いを受けることもあるけれど、そもそも自分と関わった人の幸せを願うことと「職業」であることがどうして矛盾するのだろうか。
以前にも書いた通り、
ひとの美しい在り方として今の“Seventeen”を思い描いたことやそれを13人とTEAM SVTで創り上げてきたことが偶像か、建前かなんてことは関係ないくらいの奇跡だと思っている。
見ようとすれば誰にだって見ることのできる
彼らはたったひとつの実像なのだから。
そんなSeventeenがCARATを「存在の理由」だと言ってくれる。何度も何度も名前を呼んでくれる。カッコいい姿を見せたい、誇らしい存在で在りたいと言ってくれる。
歌を通して、パフォーマンスを通して、その他あらゆる方法を通して、彼らの眼差しはCARATに向いているということを教えてくれる。
何より彼らの方がCARATの「善さ」を、そして「美しさ」を信じていてくれる。
それを感じるとき、私は心から善き人間、美しいひとで在りたいと望んでしまう。
私という個人の姿や言葉が彼らの目に映ることはないのだろうけれど、それでも私が彼らの「存在の理由」のなかのひとりであると感じる以上、そして「CARAT」という名前をもらったと感じている以上、彼らの信じる世界を嘘にしたくない。
いつか彼らが立ち止まったとき、振り返ったとき、顔をあげたとき、その目に映る世界が美しくあってほしい。
きっと綺麗事だけではなかったであろう彼らの歩いてきた道で、彼らが誰にも見せない汗と涙を注いできた道で、ひとつひとつの出逢いが芽を出し、枝をのばし、葉をつけ、花を咲かせ、振り返った時に誰も見たことがないくらい見事な花のトンネルで彩られた道となっていてほしい。
願わくば、私もその道を彩る花で在りたい。
嘘や建前じゃなく
彼らがいつもそうしてくれていたように
自分の思う最も誠実な姿を彼らに向けていたい。
自分の中で1番綺麗な笑顔を向けていられるように後ろめたいことはしたくない。
いつだって誇らしいSeventeenの、誇らしいCARATでいたい。
本当は風に吹かれる花のようにただ彼らを見て揺れるだけでいいのかもしれない。
なのにあなた達を想えばこんなにも
善く在りたい、美しく生きたい…
究極に曖昧な、それと同時に揺るぎない
祈り…のような欲である。
私は綺麗なだけじゃ生きられない。
あなた達に見せたくないものもたくさんある。
けれどあなた達に後ろめたいことはしたくない。
守られていることを忘れてしまうくらい、あなた達に守ってもらってきたことを知っているつもりだから、花道だけを歩いてほしいとは言えないけれど、
私があなた達を見れば幸せなことしかなかったように、あなた達がSeventeenとして CARATを眼差すときくらいはどうか幸せなことしかなければいいと、祈ることを許してほしい。
そんな日々の小さな祈りの積み重ねで、あなた達の描いた愛を肯定したい。
そうやって祈ることでまた、救われている私を許してほしい。
私は、その人の歩く道の美しさを祈ることすらも
私自身の救いになるような
そんな世界に抱かれて、今、息をしています。