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もう大丈夫と言えたなら

1月18日から3月3日まで、GOING SEVENTEENの休止期間だった。
そんな心許ない期間に頭に浮かんだことを取り留めもなく書いてみます。

配属されてから今日まで、社会人一年目として毎日自分を奮い立たせながら出社していた。毎朝吐きそうだったし、ちょっと吐いた日もあった。
そんな負荷が最も頂点に達する月曜日の朝。
そんな日ですら、SEVENTEENに出会ってからは
「今日は帰ればゴセを見れるから!!」
と思えば結構前向きに出社できたし、家族や同期にもそう言いふらしていた。

大袈裟じゃなく、ゴセがなかったら私はどうやって毎週出社していたんだろうと思っていた。はっきりと「支えられているな」という実感を伴う心の支えだったし、甘えていたし、縋っていた。

きっとあの企画は、多くのCARATちゃんの光だったと思う。

だからこそゴセ休止の通知を見てひどく困惑した。
この先どうしたらいいんだろうかとたじろいだ。
3月にはゴセが再開するけれど、もう月曜のゴセはない…

それなのに…
あれほど大切だった心の支えを失っても、私は毎日出社している。
ゴセのない日々に適応している。
適応できてしまっていることが、ものすごく寂しく、虚しく…なんだか自分に失望した。

急に怖くなった。

SEVENTEENが、そしてホシくんがステージを降りても、もしかしたら私は彼らのいない毎日に適応して、それまでとなんら変わらない生活を送ってしまうのかもしれない。
こんなに大好きで、大切で、大きな存在なのに、彼のいない日々の穴をすぐに埋められてしまうかもしれない。

私はそれが心底嫌だ。
そんな簡単な存在じゃないはずなんだ。
泣いて、叫んで、寝込んで、仕事なんて手がつかなくて、もうこの世の終わりみたいな廃人になる…それくらいの方がこの気持ちに見合っていて、なんだか信用できる。

でも、それでも私は生きていってしまうんだと思います。彼らがくれた今を、これからも生きていくんだと思います。

SEVENTEENと出会って私は、人の愛し方を、世界の愛し方を知りました。
そして何より、私自身が大切にされてもいい存在なんだと教えてもらいました。

私は自分が大嫌いでした。
この先の人生、私が「私」としてしか生きていけないことに絶望して「遺書草案」というnoteを書いたことすらありました。
そんな卑屈さを煮詰めたような、膝を抱えて「生きたくない」と繰り返すような私なのに、彼らは私の存在をまるごと、優しく抱擁してくれたのです。

彼らの発する言葉、態度、歌詞、パフォーマンス、眼差し、そして彼らの今日まで歩いてきた道のり…
それら全てが優しく芯の通った愛で満ちていた。
一体どれだけの夜を超えたら、あの大木のような愛が育つのか分からない。

はじめてHugの訳を見ながら曲を聴いた時のことが忘れられない。あまりにも優しい曲だからどんな歌詞なのかと調べてみたら、タイトル通りの「抱擁」だった。存在すべてを包み込んでくれるような、おおらかな愛だった。

「私ってこんなに大切にされていいんだっけ…」
布団の中で泣きながらそう呟いた。

彼らの優しさは向こう岸からのプレゼントのように大袈裟に渡されるものじゃない。
隣に座って、黙って背中をさすってくれる…そんな優しさ。人に優しくされることに構えてしまう私だけれど、そんな彼らの優しさは構える前にじんわり心に沁みこんでいた。

自分を好きになれた…とはまだ言えない。
でも自分に向ける眼差しは少しだけ優しくなったと思う。
そしてひとへの眼差しも少し優しくなったと思う。直接私に関わってくれる人にも、会ったことのない人にも、「人間」そのものにすら…

卑屈な私には、この「少し」の変化が大事件だった。この変化を与えられた今、私はきっとこの先も生きていけてしまうのでしょう。

皮肉なことに、この変化をもたらしてくれた彼らがステージを降りたとしても…その先の日々も自分の足で歩んでいけてしまうのでしょう。
SEVENTEENという光から分けてもらった松明を片手に、夜明けへと歩いて行くのでしょう。

何度も言うけれど、私はこの素晴らしい出会いについて、この世界の何に感謝をしたらいいのかわからないくらいの幸福を感じている。


でも、それでもまだ私は朝が怖い。
まだもう少し…もう少しだけそばにいてほしい。

どう抗ってもやってくるあなた達がステージから降りる瞬間、その時には私もちゃんと朝日に立ち向かうから…

きっと
その時には

もう大丈夫と言えたなら。

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