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FOLLOW

タイトルを「Dear CARAT」にするか迷うくらい、CARATさん達の顔が浮かぶ。
けれど今回実感したSEVENTEENを「FOLLOW」する数ある理由のうちのひとつが私にとってはCARATで、CARATを好きでいることとSEVENTEENを好きでいることは不可分だから、今回はツアータイトルである「FOLLOW」をタイトルに据えようと思います。

コンサートの感想だけどレポではなく、今の私の感情と思いでの記録なのでもしレポを読みたかった方がいたら申し訳ないです。

いつも好き勝手書いているけれど、今回は思うままに書きたいという心を明確に持っているのでいつにも増して読みにくいかも。親しくって愛おしいあなたに、喋るように書きますね。

私は今回6日のチケットを握り締め、5日の朝に地元を発ち、8日の夜まで東京にいた。
今、帰宅してすぐに書き始めている。
ここまでの数日間で私の中にとめどなく溢れ出していた想いは「身の丈に合わないほどのものを、あまりにも貰いすぎている」だった。

5日、少し早めに地元を発ったのはひとりの友人の旅立ちの前日だったから。
一緒に小学校に通うことがないくらいの年齢差で、生まれ育った土地も、家庭環境も、触れてきた文化も違う。餞別のプレゼントを選ぼうにも好みが違いすぎて彼女好に似合うものが置いてある店すらわからない。それでも彼女としかできない話があって、彼女としか分かちあえないものがあった。それは、今となってはSEVENTEENではないし、もはやSEVENTEENの話をすることすらないけれど、CARATじゃなかったら絶対に出逢えなかった大切な友人です。
彼女が進路に悩んでいたころから話を聞かせてもらえて、今、門出を祝えることが本当に幸せで、けれどそんな幸せもSEVENTEENと出会わなければ私の人生に起こり得ないものだった。
私が掴んだ幸せだよって顔して、私の手をそこまで導いてくれたのは紛れもなくSEVENTEENだった。

その日の夜、お仕事終わりにも関わらず前夜祭に付き合ってくださったCARATさん。
スペースなどで何度も声を交わし、noteやその他短くはない文章たちで互いの内側を交わし、7月には私の地元まで来てくださってほぼ丸2日ひたすらに言葉を交わし続けた。
その方との間に「言わなくても分かり合える」部分が多いわけではないけれど、あらゆる方法で言葉を尽くしてでも知っていきたいと思うひとだ。そしてそれに応えてくれるひとだ。思えばその方と何かを交わすとき、私は傲慢にもその方を裏切らない人間で在りたいとずっと祈ってきたように思う。何に向かって祈っているのかはわからないけれど、祈りを持つことは私自身の松明でもあった。
ホシくん、ウォヌさん、ソクさんの行った韓国料理屋さんに入り、また言葉を交わし、お店を出てから夜の新大久保をぐるぐる歩き回って延長2時間。
ただの街なのに、目を細めてしまうくらい美しい景色だったなあ。

6日、コンサートの当日。
お昼ご飯を一緒に食べてくれたCARATちゃんは、7日も8日も一緒に過ごしてくれて、つまりさっきまで一緒にいたけど後楽園駅のマックで8月バイト頑張ったことを表彰したのが遠い昔のようにも感じてしまう。時間って不思議だね。

東京ドームの公演に入ることはずっと悲願だった。

抽選もグッズ販売もされていたのにコロナ禍により潰えた2020年ドームツアー。SEVENTEENが再び約束の地に立つまで絶対に忘れないという思いでその会場の名前をアカウント名にしているホシペンさんがいた。
初めて異国のアイドルを好きになって言葉も眼差し方もわからなかった頃からフォローしていて、今も私の夜空にはその方の灯してくれた燈が煌々と輝ている。ご縁があって仲良くなることができて、年齢は私の方が上だけど、ずっと尊敬しているし憧れのソンべニム。
しかし(詳しいことは聞いていないけれど)その方の人生を歩く選択のなかで遂にドームツアーを見届ける道に進むことはなくて、私にホシくんのグッズをたくさんお譲りしてくれた。
私の勝手なこだわりだけど、その時もらった2020年ドームツアーグッズのうちわを、その方の名前の会場にどうしても持って行きたかった。
BE THE SUNもLOVEも応募し続けたもののご縁がなくて、やっと、やっと。

青い空 東京ドーム 私たちの一番星

写真を送ったら、すごく喜んでくれた。
この場所に来ていない色々な理由があったはずなのに「キラキラしてた?」と…「想像できないくらい綺麗な星たちだったんだろうね…私たちの一番星はどうだった?」と聞いてくれた。
「キラッキラで、ドームが割れそうなくらいの掛け声と歓声が響いてて、私たちの一番星はきらきらの紙吹雪の中、会場全部抱きしめるみたいに両手を広げながらセンステに走ってきてくれたよ」と伝えた。
私はその方がどれだけSEVENTEENを、ホシくんを愛していたか知っている。それでもCARATという名前を手放すに至って、なのにこんな想いを受け止めてくれるんだから、本当に優しすぎるひとだ。私には勿体無いくらいの巡り合わせだと思う。

SEVENTEENに出逢った日から
ホシくんの光に撃ち抜かれた日から
力一杯、大好き、と全身を震わせてきた。

SEVENTEENを見てきたつもりだった
ホシくんを見てきたつもりだった
けれど私ひとりで眼差していたことは、一度もない。ずっとCARATの眼差しに照らされる彼らが好きで、そんなCARATを愛おしそうに眺める13人を好きでいる。

開演までの間にお会いした、いつもTLで見ていたCARATさんたち。
やっと会える、あなたが大好きで、あなたがいるから私は幸せにCARATをすることができていますと想いを込めながらせっせと拵えた夜の色をしたソンムルと手紙たちは、色とりどりの優しさへと姿を変えてこの手に戻ってきた。

人と繋がることが怖かった。
同じ言語を話していても言葉そのものこそが壁だと思って生きてきた。
言葉は連綿と繋がっている布をパチンと型抜きするようなものだと思っていて、取りこぼすことが前提だし、その「型」すらも環境や背景によって変化すると感じていた。言葉でしか人と繋がれないのに言葉にしたら全てが変わってしまうのだから、どうしたって人と分かりあうことはないじゃないかと絶望していた。

けれど今、言葉と言葉がこぼしたもの達を交わせる人たちに出逢っている。
そう、これを読んでくださっているあなたです。

今回ドームで初めてお会いした方も、再会を果たした方も、今回は会えなかったけれど一度でも言葉を交わしてくださった方も、まだ話したことはないけどこんな人間を見守ってくださっているあなたも…

言葉にならないもの、言葉にしなかったもの、人に見えないもの、見せないもの…
そういうものたちの存在を前置きしなくても知っている人たちだと思う。
他人と自分との間のわかり得ない・わかり合えない部分の存在を意識していることが言葉や表情やそのほか様々なものから伝わってくる。

「わかりあえない」のなかで生きてきた人たちのなかで、こんなにも、わかり合える。

そしてそんな人たちが集まるのは、他でもないSEVENTEENが「それ」を知っていて、それでも人に手を伸ばし愛し合おうとする姿を誠実に積み重ね続けてくれたからだ。
日本のベストアルバムのタイトルを「ALWAYS YOURS」にして、結局僕らの関係値はと言いながら「SaraSara」という擬態語で解釈の裾野を広げてくれるような人たちだからだ。

6日のコンサート。ホシ君はソクさんと一緒にたくさん笑わせてくれた。
スングァンちゃんや統括への無茶ぶりも、大好きって全身で表現してるようだった。
会場のボルテージが絶好調で湧き上がってくるものがあったんだろうな。
13人で東京ドームの地に再び集まることができて嬉しかったんだろうな。
それが間違いないと思わせてくれるけど、きっとあなたの行動原理はそれだけじゃないんだろうな。
あなたの無邪気さは、あなたの持っている「ホシ君だから許される」は、きっとあなたの優しさなんだろうと信じている。
嘘が無くて、まっすぐで、でも全部わかっているんだろうな…でもあなたが見せないものを私が具体的にここに書いてしまうのはなんだか違うから、私は今日もあなたの煌めきを綴っていたい。

世界最後の夜
あなたが光で在ろうとそこに立つ選択をしてくれるなら。
光だけではないはずの、ひとりの人間であるあなたを、私は光として眼差し、あなたの望む姿を「本当」にしたい。
あなたの眩い光は、そのまま人を守る傘になる。

でもね、世界最後の夜じゃなくても
日本の平日の二日間に、私たちの目の前に13人が現れてくれること。
「今」ステージに立つ選択をしてくれていることが、どれだけの光になっているか知っているでしょうか。
仕事だからと言ってしまえばそこまでだけど、今でも私はドームで数万人の視線を一身に受けるには心もとない人間一個分の彼らの身体を見ると一瞬怯んでしまう。
きっとステージに立つことが恐ろしい瞬間もあると思う。
それが書き留めるほど醜悪なものではないとしても、道端にポイ捨てされたたばこの吸い殻くらいの小さく生々しい見たくないものをみることくらいはあるんじゃないだろうか。
アイドルとしてステージ立つことは彼らの生業だし、私はチケット代という対価を支払ってそこに行く。けれど心から思う。やっぱり彼らには身の丈に合わないほどのものを貰いすぎている。

彼らはいつもCARATは原動力だと、存在の理由で、青春だと言ってくれる。
そもそもCARATという単語に愛を吹き込んで「私たちの名前」にしてくれていることからして、それだけのものを、私は返すことができているのだろうか。
彼らからもらった愛は、身の丈に合わない分だけ私の目から零れ落ちていく。これを集めて何かの魔法でとびきり綺麗な宝石にしてお返し出来たらいいのに、私は魔法が使えないから、ただただありがたくて申し訳ない。

CARATでいて幸せな理由が私にとってSEVENTEENだけじゃなくCARATでもあるように、きっとSEVENTEENがSEVENTEENでいて幸せな理由もCARATだけじゃなくSEVENTEENでもあることが有難い。

彼らが幸せである理由がなるべくたくさんあってほしい。
私が責任を負いたくないからではなくて、もらっているものが大きすぎるから。


ドーム公演を終えて、6日は入ってないのに一緒にご飯を食べるために遅くまで待っていてくれたCARATさん。
初対面だったけれど、同い年で、同じくらいの時期に同じくらいの期間でんぱ組を好きでいた前世を分かち合える方。
SEVENTEENが見せてくれるものは空のようだという話をした。
それは簡単に説明できるものではないし、一つに定まるものでもない。「空」と一言で表現しても見るときや場所によって移り変わっていく。
けれどCARATの姿を見ていると、たとえ見え方は違っていても同じ空を見て、心を震わせている人たちだと信じることができる。
それがこの世界で生きていくうえで希望となっているという話。

驚くほど穏やかで熱い夜を経て、ベッドに入ったときに思い浮かんだのは

Our dawn is hotter than dayの歌詞だった。

皆が寝静まる夜 こうも美しいものだろうか
月灯りを宿した君の微笑みが 昏い夜を輝かせる

本当に、こんなにも美しくていいのだろうかと思った。何もかもが身の丈に合わないほどの幸福だった。

7日はチケットは持っていなかったけど、東京ドームに向かった。
私がTwitterのアカウントを作って間もないころから仲良くしてくれているCARATさんから手作りのクッキーをもらって、美味しくて嬉しくて吸い込むように食べてしまった。
SEVENTEENを好きになったのがつい昨日のことのようだけど、気づけば3年前に仲良くしてくれていた人のアカウントがもうなかったりもする。
私自身も、社会人になってからCARATになっているから生活に大きな変化があるわけではないけれど、それでもだいぶ変わってきたと思う。
そんななかで何年も私を知ってくれている人と顔を合わせられること、こまめに連絡をとってなくても連絡すれば快く会ってくれる大好きな人がいること。胸がじんわりと熱くなる。

ありがたいことに新しいご縁もあった。
ひとりひとりのお顔を見れてよかった。表情を知れてよかった。
CARATとして思い浮かぶ愛おしい顔が増えてよかった。

私は日本語が好きだけれど、今の「よかった」は韓国語でいうところの「多幸だ」の感覚で、そういう感情と表現の広がりがまたありがたい。

終演を待ちながら二日間いただいたお手紙を読む。
一つ一つの表現から、今日顔を合わせるに至るまでにどれだけ想いを懸けてくださっていたか、その方の人生の時間をいただいていたかを痛感した。
本当に、身の丈に合わない。私みたいな人間が貰っていいものじゃない。
なのに、手放せない。SEVENTEENが繋いでくれたという実感が、繋いだ手を上からそっと包み込んで離さないでいさせてくれる。

東京ドームに戻り、ご飯の約束をしていたCARATちゃんを待つ。
ライトアップされた東京ドームは綺麗だった。
自分の入れなかった公園の音漏れは聞いていて悔しいかもしれないと思ったけれど、心から微笑ましかった。
アンコール中に整理のゲートを組み始める誘導員さんたち。どれだけ多くの人と時間がこのコンサートを支えているのだろうかと想像すると気が遠くなる。けれどSEVENTEENの顔を思い浮かべると…うん。彼らはそういう見えない労力に思いを馳せる人たちだったね。ずっと。ずっと。
背負わなくたっていいものまで背負ってステージに立つ彼らが大好きだし、13人でよかった。

音が鳴りやんで、たくさんの人が流れるように出てくる。
その様子をベンチに座ってひとり眺める時間が幸せだった。

同じ空間でひとつに纏まるとは思えないくらいの多様な人々が
それぞれの人生から光を一つずつ持ち寄って、SEVENTEENに会いたいという思いだけであの場所に集まり、SEVENTEENに幸せにされて出てきた。

一人でボロボロ泣いていた。こんな幸せ、ほかにどうやって味わえるというのか。

待っていたCARATちゃんが出てきた。
きらっきらのつやんつやんのにっこにこで
ベンチに溶けて楽しかった~と言う。
私は今日の彼らの顔をみることはできなかったけど、彼らの目に映るのがこの子のこんな幸せな姿だったなら、これ以上望むことはないな…
綺麗ごとじゃなく、本当に満たされた。

ご飯を食べている間もずっと楽しそうだった。
まるで銀テープを持ってきてくれたかのようにドームのきらきらを持ってきてくれた。
そのあとまた、静かになった東京ドームに戻って、いろんな話をして、終電で解散した。

その後、ひとりホテルでありがたさを抱えていることができず、スペース機能で感謝会見をした(なんだそれ)
ただただ、どれだけSEVENTEENとCARATがありがたいかという話をしたかったけど、そこで話してくださったCARATさんとの時間が…分かち合える時間がまた、ありがたくて永久機関になってしまった。

翌日はきらつやCARATちゃんと再び会って、渋谷のSEVENTEENミュージアムに行った。CARATが集まる場所が好きだ。SEVENTEENの美しさを知っている人が集まっている場所に心地よさを感じる。
人が集まる場所であるSEVENTEEN。
13人13様の美しさがあり、優しさがあり、愛し方があり、生き方がある。
デビュー当初から必ずしも強みだけになるわけではないであろうその人数の多さを彼らが守り続けてきてくれたから、今、そこに集まる人たちも多様でいられる。

○○だから好きという愛の伝え方は得意じゃない。
○○でなければ好きじゃないみたいだから。
でも、これだけはこの言い方をしたい。

13人だから、SEVENTEENが好きだよ。

13人一人ひとりが、恩人だよ。

そしてそんなSEVENTEENを好きでいるCARATが好きだよ。
でも、「SEVENTEENを好きだからCARATが好き」というには、CARAT一人ひとりがひととして大切すぎる。

SEVENTEENのこと、私の持っている精一杯で大好きでいるからSEVENTEENを一番好きでいるのはCARATです!と言いたいけれどSEVENTEENを一番好きなのはSEVENTEENじゃないですか。まあ負けるつもりはないけど。

でもね、CARATを一番好きなのもCARATだと思うんです。
SEVENTEENも負けてないけど、、、、!

次にファンレターを募集してくれる機会があれば、CARATを自慢したい。
きっとSEVENTEENを好きだというのと同じくらい喜んでくれるはず、と思わせてくれるSEVENTEENを今日も好きでいます。

最後に通話中。
チケット当ててくれてありがとう。SEVENTEENに出会わせてくれてありがとう。今回体調不良で公演以外の時間をともにすることはできなかったけど、一緒にドームの記憶の復元作業しようね。

今回会えなかった方も絶対に!またどこかで会ってください!!!!


SEVENTEENを好きになってよかった
SEVENTEENに出会えてよかった
人に生まれてよかった

CARATになれてよかった。

これからの世界も
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