SEVENTEENTH HEAVEN
10/23、SEVENTEENの11th ミニアルバムであるSEVENTEENTH HEAVENがリリースされた。
天国って、どんなものだろうか。
あるかないか、どんな宗教を信じているか…そういう意味ではなく、そもそも私の中に「天国」が実感を伴うものとして存在していなかった。
清涼な空間に天国のようだという比喩を用いることはあるとしても、死後の世界や何らかの救いの場所としての‘それ’が、私のなかにない。
だからこのアルバムタイトルが公開されたとき、正直あまりピンと来なかった。ただ、SEVENTEENの描く天国に興味があって、それだけでワクワクしていた。この人たちの創り出す世界が天国になってくれるなら、これほど幸せなことはない。
けれど음악의 신のMVを見て最初に浮かんだ感想は「きっと死んでもここより綺麗な場所にはいけない」だった。なんとなく、天国というのは「彼処」の話だと思っていたけれど、SEVENTEENTH HEAVENは紛れもなく「此処」の話だった。その上で、私の生きている、いま、此処、この場所よりも美しい場所はないと思った。
これから書き残していくのは、そんな世界の話。
Thanks to
アルバムの巻末に綴られているThanks toの文章がとても好きで、私がフィジカル盤を購入する一つの理由になっている。
このアルバムを構成する楽曲一つひとつに触れる前に、SEVENTEENがどんな想いでアルバム製作をしたかを綴った文章に触れておきたい。
おそらく最初に覚えた韓国語10選には「행복」が入るだろうというくらい、「幸せ」という言葉をたくさん聞かせてもらってきた。そしてその言葉をハッとするほど鮮やかに彩ってくれたのは他でもない彼らだった。
そんな彼らが改めて立ち止まって「幸せ」について考えたと言う。
その上で「皆さん、僕たちは幸せです!」と言ってくれること。
CARATの「幸せですか?」という問いに対して出したひとつの答えがこのアルバムであったことを胸に抱きしめながら、楽曲の世界に入っていく。
SOS
「HEAVEN」を冠するアルバムの幕開けが「SOS」というのは少し意外だった。Darl+ing以来の英語詞全体曲。
今回、麻花兒さん主催でTwitter上でCARATによる翻訳の共有もできた。
平々凡々淡々と続く日々の中ですら、私達のいのちは脅かされている。
人間には、衣食住以外にも生きることに必要なものが多すぎる。
いや、必要のないものを求めすぎた結果、息ができなくなっているのかも。
兎に角この「war」や「world」には私たちを脅かすものを自由に代入していいくらいの余白を用意してくれていると思っている。
タイトルの通り、この曲の最も切実なメッセージはSOSだろう。
私はこの繰り返しの部分を「shoot」を拾う形で「発煙等に火をつけて、救難信号を打ち上げて、助けてって言って欲しい」と訳した。
アルバムのPM2:14verで、ホシくんが発煙筒を持っているのが印象的だった。ハイライトメドレーでも発煙筒を持って走っていた。
これがSEVENTEENの祝祭に彩りを添える単なる演出の小道具というわけではなく、彼らが待っていてくれる場所が遠くからでもわかるように煙を上げてくれているんじゃないだろうか。
友人だから、いつだってここで待っていると言ってくれる。
君が好きだから、君が大切だから、君といたいから…その他様々な想いがあるんだろうけど、全部全部「friend」に詰め込んで、理由にしてくれている。
ある意味では理由になっていないけれど、これ以上の理由は要らないとでもいうかのように。
初めて聞いた時の衝撃を忘れられない歌の一つが私にとってはHugで、特にこの歌詞が忘れられない。
人に頼るのは申し訳なくて、負担にならないか心配で、そんなことでと落胆されないかと怖くなって、ひとり心の中で涙を流していた。
きっとそういう人は少なくないのだろうと思う。
皆が耐えているから耐えなければいけないのではなく、そういう申し訳なさや心配や怖さを汲み取った上であなたが大切なんだよと抱きしめてくれるSEVENTEENだからこそ、その時が来たら必ず言うよ。
助けてほしいって。
음악의 신 (God of music)
タイトル曲が公開された時、손오공(Super)の「まるで孫悟空になったようだ」から抜け出せずにいた私は彼らはとうとう音楽の神になってくれたのかと思っていた。
成功するはずがないと言われようとも自主制作アイドルの先駆者として音楽を作り続けてきた彼らが…きっとそこには血の滲むような努力があって、音楽をただ「楽」しむだけではいられなかったであろう彼らが…とうとう神と呼ぶことを赦してくれるのかと驚いた。
ただ、不安でもあった。そこまで大きなものを背負ってしまうのかと。
待ちに待ったMVの再生ボタンを押し、音楽の失われた世界の後に映し出されたジョシュアさんは光の中でこう歌った。
よかった…よかった…
「神様」は音楽の世界で高みに登った彼ら自身を指しているわけではなかった。
落ち着いて考えたらSEVENTEENは自らを神様だと言うような人たちには思えない。それでも孫悟空になったようだ、太陽に向き合い太陽になる(Face the sun、Be the sun)と覚悟を歌う彼らの姿を見てきたから、もしかしたら…と思っていた。
初見で誰の歌かも知らずこの文字だけを見たら、ただの楽観的な歌だとスルーしてしまっていたかもしれない。
けれど改めて、Thanks toの文章を思い出した。
何が自分にとっての幸せか、
それは突然降ってくるものではなく自分たちの歩いてきた道と積み上げてきたものだと言う。
その上で「これが僕らの幸せだよ」と言ってくれて、それが、音楽の中にあること。
幸せについて改めて問い直した結果辿り着いた一つの答えが「世界に音楽の神様がいるならばありがとうって抱きしめたい」から始まること。
こんなに有難いことがあっていいのでしょうか。
自主制作アイドルとして音楽を作り出し続けてきたSEVENTEEN。
楽しみばかりではなかったであろうことは想像に難くないけれど、だからこそ彼らだけの「積み重ね」が存在して、今、ステージの上で歌い、躍りながら「これが僕らの幸せだよ」と言えるのだろう。
こんなに力強い歌があるだろうかと涙を流しながら、この祝福の歌を日本の片隅から合唱する。
Diamond Days
SEVENTEENのはじまりであるShining Diamondをサンプリングした歌。
それをこの「幸せ」について問い直したアルバムの中に据えたという事実だけでも胸がいっぱいになって苦しいほどだ。
指輪をはめるような振付と共にShining Diamondの中で交わされた約束。
デビューする前から、自らをダイヤモンドに喩えて約束を交わしてくれた彼ら。Shining Diamondを聴くたびに、ずっと約束を果たしてもらい続けているなぁと思っていた。
「時が流れても褪せることはない」という表現はShining Diamondのサビからそのまま受け継いでいる。だからこそその前の「今でも君は誰より輝いている」「慣れを超えて」という言葉が一層輝く。
約束は、守られるためにある。
きっと守り抜こうと思って交わされる。
けれど実際に10年近くも守られる約束はそれほど多くないだろう。互いに最善を尽くしたって、決して簡単なことじゃない。アイドルとファンの間で交わされたものならば、なおさら。
私はこのDiamond Daysという曲は、結び目だと思っている。今まで紡いできた日々がこれだけの長さになったね、ここからまた、紡いでいこうねと結び直した約束。
あまりにも目にするものだから、慣れ親しんでしまっているけれど改めて、そんな彼らの日々が「ダイヤモンド」という光り輝く最もかたい宝石の名を冠していることが誇らしい。
十分すぎる圧力に耐えて結晶を成した、最もかたい約束を守り続けてくれている私たちのダイヤモンド。
永遠に、輝かせるよ。
Back 2 Back
パフォーマンスチームの歌は、パフォーマンスと合わさって初めて完成すると思っているから、パフォーマンスを見れていない状態で書き進めるのがものすごく歯痒い。
どこまでも壮大なのに閉じていて、君と僕以外の何人たりとも踏み入れさせない「ここじゃないどこか」の世界。
Back 2 Backは、月三部作(十三月の舞、moonwalker、247)やI don't understand but I luv uに比べるとエキゾチック、舞踊というよりはアップテンポなダンスチューンという印象を受けるけれど、歌詞を見るとやっぱりひと繋ぎの物語のように感じられる。
これまでパフォーマンスチームの曲は神秘的な異世界に連れていってくれるようで、あくまで私は訪問者だと思っていた。
けれど度々登場していた、まだ対面してはいないのにずっと前から出逢っていた「君」は私であり、私たちであった。
大袈裟じゃなく、わざとらしくもなく、
ただ一歩一歩踏みしめてきた道がここに繋がっていた。その道が物語になっていた。
その先で、私たちはとうとう背中を預けた。
君を見つけ、君を連れて、君を信じ、背中を預ける。「この両手で抱きしめても幻想の君だった」と歌うような「僕」が、今はもう恐れることなく何だってできそうな表情で顔を上げる。
この物語の最新章がどんなパフォーマンスで色を付けられてゆくのか、楽しみで仕方がない。
Monster
クゥウゥゥゥウウウウ!!!
カッコいい!気持ちいー!!!!
相手をおちょくって煽るような歌声も相まって、痛快とはまさにこのこと。
世界的スターが、自らが世界的スターであることを自覚して、大衆の視線、噂、脚光、歓声のなかを自らを一線隔てた規格外のモノ=Monsterと名乗りながら堂々と練り歩く。
生命の危機を知らせる悲鳴と紙一重の歓声。
人と人として同じ目線なら大切にしたい存在であると同時に、私たちのmasterpieceとして全身全霊で褒め称えたいSEVENTEEN。そんな思いを解放して叫ばせ、見上げさせて、その神輿を担がせてくれるのがHIPHOPチームの曲の真骨頂だと思う。
どれだけテッペンに君臨するMonsterだと煽り散らそうが、泥臭く登り詰めてきたという自負を忘れないところがやっぱり1番カッコよく、気持ちよくて、そんなあなた達だからこそ私は拳を突き上げてその道を支持するのだと改めて思う。
これだけの大口を叩いても決して「ビッグマウス」ではなくもう十分彼らの身の丈にあった自己紹介になってしまうことが本当に痛快で、さあみろ世界!とそのトリックオアトリートツアーの行進に飛び込む準備は万端だけれども、奇異の目にさらされ人びとの理解の及ばない「Monster」を名乗り、その先頭に立つ覚悟はいかほどのものだろうか。
大切で愛おしい私たちのMonster。
どれだけ世界の規格から溢れようと、
どれだけ世間がヒソヒソ噂しようと、
トリックなんてなくていい。
帰ったら一緒にお菓子を食べよう。
하품 (Yawn)
ハイライトメドレーで、壮大なオーケストラを経てただ「하품」という単語のみが一滴の雫のように私の心に落とされた。その波紋が広がって、広がって、膜を張って、全身を抱かれたような感覚になった。私はやっぱりウジさんの歌が好きだ。
私はまだ最初に聞いたときに全体の歌詞が理解できるほどの韓国語力がないけれど、意味が分かると言葉はもう音には戻らないから、音としての彼らの声を楽しむ時間もとても大切にしている。
そんな私が、初めて、曲を聴く前に歌詞を訳した。
はっきりとした理由はなかったけれど、直感的にそうするんだと思った。歌詞を見た。ウジさんの書く詞は、並んでいる文字の佇まいすら詩だと感じる。
美しく、切なくなる風景の描写
いつだって自分の痛みに目をやる時には「君」の痛みを想っている。
僕を息づかせていた君が欠けたことで涙と共に出る「하품(hapum)」=あくびと、「아픔(apum)」=痛みを掛ける。ふとした瞬間、あくびをして流れた涙に、何かを失ったような気持ちが重なった瞬間があったのだろうか。もしそんな瞬間があったなら、きっとその瞬間のあなたの表情は…と不遜にも想像をしてしまうくらい、豊かに広がる歌だ。
歌詞を訳した上で聴いた旋律は、五線譜の上をトロッコで運んでもらっているようだった。
あ、ここで止まるんだ、ここで落ちるんだ、こんなにも伸びるんだ、ここが、柔いんだ…
そんな体感を覚えながら、気づけば曲が終わっていた。
柔くあたたかい…なのに私の心にもどうしてか穴の空いたような気持ちがして、涙が出ていた。
Headliner
歌詞を訳して、本当に驚いた。
私がSEVENTEENに抱いている想いが、SEVENTEENの方から手渡されたからだ。
あなた達を見て、何度思ったことだろうか。
私だけが見ていたい、私だけが知っていたい
けれどあなた達の直向きさや優しさや暖かさや誠実さ…そういうものを見続けるたび、世界中にあなた達のことを知ってほしいという祈りに辿り着く。
アイドルを好きになる前、好きなアイドルが有名になると遠くに行ってしまって寂しいというような言葉をしばしば目にしていた。アイドルを好きになるというのはそういう悩みにぶち当たるものなんだと思っていた。
けれどCARATとしての私の想いはまさに「僕だけが見ていたい、いやみんなに君を見せてあげたい」だった。私にとってはこれこそが恋愛とも家族愛とも友愛とも違う、この胸に灯してもらった愛の特長だとすら思う。
「SEVENTEENを好きでいること」という、書き始めたもののまとめられずにいるnoteの下書きにこんなことを書いた。
雨の日も晴れの日も
風のある日もない日も
涙が出る日も出ない日も
SEVENTEENを応援しているつもりでいたけれどいつだって応援してもらっているのは私の方だった。
私の人生をいちばん近くで(なんなら内側から)応援してくれた人たちが今、「君が僕のheadliner」だと、「また雨の降る日が来ても君の最前列に立っている」と言ってくれることが、どれだけ「数多くの明日への勇気になった」ことか。
そして私が、どれだけあなた達にその言葉をお返ししたいと思っていることか…
「メロディ」の後の「Oh」に次々声が重なっていく。まるで添木が伸びていく枝を支えるように。
コンサートの後にこの歌を聴いて、ああ、この夜の話をしてくれていたのだと私の心の1番深いところまでストンと落ちて、染み渡った。
きっと私たち、何か特別なことをするでも励ますでもなく、この先の日々もただお互いの最前列に立っていましょう。
それが明日への勇気になるから。
음악의 신 (Inst.)
Followツアーの最後に流れたInstに、CARATの歌声が重なる。なんてことない日常の中でBGMになってくれるだけでなく、私たちに歌を預けてくれるかのような祝祭の後奏。
完璧じゃなくっても、みんなで声を合わせて、あなた達のリードがなくても歌えるよ、だってあなた達の歌はいつだって私を息づかせてくれてきたから…そんな気持ちでドームで一生懸命に歌った。
それはあの瞬間私が1番伝えたい「愛してる」だった。そして、あなた達に続けて、しかし私は私の確信を持って今改めて言いたい。