今、そしてこれからも
8月23日、SEVENTEENのJAPAN BEST ALBUMである「ALWAYS YOURS」がリリースされました。
体感として、そのタイトルやトラックリストなどのスポ期間がいつもより長かったように思いますし、今となってはその時間すらも作品の要素のひとつだったと思います。
この愛おしい「時間」が段々と私の記憶から遠のいていくのが惜しいので、この現在地である「今」の新鮮な気持ちを書き残したく、筆を取りました。
トラックリストとしては「今ー明日、世界が終わってもー」「SaraSara」の順ですが、この「時間」を残すために「ハイライトメドレー」そして先行曲であった「SaraSara」から先に触れたいと思います。
ハイライトメドレー
ベストアルバムで新たにリリースされる2つの日本語曲である「今ー明日、世界が終わってもー」そして「SaraSara」。
このタイトルが公開された、たった1時間後にハイライトメドレーも公開されました。
率直に、身に余る幸せだと思いました。
最後の夜を思い浮かべた時に「君にlast danance」と言えるのは彼らがアイドルだからこそで、君“と”last danceだと特定の(私ではない)誰か1人に向けた比喩表現だと感じるのですが、これはSEVENTEENである彼らがCARATである私たちに向けて、きっと比喩じゃなくそう歌ってくれているように思えました。
そもそもlast dance以前に「もしも世界最後の夜が来たら」と想像をすること、そこで死ぬ前に自分一人でやりたいことではなく「僕は君のために何ができる?」という問いを立てること。
前提からして、何ひとつ当たり前じゃない。
そしてメロディラインの「希望」たるや。
この明るさ、世界最後の夜を想いながら光に向かって歩いていく覚悟。目を引くタイトルではあるけれどそれは彼らの歩みの延長にあるものに違いないと感じました。
君から離れることが怖いというのは、なんとなくCARATとして聴き馴染みのある言葉だと感じました。でもそれって、とんでもないことですよね。
アイドルがファンに向ける言葉、もしくはアイドルがメンバーに向ける言葉として受け取ったうえで、(あなた達はそうだよね)と思えてしまうこと。
今までどれだけの身に余る愛をもらってきたのかを改めて思い知りました。
ただ、その直後に入る「結局僕らの関係値は」という言葉に驚きました。
「結局」ってある意味で諦念というかそこで一旦結論づける言葉で、それを「僕らの関係値」に繋げてしまうというのが新鮮で、ザラっとしました。
しかしその後に続く「SaraSara」というオノマトペ。
「結局」と言いながら言い切らないこと、
しかし「結局」の先にこの言葉があること。
その言葉に、一見すると諸行無常のような諦念を感じてしまうこと…
それなのに、
「これからの世界も僕と一緒にいてくれる?」
と問うてくれること。
この表現はなんとなく寂しがりやの印象を受けるし、それはそれで間違いではないのでしょう。
けれど変わらなくとも流れていく関係のなか「一緒にいてほしい(自己完結)」や「一緒にいて(お願い)」ではなく、相手の意思を確認する疑問をまっすぐ投げかけられるのは、ものすごい勇気だと思います。
私にはそんな言葉を書くことはできません。
SaraSara
8月16日に先行配信されたSaraSara。
正直、最初に聞いた時には歌い出しの
「今日から共に歩んでほしい」
という言葉が衝撃で、曲の半分くらい頭に入って来ませんでした。
デビュー曲でも、日本デビュー曲でもなく、ベストアルバムの曲の初出しでどうしたらそんな言葉が出てくるのか…
と思いましたがこれはひとつの台詞で、今言いたいことであると同時にはじまりの回想でもあるのでしょう。
あまりにも日本的な感覚に則した表現。
「ことば」が「言の葉」つまり植物を用いて表される言語で、「植え」「水をやり」「枯れない花となった」と表現すること、ああ、これがベストアルバムか…と。これまで真摯に日本語と向き合い、日本でアルバムを出し続けてくれた人たちだからこそできることだと感じて胸がいっぱいになりました。
その一方で
この「顎まで」という表現は日本語だと「喉まで」「首まで」という表現の方がしっくりくる気がするのですが、そこはTEAM SVTが韓国語の言語感覚を尊重したのだろうなと感じ、それもまた彼らが母国ではない国での制作でいかに誠実であるかを物語るようで有難く、涙が出ます。
ここでシンプルなギターのみになるのがカッコ良すぎて聞くたびに手をギュッと握ってしまいます。
「数字は僕らには意味がない」
ここで思い出したのはスングァンちゃんの言葉でした。
世間では「数字」が重要で、それはSEVENTEENもCARATもよくわかっているし、どうでも良いだなんて言うことはできないと思います。
けれど「僕らには」、すなわちSEVENTEENとCARATの間では意味がない。天の川の星たちのように共にひとつの流れを形作ってきたことこそが何よりも重要なんだ…これもまた嘘のない言葉だとまっすぐ信じられます。
SEVENTEENの歌詞の「君」は「CARAT」だと思えて、そしてどうしてか彼らの言葉は「君」へ向かう時に最も強い光を放つ。
「君」を素晴らしいと言うとき、同時にそれが彼らの自己肯定と表裏一体だと思えてしまうのは、私だけでしょうか…
これは歌詞の「読解」の域を出ていると思いますが、私がCARATとして眼差し歩いてきた流れの中では自然な感覚なのです。
最後に何も残せなくても…それはきっと世間に記録を残すことではなく何かを未来(または最後のその先)へ持っていくことができないことなのではないかと思うのですが、それでも「君の名前」は覚えていられると言ってくれること。
いつだって分不相応な愛を見せてもらっているけれど、どう足掻いても返せないその愛に報いたいと願い続けることだけ、どうか許して欲しい。
…そんなこちらの想いなどお見通しと言わんばかりにいつも先回りしてくれるから、SEVENTEENには敵いません。
大きすぎる言葉ではあるけれど大袈裟なわけではなく、本当に、彼らの全てなんだと思います。
彼らが全力を尽くした日々や選択の結晶、その姿を好きでいるのが「CARAT」なのですから。
「完全に合わせれなかったお互いの大切さを」
この表現をまだ私は咀嚼しきれずにいるので、今はそのままにしておきたいです。
最後の最後
「これからも僕らの夢について来てくれる?」
2018年の日本デビュー時の言葉を再び、歌に乗せたこと。まさに天の川のように、少し俯瞰したときに大きな美しい流れをつくる…彼らのベストアルバムとしてあまりにも見事です。
もちろん答えはイエスなのですがそれでもここでまた聞いてくれること、まるでSEVENTEENと CARATの再契約のようだなと感じました。
実際の契約のように互いを縛るものではないですが、惰性ではなく一度立ち止まり、今までのこととこれからのことを考えて互いの意思を改めて確認する…
意図してかどうかは分かりませんが、応援方法の中で「これからの世界も僕と一緒にいてくれる?」の後には「Yes!」という掛け声が用意されているのですが、「これからも僕らの夢について来てくれる?」の後には無いんです。
聞かれなくてもついて行くのですが、改めて聞いてくれたSEVENTEENの想いに自分の想いを重ねて、真っ直ぐ目を見て、はっきりと「Yes」と言いたいです。
今 -明日 世界が終わっても-
CDをフライングゲットしたのでMV公開前に聞くこともできたのですが、どうしてもMVを最初にしたくて公開を待ち侘びていました。
「The End」の文字を背後にとびきりの笑顔で集まっている、世界で1番大好きな13人の姿。
タイトルがタイトルであるだけにどうやって話を切り出してくれるのだろうかとソワソワしていましたが、ああ、いつものSEVENTEENの言葉だと安心しました。
CARATに向けた言葉だと思うのに、たくさんのCARATのひとりであるということはよく分かっているのに、こんなにも「たったひとつ」という言葉がまっすぐに届く…
その信頼を支えて来たのは誰にも見られることのない「平凡な日々」で、それを大変だと言ってくれて、そのうえで「後悔はない」と言ってくれることがどれだけ嬉しいか。
ただ、「今」を記録したいという想いで正直に綴ると、今回のMVを私は2回しか見れていません。
以下に綴ることにMVに対する否定的な気持ちはこれっぽっちも含まれていないということをどうか含みおいていただけると有難いです。
体育館の避難所のシーン、そこに降ろされる励ましのメッセージが書かれた横断幕。
2011.3.11、東日本大震災で13歳の頃に見た光景がフラッシュバックしました。
これを読んでくださる方の中にも被災された方がいらっしゃると思うので詳細を書くことは控えますが、私の経験した中で最も「世界最後」を意識した日々がそこにありました。
ただ、大きい括りでは「被災者」である私も内陸部にいたため津波の被害には遭わず、この十数年どこかで「自分より辛い人がいる」と自分の経験した恐怖に向き合わずに来てしまったのだと、期せずして今回のMVで気づくことになりました。
少し話は逸れましたが何を言いたいかというと、
タイトルの公開、ハイライトメドレーでは概念でしかなかった「世界最後の夜」に突然自分自身の経験、記憶、恐怖が乗っかって「『あの』夜」になったのです。
概念として捉えていた時にはただただ有難かった「君に last dance」にも、申し訳ないという想いの方がどんどん大きくなってしまって、踊らなくていいだなんて言えないけれど、「あの夜」がまた訪れたとしたら、私はあなた達が世界のどこかで踊ってくれているかもしれないと想像するだけでいい、それで十分救われるのに…とポロポロ涙を流すことしかできませんでした。
そんな私の胸にグッと刺さったのが「last chance」という言葉でした。
ああ、そうか、CARATのための献身や自己犠牲じゃなくて、SEVENTEENにとってもステージに立つことができる最後のチャンスになるんだ…
そう思うと「眩しすぎるその笑顔を守れるなら、もしできるのなら」という言葉も「last dance」を「君(CARAT)のため」というより「僕(SEVENTEEN)のため」と捉えているようにも感じられて、それならば申し訳ないと俯くんじゃなくて、私はなんとしても彼らのlast danceに最高の笑顔を向けなければと思ったのです。
「今夜世界が終わっても大事にしたいのは僕らの今」という言葉はSaraSaraの「最後に何も残せないとしても」とも表裏一体な気がして、この道の終わりにはどうしても持っていけないものがあるから「今」を大事にしたいんだというメッセージは私の胸にストンと落ちました。
ALWAYS YOURS
最後の夜を想い泣きながら眠りに落ちたMVの公開を経て、巡り逢った「明日」の朝。
アルバムの曲順の通り「今ー明日、世界が終わってもー」「SaraSara」と聞けばSaraSaraのイントロは穏やかなアラームのようで、「今日から共に歩んで欲しい」と歌ってもらえた瞬間(よかった、今日もまた「明日」が来た) と安堵で涙が出ました。
朝が来るのが怖い日のほうが多いけれど
それだって紛れもない「今」だけれど
自分で思っていた以上に私はSEVENTEENと迎える「明日」を望んでいたのだと痛感して少し驚きました。
「今ー明日、世界が終わってもー」のメッセージは、明日世界が終わるかのように今を大切に全力で生きよう!!という鼓舞ではないと思っていて、それだけでは続けていけない日々の流れを認めてくれるのが「SaraSara」なのだと思います。「今」という点も「変わらず流れていく」線も、どちらも歌ってくれることがこの上なく大切で…
毎日思っていることではあるけれど、
SEVENTEENを好きになってよかったという想いをギュっと抱きしめました。
そんな2曲のほか、日本語オリジナル曲7つと日本語verの18曲。その時その時のベストである「今」を、ここで「天の川のように」振り返る。
そんなベストアルバムのタイトルが
「ALWAYS YOURS」
ALWAYS…今も、そしてこれからも。
YOURS…何が?
SEVENTEENの今が。
そしてこれからが。
また、CARATの、私の今が。
そしてこれからが。
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