エンディングツアーin仙台
私の人生における最初のアイドルのエンディングツアー仙台公演に立ち会った。
本当は来年のエンディングのあとに総まとめのようなnoteを出そうと思っていたけれど、今、彼女たちに会いにいけるうちに、彼女たちが「でんぱ組.inc」と名乗ってくれているうちに書き残さなきゃいけないと思った。
書き残す…というか世界にでんぱ組.incを知ってほしい。今、今すぐ。
だってでんぱちゃん、今もファンを増やしたいって言ってるんだから。今から好きになったって…と思ってるくらいなら絶対会いに行ったほうがいい。
そう思えるステージだった。
はじめに
私は2020年からSEVENTEENというKPOPアイドルに出会い、ファンになりました。好きになったら心のど真ん中をひとつの対象にしか捧げられないヲタクだから、自分のなかで一度でんぱ組に対しては一線から身を引く決意をしました。
そんな私がエンディングツアーに参加するまでの経緯は以下に記載しますが、どちらも自分の人生において大切すぎて、14日の仙台公演直前の12、13日は韓国でSEVENTEENの公演に参加し14日の早朝の飛行機に乗って仙台Darwinへ直行するというスケジュールを強行するほど、心の分配がうまくできずにいます。そのため本文中にもチラホラSEVENTEENという文字が登場するかと思います。
このnoteはあくまででんぱ組.incの仙台公演についての感想ですが、単なるレポートではなく私の人生のハイライトを残しておく宝箱として、数十年先でもなるべくこの日の煌めきを思い出せるように書いておこうとしているものでもあるので、その点ご了承ください。
また、盛大にセトリについて触れていきますのでその点もご注意ください。
仙台公演参加まで
2024年4月20日、でんぱ組.incが2025年にエンディングを迎えると発表された。
驚いたし、ショックだった。
わざわざnoteまで書いて一線を離れた私がショックだなんて言っていいのかわからないけれど、事実としてショックだった。何の感情かわからない涙が溢れた。
でんぱ組は「エンディングを迎える」と言う。
「解散」ではなく「エンディング」
でんぱヲタとしての自分にセミコロンを打ったあとにも、たまにでんぱちゃんのMVを見たりすることがあった。気づけば新しいメンバーが過半数を超えていた。変わったなあと思うところはそりゃたくさんあった。
でも変わらないなあって、私の好きなでんぱ組.incだって思う瞬間もたくさんあって、それがまさにでんぱ組.incの「ストーリー」だった。
最後にツアーをやって、駆け抜けて、エンディングを迎えるらしい。でも、エンディングだ。
16年。小さなライブバーから発足したアイドルが、形を変えながら、結婚・産休も経て、16年も紡いできたストーリーの、エンディング。
その客席に私が立つ資格はあるのだろうか。
私の当初の推しであったもがちゃんは「あした地球がこなごなになっても」のリリイベの、たった一回しか会いに行けないまま、この歌を最後に脱退した。「推しは推せるうちに推せ」だなんてよく言われるけれど、私の行動原理の根底には今でもこの歌詞がある。
だからこそ悩んだ。会えなくなると分かった途端会いに行くなんて虫がよすぎやしないか。
メンバーも人数も変わっていくでんぱ組をずっと応援してきた人たちこそ行くべきじゃないのか。
そんな私の目に未鈴ちゃんのツイートが飛び込んできた。
私は他界(他界隈に移った)したひとになるわけだけど、行ってもいいんだって。
いや、絶対見に来てください、だって。
そりゃもう「行くしかなーい!」だ。
絶対に駆けつけるぞと腹を括った。
日程的にも場所的にも現実的だった私の地元である仙台での公演に応募した。最大収容人数360人。
仙台での公演には何度か参加したことがあったけれど、文字通りケタ違いに小さな箱だった。
当然すんなり当たるはずもなく、一次二次と落選。3回目の応募をしたあと、仙台公演の前日と前々日にSEVENTEENのソウルコンが入ることが発表された。今回の応募で落選したら仙台公演は諦めたほうがいいなと思った。
8月8日、SEVENTEENの統括リーダー、スンチョルさんの誕生日の日に当落発表。
ダメ元でトイレでスマホを開いたら「当選」の文字。涙目になりながら仕事に戻り、連番予定の元でヲタでCARATの方に連絡して興奮しながら夜に電話した。
しかも当選したのは優先入場券。
お見送り会付きのチケットだった。
「お見送り会」
私がでヲタをやってたときは行ったことがなかった。最初で最後の、本当の「お見送り会」だ。
これはいよいよ気合を入れなければと思った。
まずは私がセミコロンを打った後に出た曲、ライブ映像を見なければと公式YouTubeを遡った。
みりんちゃんの産休期間、感染症対策で無歓声のなか行われた私たちの太陽・えいたその卒業公演、5人もの新しいメンバーが入った日、ねもちゃんの活動休止と卒業、こずこずとあおにゃんは私が離れている間に加入して卒業していた。
私が社会人になり、CARATになり、SEVENTEENと歩いてきた日々と同じだけ、彼女達はでんぱ組.incとして歩いていた。その歩みを私は見ていなかった。
当たり前のことだけど、セミコロンを打つということは…でヲタとしての自分にひとつの節目をつけたというのはそういうことだった。
オーギュメンテッドおじいちゃん、という曲があった。でんぱちゃんの「なんじゃそりゃ!」には慣れてるつもりだった私もこのタイトルには面喰らって、発売当時、情報は見かけてたけど見なかった曲だ。
再生早々「ゆっくり解説」の作画と喋り方でりさちーとひなちゃんが話し出す。なんじゃこりゃ!
2107年、「あの頃のオタクの記憶から生み出された電脳ユートピア」だって。なんじゃそりゃ!
次の瞬間にはペラペラの電子映像のようなでんぱちゃん。…あああ…衣装めっちゃかわいい…涙
フリル、リボン、チュール…布とパーツがたくさんでメンバーごとにちょっとずつアレンジされてて本当にカワイイ。でんぱちゃんの衣装大好きだったな…
そんなこんなで曲を聴いていると、どうやら「オーギュメンテッドおじいちゃん」というのは2107年の我々(オタク)がその時代の子どもに対してでんぱ組のことを語る歌であると気づいた。
回想シーンにこんな歌詞がある。
ああ、でんぱ組だ。と思った。
「同じ泥の中から」という言葉がぴったりなアイドルは後にも先にも彼女達しかいないと思う。
SEVENTEENに「同じ夜を歩いてくれる」という言葉をあてたことが何度かあるけれど、「同じ泥の中」という表現はぴったりじゃない。
どっちがいいとかじゃなく、それぞれのストーリーを踏まえて、でんぱ組が想定する姿が私の知っているでんぱちゃんそのものであること、そしてそれを彼女達から歌ってくれること…
おじいちゃんになっても、おばあちゃんになっても、あなた達の話をしていいですか…
DNAという曲があった。ポエトリーだ。
歌人の木下龍也さんが作詞している。
でんぱ組はいつもいつも新しくってすごい。
未鈴ちゃんはたまに面喰らってしまうくらい、生(なま)だ。
未鈴ちゃんが死んだら悲しくなる人がいるなんて、そんな当たり前のこと、なんでアイドル初めて14年(当時)経つまで知らなかったの!と訴えたくなる気持ちもあるけれど、じゃあ私が「誰かが悲しむから死ぬとかいうのはよくない」と思えているかといえば、頷けない。
当たり前じゃない。当たり前じゃないんだよ。
自分の命が肯定されていて、それに気づくことができること。そもそも自分の「死にたい」という感情と別に人の悲しみに気を遣ること。
仙台公演まで1ヶ月を切ったあたり、りとくんのnoteを読んだ。
涙が出た。
私だったら「今更そんなことを悩んでるの?」と自分の中の誰かの声で掻き消してしまう悩みを、ひとつひとつ悩んでいる姿を見せてくれる。
別に誰かを救おうと思って書いてるわけじゃないだろうけど、だからこそ「でんぱ組.inc」が私にとって最初のアイドルになってくれたんだって思い出した。
高校の同級生の布教によりでヲタになった私だったけれど、初めて誰かを熱烈に好きになったから「ヲタク」と名乗れるようなこと…例えばCDやグッズを買うとか、コンサートにいくとか…そういうことができるようになるまでに3、4年かかった。
SNSを持っていなかったからヲタクコミュニティの色も知らないままだった。
参加したコンサートは当時お付き合いしてた人と一緒に行ってたけど、付き合ってもらってる形だったのでヲタク同士の繋がりというのは持っていなくて、今思えばひとりで、ただ、ただ大好きでいた。
でんぱちゃんの前ではひとりでいられた。
でんぱちゃんの前では怖いよ、辛いよって言えた。
でんぱちゃんの前では下手くそで歪で醜い自分のままでも笑っていられた。
怖くても「いい」とか悩んでも「いい」とかですらない安心感があったから、何をどう救われているかも分かってなかった。
救われようとか助けてもらおうと思って聞いてたわけじゃないけど、誰にも救われることなんかない(助けて欲しい)と感じているときに何度も何度も聞いていたんだって今ならわかる。
でんぱ組って、すごいんだよ。
会場へ
5時に起きて夜明けとともに空港へ。
忙しなく仙台空港へ向かった。
仙台公演はエンディングツアーのなかで2公演目、そしてでんぱ組のワンマンツアーとしては1公演目なのでセトリがわからないからソワソワしていた。
実は12日のSEVENTEENソウル公演も、ワールドツアーの初日だった。出国前夜にチケットが取れたこともあり、ずっとふわふわと浮いているような、それと同時に爆裂にビンタされているような感じだった。
飛行機で機内食を食べながら、これから7年ぶりのでんぱ組のコンサートに行くんだと思ったら涙と鼻水が止まらなくなって、外付けのコチュジャンを全部ぶちこんで辛さで鼻水が出ている風にして誤魔化した。
でんぱ組.inc東北ファン企画さんの、でんぱちゃんと東北の歴史の投稿を見た。2015年8月17日の愛踊祭のときはママチャリで山を越えて(自動車専用道路ぶつかり一部ママチャリを担いで)行ったなあとか、でんでんパークのときはさくら野百貨店まだあったなあとか嬉しく思い出しつつ、自分が参加を見送った公演の方が多くて、もっと一生懸命になればよかったなんて思ったりもした。
仙台駅からアーケードを通ってDarwinへ。
空港でペンライトが入荷できず販売中止というお知らせを見て焦っていろんな店を探して、ダイソーで付け焼き刃のペンライトを買った。
ホテルに荷物を放って、会場のあるぶらんど〜むに入ったらはっぴやタオルで一目ででヲタとわかる人だかりができていた。
私の住む街に、私の大好きな人たちを大好きな人達がいる。大好きな彼女たちに、大好きだよって言うために集まってきた人たちがいる。
その事実を目の当たりにして、道のど真ん中で泣きだしてしまった。
お花とボードが飾ってあって、「でんぱ組.inc、ずっと一緒だよ」と書かれていた。キラキラチューンの口上だ。ちょっと前にカラオケで口上の練習をしようとしたけど号泣して何も言えなかったな。
物販でCDとTシャツとストラップを購入する。
本当に必要なものを買っただけなのにツーショットチェキの特典券が付いてきた。いや、あるのは知ってたけど私が会場に着いたのは開場の1時間前で、絶対枯れてると思ってた。
チェキなんて撮ったことないし、SEVENTEENのオフラインイベントを基準にして考えてたからツーショットなんて撮らせてもらうには2、30万円くらいお金使わなきゃいけないんじゃ…と思っていて、覚悟の決まりまくった歴戦のプロオタクだけが辿り着ける舞台だと思ってたから頭が完全にショートした。しかも一度に2枚分…
正直私の1番の後悔は、このとき物販のお姉さんが「この金額買うならお会計分けた方がもう一回分特典もらえますよ」と言ってくれたのに、そうしなかったことだ。
私が到着した時点で私の推しである未鈴ちゃんの特典券は終わってて、先述の通り歴戦のプロオタクが血と汗と涙の結晶として撮影するものだと思ってたから、頭に赤いリボンをしこたま乗っけて赤いインナーを着ている明らかに未鈴推しの人間が他のメンバーのチェキ列に並ぶなんてもってのほかだと思ってた。その時点でブイログとかブログとかラジオとかで本人の言葉を比較的受け取ることができていたぺろりんとひなちゃんを選ぶので精一杯で、これ以上はダメだと思ってしまった。
例えばSEVENTEENのお見送り会に行くとなったら、たった2、3秒目の前を通過するために何度も何度も伝えたいことを考えるし何度も何度も練習する。たとえ自分がそのメンバーのファンだと名乗っている相手じゃなかったとしても、その瞬間は全身全霊でそのひとに愛を伝えにいく。そのための準備をする。
そうしてやっと人の前に立っているのに、何の準備もなしに彼女たちの目の前に立てる自信がなかった。
周りのオタクへの遠慮もそりゃあったけど、何より本人たちに見透かされると思ってしまった。
でもほんっっっとに後悔してる。
情けなくてもちっぽけでもりとくんりあちゃんにもありがとうと大好きを伝えるべきだった。伝えたかった。
一方公演前の私はこんなに後悔するとはつゆ知らず、震える手で特典券を握りしめながら最低限の荷物にまとめ、コインロッカーに荷物を入れた。
小銭がなくてコンビニで飲み物を買った。
鍵を閉めたあとに大切な大切なチケットまでロッカーに詰めていることに気づいた。
そして同行してくれた🌾さんはホテルに預けた荷物にチケットを入れていたことに気づいた。
開場20分前。
我々ガシャガシャすぎない?!!!
🌾さんはそっこーでホテルへ向かい、私はコインロッカーを爆速で開けた。小銭がまた足りなくなったので隣の自販機でジュースを買った。飲み物だけが増えていく。そこでりさりあぺろ寄りの箱推しの方がロッカーが見つからず探してらっしゃったので一緒に使うことにして少しお話しした。
公演からお見送り会、特典会までの一般的な流れを教えてもらったりした。このほんの少しのお話すら、ひとりででんぱ組を過ぎていた時間が長かった私にとっては本当に奇跡みたいだった。
ちょうど韓国に飛び立つ前にも、「萌きゅんソングを世界にお届け」のnoteを読んでくださった方とTwitter上でほんの少し、お話をして、私が大好きな人を大好きな人がいるという当たり前の事実が嬉しすぎて空港で泣いていた。
そうこうしてるうちにギリギリ🌾さんもチケットを回収して帰ってきて、2人で何やってんだろう私たちって笑った。
🌾さんは、SEVENTEENのファンとして出会ってくださった方だ。一緒に韓国の公演に行って、一緒にでんぱ組の公演に行く。生きてたらこんなこともあるんだ。
韓国ではスタジアムの三階席へ階段をひたすら登って行った2人が、でんぱちゃんに会うために地下のライブハウスへ階段を降りていく。
宇宙を救うのはきっと
ぎゅうぎゅうのライブハウスにWe need the DEMPAの音源が流れるなか開演を待つ。
いつもの入場の音声に切り替わる。
「でんぱ組.inc、はーじまーるよーっ!」
メンバーのみんながステージに入ってくる。
忘れたくないことも忘れていってしまう私だけど、あの衝撃はきっと、本当に忘れない。
ぴかぴかでキラキラだった。人を見たときに「ピッカピカだ…!」と感じるのは初めてだった。カワイイ!という衝撃が強すぎて大号泣するなんてこと、あるんだ…
カワイイといっても庇護欲をくすぐるようなかわいさではなくて、カワイイがぴかぴかのコーティングのように全身を包んでいて、それがもはや甲冑のような強さと分厚さになってて、突き詰めすぎて限りなく「カッコいい」に近い状態になっている「カワイイ」だった。お見事!天晴れ!と叫びたくなる、もはや「カワイイ」という表現が適切なのかもわからないけど、でも1番に出てくる言葉は「カワイイ」で、2番目に出てくる言葉は「カッコいい」だ。私の世界でいっちばん王道でとびきりカワイイのはやっぱりでんぱ組.incなんだって分からされた。
そんな衝撃のなか聞こえてきた一曲目、FD3,DEMPA ROCKET GO!!
絶叫した。
というか今更気付いたけどピカピカだって思った子達が「PIKAピカPIKAピカ」って歌ってたのか…
FD3の「声を出したけど届かない」ってところが大好き。宇宙じゃなくて、目の前にたくさん人がいる状態でも「声を出したけど届かない」って感じることってないですか?もちろんそれ自体は決してポジティブなことではないけれど、FD3のなかにこの言葉が入ってることが私は本当に嬉しい。
エンディングツアーの一曲目でこの初速…これが第二宇宙速度(地球の重力を振り切って宇宙に脱出するために必要な速度)だ…と思った。
続いて流れたFD2〜レゾンデートル大冒険〜
これを聞いて泣きながら就活の面接行ったなあ…
改めて本当に本当に素敵な曲だ。
そしてFD2が流れた時点で覚悟していたFuture Diver。
全く自信がなかった久しぶりのMIXも、ジャンプやちょっとした振り付けも、思っていた以上に身体が覚えてた。
7、8年前、誰に見せるでもなくただただ楽しくてかわいくて真似したくてひとり部屋で踊ってた曲たちが流れたら体が自然と動く。
隣をチラッと見たら🌾さんもちっちゃく踊ってて、私が出逢うよりずっと前の🌾さんにも、でんぱちゃんの踊りを見ながら真似した日々があったのかと思ったらなんだか堪らない気持ちになった。
出だし三曲の「ついてこいよ!メソメソしてたら置いてくぞ!!」と言われているような選曲に、顔面を涙でびちゃびちゃに濡らしながらバカデカ笑顔になっていた。
続いてのアキハバライフ…え?!!!アキハバライフ?!!!アキハバライフやってくれるの?!
前も好きだったけど、今聞けてよかった。
あの頃は言えなかったけど、今はね、「あの頃が今をくれたんだ」って「やっと分かってきた気がしたんだ」って言えるよ。
ね、🌾さん。
続いて我ら令和のかえるちゃん!
かえるちゃんのダンス、本当に涙が出るほど(比喩ではない)カワイくて、みんなの表情も最高で、でもエンディングツアーだからやらないかなと思ってたけどやってくれた😭
好き好き好き好き😭と目がハートになっている間に商売繁盛!元祖電波屋!に突入。
改めて、エンディング発表後一発目に出す曲が「元祖でして本家でしてパイオニア」なの、カッコ良すぎて痺れる。
口がついてこないときのハプニングリアクションも生歌だからこそで、この一瞬の永遠は二度と訪れないんだって思った。
…と思えばギラメタスでんぱスターズ。
いっぱい伝えたいから歌詞が詰め詰めになっているという、そんなあなた達が大好きです。
「お前ら道に迷わせない、行く先照らしてやんよ」を、この、エンディングツアーで改めて歌ってくれることの決意がありがたい。終わりって、終わりじゃないんだ。
作ったものを仕舞っていくんじゃなくて、終わりまでの新しいストーリーを作り続けていくものなんだ。
からのおやすみポラリスさよならパラレルワールド。
振り付けの魅力が爆発している曲のひとつだと思う。そして私がSEVENTEENを好きになってすぐ、でんぱ組との共通点を見出した曲でもある。
どちらもメンバーの上に乗ったり、持ち上げられたり、メンバーに対して背面から倒れていく振り付けがあるのだ。おやポラは何度見ても新しい。
続いて形而上学的、魔法。
楽曲提供した諭吉佳作/menさんが豊洲公演でのコラボ後に投稿していたツイートで、改めてでんぱ組.incと楽曲提供者さんの関係性が大好きだと思わせてもらったから、うれしかった。
でんぱちゃんの中では珍しい低めの音域、コンテンポラリーダンス、直接この目で見て耳で聞くのは初めてだった。
次は何がくるのかなと思ってたら前奏なしのこの曲
きっと、きっとね。だ。
一歩が踏み出せないとき、世界のどんな励ましの声もうるさいと耳を塞いでしまうとき、自分のことを諦めたくなるとき、とりあえず、大挑戦じゃなくてもこの歩みを止めないよう踏ん張ろうと思わせてくれた曲だ。
この曲が「エンディンツアー」の文脈に乗ると、本当に、何一つ諦めなくていいんだって、私たち何ひとつ諦めてないよって教えてくれているようで嬉しかった。
続けて冬へと走り出すお!
…なんかもう、いいんですか?!!
冬へと走り出すお!って聞かせてもらえるんですか?!!
この砂糖菓子のような、粉雪のようなカワイイ歌を?と目をパチクリさせてたら目の前を駆け抜けて行った。こんなに熱いのにもうすぐ冬だ。
そしてBPM285EX。確かここでりあちゃんが「次の曲はBPX!」と言い間違えてた気がする。私は頭がシュワシュワだったので多分そのまま押し通されても気づかなかった。
We need the DEMPAの収録曲についてはまた別でnoteを書こうと思っているけれど、私はこのBPM285EXを聞くと毎度泣いてしまう。
「ラストEP」の最後の曲が「ホントにホントの旅の始まり」って、そんなの敵わない。でも今回のセトリはまさしくこの通りだった。
ピンちゃんの「次は終点、仙台です!」
来てくれたね。本当に。
「ここにいるみんなででんぱ組.inc」の「ここにいるみんな」で、このストーリーのエンディングを作っていくんだ。
ラストスパートに突入。でんでんぱっしょんだ。
ステージが小さいのでクルクルリボンではなくメンバーが各々のメンカラのサイリウムを使って踊る。音源になっている当時のでんでんぱっしょんからラップ部分が大幅に改変されている。
YouTubeに上がっている今のでんでんぱっしょんの動画を見た時も面食らった。りとくんりあちゃんのラップも超超超超超かっこいい!!!!カッコよくて泣いちゃった。「現状維持は退化でしょ」を地で行く人たちだ。
続いてバリ3共和国。私が初めて聞いたでんぱ組の歌だ。
仙台空港から会場に向かうまでの電車内で🌾さんと偶然(必然)この曲の話をしていた。
互いに形は違えど流された先ででんぱ組に出逢って、生き延びて、さらにそこから歩いた先でこうして出会っている。こんな世界だってあるんだ。
ラスト、破!to the Future。
全てのしがらみや弱気や不安を勢いと速度で引きちぎって振り切って先に行こうとする超勝ち気ソング。なんか、でんぱちゃんは既にエンディングのさらに先の未来に先回りしてて私がそこに辿り着いたときに「ハローアゲイン♡」って言ってくれるんじゃないかって思った。
最後の曲が終わったとき、後方から声が聞こえてきた。
「でんぱ組.inc、東北に来てくれてありがとう!アンコールやりましょう!」「でんぱ!東北!アンコール!」
続けてみんなで叫ぶ「でんぱ!東北!アンコール!」
今回の公演が東北では最後。
コンサートに行くこと自体のハードルが高かった学生時代の私でも一歩を踏み出せたのはでんぱちゃんが会いに来てくれていたからだ。
何分くらい呼び続けただろうか。5分くらいは叫んでいた気がする。
そうして出てきたでんぱ組のメンバー。最後の最後の曲はでんぱれーJAPAN
ステージに寝転がるメンバーの真ん中でみりんちゃんが両手で天を突くように立つ始まりの形が象徴的で大好きだった曲。今はひなちゃんとのツインタワーだ。
本当に?本当にエンディング迎えるの?!
「エンディング」という言葉にばかり目がいってしまって、どれだけ泣いてしまうんだろうかと不安だったけど、いや、大号泣はしてたんだけど、とにかくめちゃくちゃ楽しかった。
セトリを組んだひなちゃん。本当にすごい。
私は私が最初に好きになったアイドルであるでんぱ組のエンディングに立ち会いたいと思って今回の参加を決意したけど、本当に「今のでんぱ組」を見れてよかった。新しく好きになった。
最初から最後まで一人残らず本当にピカピカで「至高の領域に到達している」「このアイドルが失われるのは惜しい」と猗窩座みたいなことを思ってしまった。外法でもなんでもいいからなんとか永遠になってほしいと思った。
でもやっぱり「ここにいるみんな」で、エンディングまでストーリーを描き切っていくことが本当に素晴らしくて、それはでんぱ組にしかできないことなんだ。
呆然としている間にお見送り会がスタート。
みりんちゃんは体調不良でお見送り会はおやすみとのアナウンス。
人生って、、、、
私はみりんちゃんに面と向かって「ありがとう」というチャンスを逃した。
ただ、ステージに立っているみりんちゃんはまさに鬼神のようで、体調不良を感じさせなかった。推しに「鬼のよう」なんて不躾かもしれないけれど、なんとなくみりんちゃんを見たことのある人には伝わるような気がする。
怖かった、本当に怖かった。
優先入場チケットだったこともあって集合写真にバッチリ顔が写ってしまうくらいの距離だったから、何度か目線をいただけた(はずだ)けど「目を逸らしたら殺す」と言わんばかりの気迫が溢れてた。目力がすごい。本当に斬りかかられるかと思った。
その上でめっちゃくちゃカワイイ世界一のアイドルだからもう、私とんでもない人を好きになっちゃったんだなって嬉しくって。
そんなみりんちゃんが体調不良になるまでやり抜いたステージを目の当たりにできたのだから、残念がっている余裕すらないのだ。
お見送り会で伝えたかったことがあった。
「この先もずっと私を救うのはでんぱ組.incです」
でも、全然まだまだ「ホントにホントの旅の始まり」だなって感じたからこの言葉は合わないなと思って引っ込めた。
そしたらもう何にも言葉が出てこなくって、「かわいかった!カッコよかった!わ、わあ、、、」とプチパニック。ひなちゃんが私の頭についた大量の赤いリボンを見て「それカワイイ!」と言ってくれてさらに頭は真っ白。後半はただ「わ、ありがとう、ありがとう、ホントにありがとう、、、、」と繰り返す不甲斐ないヲタクになってしまった。最後にピンちゃんの隣の空間に「みりんちゃんありがとう」と頭を下げて会場を出た。
チェキのときにも、人生初だったから私はもう呆然としちゃって、ひなちゃんに「芋煮ばっか食べちゃった」と話題を振ってもらった。その瞬間宮城県民の自我だけが起きてきて「山形風ですか宮城風ですか?」と聞いて困らせてしまった。味噌ベース豚肉が宮城、醤油ベース牛肉が山形なんだけど、あれ?味噌だっけ?醤油だっけ?と混乱させた。いい大人が、、、、ごめんねひなちゃん(土下座)
ちなみにぺろりんが爆速で翌日に上げてくれたブイログを見たところ、醤油ベース豚肉というハイブリットスタイルだった。
全体的にひなちゃんにリードしてもらって、いったんチェキの流れを知った私は少し冷静になり、ぺろりんの列に並んで猫ピースをしてもらおうと目論んだ。はずだった。
いざぺろりんの目の前に立つとピカピカでびっくりしちゃって「ぺろりんに似合うと思うから猫ピースしよう」と言うつもりが「ぺろりん、カワイイから、猫ピースしよ、へへ」と不審者みたいな挙動をしてしまった。こんなキモヲタの提案を受け入れてくれたぺろりんが頭を私側に傾けてくれたところ、カチューシャのビリビリ⚡️部分が私の頭に刺さった。「わあああ!ごめんね💦痛くなかった?💦」というぺろりんによってようやく私は正気を取り戻し「大丈夫!私、でんぱ組に出会えて幸せです。ありがとう」と思っている通りのことを言うことができた。ぺろりんは「出会ってくれてありがとう」と言ってくれた。隣に座っていたりと君にも「りとくんもありがとう」って伝えて、あのフニャッとした笑顔で「ありがとう」って言ってもらった。
私がりとくんとりあちゃんとチェキを撮ったとして、失態を重ねるだけだったかもしれないけど、それでもありがとうと大好きを伝えればよかったと思った。
みりんちゃん、りさちゃん、ピンちゃん、ぺろりんがずっとでんぱ組でいてくれたから、りとくん、りあちゃん、ひなちゃんに出逢えたし、りとくん、りあちゃん、ひなちゃんがでんぱ組に入って繋いでくれたから、私は今のでんぱ組に出逢い直すことができた。
でんぱ組を好きになった頃の私は、自分の痛みの形がよくわからなくて
よく目につかない場所に傷を作っていた。もし気づかれても紙で切っちゃったとか、転んじゃったで押し通せるように工夫していて、SOSの出し方がわからなかったし、自分は助けてって言っていい側の人間じゃないと思っていた。多分救われたいとも思っていなくて、いっそもっとわかりやすい不幸が降ってきて全部覆い尽くしてくれたらいいのになんて思ってた。
自分が自分でしかないことが途方もなく嫌で。早く人生を降りたいけど死んで迷惑をかけていいような人間でもないと思っていて。
それでもでんぱ組の曲だけは聴きたくて聴いていた。
でんぱ組しか聞けない日がたくさんあった。
だから「でんぱ組しか聞けない」ではない今は、きっとあの頃の私から見たら眩しくて。そんな「今」の私が、こうしてでんぱ組.incに向き合おうとすることは「ねえダメだった日すらも抱きしめていたいのだ」だし、今でもダメダメかもしれないけど、それでも「今」の私で、「今」のでんぱ組に出逢い直して「あの日好きだったアイドル」じゃなく「今好きなアイドル」になってくれたことが大きな意味で救いだ。
宇宙を救うのはきっと、でんぱ組.inc。
それは規模の大きいことを指す漠然とした比喩ではなくて、
私という一人のちっぽけな人間の「声を出したけど届かない」暗闇で自分の形も現在地も分からず漂っていた日々に「光の速さも追い越して」「乗り込め!」って言ってくれたことで、そしてそれが私だけではなくたくさんの人たちの宇宙を救って、未来でもきっと救ってくれるのだろうと確信できることで。
だから私は、私の宇宙を救ったのは、そしてきっとこれからも救うのはでんぱ組.incなのだと、一人の証人としてここに残しておきたいと思います。
あとがき
長い、長すぎる。余裕で13000字を超えている。
なんかもうちょっと読みやすく、シンプルにまとめられないものかなと思うけど、「言葉が足りないなら数打ちゃ当たるぜ!」が好きすぎるので数打ってみることにします。
ありがとうって伝えたいのにあまりにも不甲斐なさすぎたから。
こんな長い文章が届くとは思えないけど、それでも私にはこれしかないからね。
隙あらば会いに行きたいとは思っていますが、とりあえず次の約束は1月4日の幕張公演。まだまだまだユメダラケだね。
あ〜よっしゃいくぞ〜!
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