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虎の威

ホシの自信ある姿から沢山学びました
ステージに上がる時どのように想像すべきか
まだ完璧にできないですけど
ホシのことを思い出せば、今は自信があると思います

HIT THE ROADの中でジュンくんが言ってました。
確かCARATになってから1ヶ月くらいであの動画を見たような気がする。
当時の私はホシくんの少し根暗で自信なさげな姿の魅力にヒタヒタに浸っていたので、この言葉の意味がよく分からなかった。彼ほど自信がないアイドルはいないとすら思っていた。

でも今ならジュンくんの言葉の意味が少しわかる気がする。ホシくんは根っこから自信満々というわけではないけれど、自信があるように見せること、「自分で意識的に自信を持つこと」ができる人だ。

今回はそんなホシくんのカッコよさについて。

鏡の中へ

こんにちはホシ。
君の気分が良くなくても、君は笑顔でステージに上がらなきゃいけない。それが君の仕事なんだ。
頑張ろう。
そうだホシ。
君ならできる。君はステージに上がったらホシだ。
クォンスニョンじゃない。
虎の視線で会場を掌握する君の名前はホシ。
そうだ。日本語で「星」だ。そうだ。
キラキラ輝くステージの「星」だ。

ステージが始まる前、鏡に向かって語りかけるホシくん。この儀式を通して自分に暗示をかけている。
メンバー達と円陣を組む時、アツいコメントをガンガン叫びながらメンバーを奮い立たせる彼の姿はイメージ通りだけど、自分で自分を鼓舞して奮い立たせようとする姿はなんだか胸を締め付けられるものがあった。

舞台裏でイヤモニとマイクつけて出ていきながら
その緊張感と、歓声が聞こえる中で
音楽の音もすごく大きくなっていって
スタッフの方々が「いきましょう」って言って…
そうするとここで何かがずっと湧き上がってくるんです。すごく熱くなって…
ここで吐き出さなきゃいけないような、何か噴き出さなきゃいけないような…
そういうものが湧き上がってくるようです。
僕はただそうやってカタルシスを感じているようです

この言葉のように、彼はステージに上がれば本能的に身も心も高揚してスイッチが入るタイプだと思っていた。

でもそれだけではなかった。
自分がアイドルとしてどう在るべきなのか、どんなアイドルで在りたいのか…
彼なりのアイドル像をしっかりと思い描いて、口に出して、自己暗示をかけているのだ。

きっと、最初から自信満々な姿を見せれる人ならこんなことはしなくたっていい。
自信のなさ、不安、恐れ、揺らぎ…
そういう「クォン・スニョン」という人間の一部を鏡の中に一旦預けて、彼は「パフォーマンスリーダー・ホシ」としてステージに上がるのだと思う。

ハッタリ

ハッタリ:勝負の場面で自分の実力以上に見せるために、自信に満ちた強気な態度や大袈裟な言動をとること。

ハッタリという言葉は時に「嘘つき」や「狡い」のようにネガティブな印象を与えるけれど、土台から練り上げられたハッタリは表現やパフォーマンスに於いて大きな武器になると思う。

写真家の下村一善さんの言葉で、とても印象に残っているものがある。


造形的に綺麗であればいい写真になるかといえば
そうじゃない。
その人の知性や、
自分を俯瞰的に見る自己プロデュースの力。
自己プロデュースの出来る方っていうのは
逆に自分をさらけ出すこともできるんですよね
そういう大きなハッタリであったり
ギャンブル出来る気持ちというか
そういうのもひっくるめた知性的なものが美しい女性には必要だと思います。

これはきっと女性に限った話ではなくて、人の前に立つひと、とりわけ「表現者」と呼ばれるひとに大切な技の一つなんじゃないかと思う。

自分を俯瞰的に見て、
「今の自分はどう見られているのか」
「自分はどう見られたいのか」
「そのためには何が必要で何が不要なのか」
を捉え、実行する…そんな自己プロデュースのとしての「ハッタリ」。

何を曝け出して、何を隠すか。

そういう駆け引きがホシくんは抜群に上手い。
ステージのエクスタシーに耽る恍惚とした笑みや、闘志剥き出しの睨み、会場に響き渡る咆哮、歓声を浴びた時に零れ落ちる幸せそうな笑顔…そう言うハレ(非日常)の姿を彼は惜しみなく曝け出してくれる。

そのうえ、これでもかというほど好戦的・挑発的な言葉で自分も周囲も焚き付ける。

あらゆる感情をアンプか何かで増幅させたようにステージで爆ぜるホシくんの姿を見ると、やっぱり彼こそがSEVENTEENのアクセルだと思う。

不安や恐怖、自信のなさを隠し、1人のアイドルとして、SEVENTEENのパフォーマンスリーダーとして、揺るぎない「ハッタリ」をかますホシくん。あまりにもカッコイイ、職業・アイドルだ。

何よりホシくんの凄いところは「実力以上の強気な姿」であったはずのハッタリがいつしかハッタリではなくなり、まごうことなき彼の「実力」になっていくところ。

それが彼の美しさを支える一つの土台であり、
アイドルとして、パフォーマンスリーダーとしての生き様なのだと思う。

知性

私はホシくんに強烈な知性を感じている。
でも知性ってなんだか気取っていて鼻につく言葉でもあると思う。私がひねくれてるだけかもしれないけど。

そうは言っても「知識」でも「感性」でも「品性」でもなく「知性」という言葉でしか表しようのない何かがあって、ホシくんはそれを持っている。

恐れを隠して感情を曝け出すハッタリもそう。

マンセでは野に咲く花のような笑顔で諸手を挙げ、Fearでは毒杯を呷りながら恍惚とした笑みを浮かべるような振付の解釈と表現の深さと幅広さもそう。

舞踊や茶道を彷彿とさせる熟練された「芸」のような身体の運びも

自分の一番綺麗に見える角度を計算し尽くした曲線的な「形」のとり方も

目配せ一つで咽せ返る程匂い立つ色気を感じさせる「雰囲気」の演出も

ステージの各場面で「役」に完璧に没入することのできる集中力も

パフォーマンス全体を俯瞰的に捉えた上で自分の最適な立ち回りを選択できる経験と判断力も…

そういうところを全部ひっくるめて私はホシくんの「知性」だと捉えていて、ただひたすらにお慕いしています。

自信を「持つ」ということ

何を大切にするか、
何を美しいと思うか、
何を信じるか…
そういう価値観を他人に委ねず自分自身でとことん考え抜いて決めること…

ホシくんを見ていると、彼はそういうことを積み重ねてきた人なんじゃないかと思う。

そしてそれはきっと口で言うほど簡単なことじゃない。
自分自身でとことん考えて決めると言うことは、自分で逃げ道を塞ぐということであり、考えた結果の責任を自分自身で背負うことだと思うから。

ホシくんが自信がないと言うのも内向的だと言うのもきっと嘘ではなくて、それでもとことん考え抜いてきたからこそ「自分が選んだもの」にはちゃんと自信があるんだと思う。

いや、意識的に自信を「持つ」ようにしているんだと思う…

彼の姿からそんな様子が垣間見えるたび、痺れるほどカッコイイなと思う。

ホシくん、私は貴方のそんな姿に惚れてしまったんです。

貴方について語るとき

今回のnoteは、今までで一番「私がホシくんを好きな理由」に踏み込んだと思う。
けれど今までで一番「偶像のホシくん」を綴ってしまったかもしれない。

ひとの人格について語るというのは恐ろしいことだなと常々思う。
私の感性や経験、思想のフィルターを通してその人を捉えた、一つの解釈にすぎないから。
まして私はホシくんと向かい合って言葉を交わしたこともなければ、この目に直接彼の姿を映したことすらない。

限られた情報源から得た、限られた彼の姿を見て、私独自のフィルターを通し、その果てに作り出された「ホシくん像」の中に、果たしてどれだけ彼の実像が含まれるのだろうか…
ホシくんを見て溢れる想いを言葉にしながら、ふとそんな虚しさに襲われるときがある。

ホシくんという実在する1人の人間に対して、御託を並べてこねくり回して…なんだかものすごく失礼なことをしているんじゃないかと思うときもある。


だけど、でも、じゃあ、
私の心を確かに揺さぶっているこの「実感」は何でしょうか。

ホシくんを見ると
愛らしさに苦しくなるし、かっこよさに悶えるし、彼の美しさを喉から手が出るほど渇望しているし、
私自身もまだそこに在ることすら知りもしなかった心の片隅まで激しく動かされて、もうどうしていいかわからなくなる…
こればっかりは否定のしようもない事実なんです。

私の受け取っている「ホシくん像」にホシくんという人間がどれだけ含まれているかはわからないけど、私の捉える「ホシくん像」はきっとホシくんという人間の一部でしょう。

だとしたら私はやっぱりそれを書き留めたい。
いや、書き留めたくなる自分を肯定したい。

ホシくん
きっと一生届くことはないけれど、
ホシくん…
どうか覚えていてください。

海を隔てた島国の片隅でひっそりと暮らすひとりのCARATから見た貴方は、それはそれは美しい人です

例えばほら、こんなふうに。

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