いきなり指定難病になったはなし
自分の記録と同じ病気、病状で悩む人たちのために書きます
2020年8月18日 40度の熱と全身が痛くて全く動けなくなって救急搬送された
17時になって頭の中は夜ご飯の支度と子供の迎えばかり
いまだに生姜焼きにする予定だった事を覚えてる
病院に行ってまで今日までの賞味期限の豚肉の事を考えてた
昔っから自分の母親も風邪をひいても子供第一だった事を思い出した
母親ってのはすごい
自分もその母親界の端くれなんだと
なんだこれだけしんどくても色々考えられる余裕はあるんだなあと
ただ次に出来ること出来ないことを考える
コロナ禍の中こんな高熱の親が保育園に迎えに行くのは論外
夜ご飯の支度ももちろんできない
色々考えることはできてもできる事はない
仕事中の旦那に電話すると
まず保健所に電話してPCRを受けるようにと
ですね。正論です。
保健所に電話して相談すると
コロナであっても重症だし他の病気であっても
重症だから救急車呼んでくださいと
ですね。正論です。もう意識が薄々ですからね。
救急車を自ら呼んでコロナ疑いで近くの病院へ
運ばれ感染患者と呼ばれる
看護師さんたちは防護服で対応する中、医者だけはマスクにフェイスシールドで。
症状を聞かれて医者は多分コロナじゃないね
と一言
そう、わたしもそう思う。というのもなんとなく身体の変化は2020年5月からあって
5月からなんとなく体が怠く手指の関節が腫れて仕事から帰れば微熱がある、体に皮疹がでる
というのが1週間続いて会社の近所の内科へ行って病状は膠原病と同じだけど膠原病ならもっとつらいよと言われ、薬をもらって終了。
その時もらった薬がプレドニン5mg
量は全然違うけど膠原病の治療と同じ薬とのこと
とりあえず1週間様子見で変わらなければもう1度来てねとの事だったので1週間後再診。
またプレドニン5mgを処方されたその週に今まで見たことがないぐらい手指の関節が腫れて物も持てなくなった。
これはいかん。と思って翌日県内の唯一膠原病内科がある大きな病院へ。
まあ、待ち時間が長い、朝の8時半に行って帰宅は17時
あらゆる検査をして会計は4万ほど。たかい
翌週、結果を聞きに行くと何も問題はなかった
ただ症状は膠原病に似ているから同じ薬を出しておくねとまたプレドニン5mg
しばらく飲んで身体の調子もよくなったので徐々にプレドニンを飲むのもやめた
先生にもやめれたらやめるように言われてたしね、大丈夫と
これが7月のはなし
もう問題ないなと、ただの体調不良だったと
確信した矢先の出来事だった8月
初めて熱がでた8月18日から1週間きっちり40度の熱が毎日でた
これがまあ辛い
18日から21日までPCRの関係で搬送された病院で入院してコロナが陰性後に掛かっていた膠原病内科のある大学病院へ転院に
ただ転院前に別の病院でPET検査を受けてほしいからと一旦は退院になった
ここまでの過程でも相当家族に助けてもらってる
2歳のこどもを旦那が面倒をみている
そこにわたしが帰ってわたしの面倒もみることに
旦那には本当に感謝しかないし、毎日こどもに触れていたい
25日から大学病院へ入院
入院して2日目に成人スチル病と言う病名が付いた
膠原病の一種らしい
自分なりに調べて早期発見が大事な病気と記載があったため自ら5月に大学病院まで来たのにここまで症状がでないとわからないらしい
病気とは厄介だなぁと思いこれからの治療の話を聞き治療に入っていくことに
入院期間はなんと約2ヶ月
家族とこんなに離れたことはない、ともかくこどもに本当に会いたい
もちろんコロナで面会はできないし
大部屋でビデオ電話なんてタイミングが合わないとできない
もう自分の身体だけじゃないというのは病気になった時に痛感する
身体も心も同時に痛くなる
1日でも早く退院してまだまだ小さなわが子を抱きしめてあげたいものです。
退院するまでの雑な日記としてお付き合いください。