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K-BOOKフェスティバルに行ってきた(前篇)

父の一周忌が12月初旬に控えていたので、有給を取って長めの休暇を取り、11月最後の週末に東京は神保町にて行われたK-BOOKフェスティバルに初参戦した。

文学に留まらず、エッセイやノンフィクション、絵本に人文書など、近年、出版業界で一大ジャンルを築いている「K-BOOK=韓国の本」の祭典である。11月25日(土)、26日(日)と2日間にわたって開催されたが、韓国から著者を招いたトークイベントあり、出版社による韓国関連書籍の直売あり、訳者がブースにおられる時間もあり、韓国の版元やアートユニットの来日もありのK-BOOKファン(私だ!)涎垂イベントだった。

結論からいう。

本当に行ってよかった。

私は、Xに裏アカウントを所持しているのだが(鍵アカにしているわけではないのですぐ見つかる)イベントの終わりしな、勢い余ってこうつぶやいた。

「やっと自分が生きていきたい世界を見つけたかもしれない」

まぁ、ちょっとこれはテンション上がりすぎて言い過ぎなんだが、それくらい感化されたということだ。

文章を書くとき、私はどんな中途半端な文章も、適当な文章も書くことも許せないから、すごく時間がかかるし、この文章を書いて何かがどうにかなるということもないので悩んだのだけれど、やっぱりこの主観的な感銘を書き残しておきたいので書くことにした。ただ、自分のための備忘録として。

とりあえず、トークイベントは全部聞いた。
以下、それぞれの所感を記す。

※イベントは全てYouTubeで生配信され、アーカイブを視聴できるのでリンクを貼っておきます。興味を持たれたらぜひ見て頂きたいです。

11月25日(日)1日目

❶映像翻訳者が見てきた「韓流20周年」ー国と国、言葉をこえて届けてきたものー

韓流ドラマ20周年(例のヨン様がNHK BSで放送開始したのが2003年だそう)の今年。改めてこの20年の名作ドラマを振り返るとともに、映像翻訳者の鷹野文子さんと戸田紗耶香さんによるお話を聞いた。

私の韓流ドラマデビューが本年である上に、まだ3作しか見ていないので、前半は全然ついていけず、悔しい思いをする。コン・ユかっこいいよねっていうのだけは分かった。

(ちなみに今年見た3作品は『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌(이상한 변호사 우영우)』『トッケビ(도깨비)』『花郎(화랑)』で現在は『今日もあなたに太陽を(정신병동에도 아침이 와요)』絶賛視聴中。ハマりすぎている)

後半は、映像翻訳についての詳しいお話をお二人から伺う。字幕翻訳には「1秒に4文字まで」「横書きなら一行に14文字まで」などという制約があり、「(原文の)三分の二ほどが出せれば良いほう」と戸田さん。大体は、半分以下の情報量になってしまうので、双方にとって口惜しいとおっしゃっていた(改めてすごいお仕事だなぁ)。

この20年のあいだに韓国語で頻繁に使用されるようになった言葉(流行語ともいえるか)があったり、「ヤンニョムチキン」や「トッポギ」など翻訳してもそのまま使える料理名が増えたという興味深い話も。そうだよなぁ。「スンドゥブ」とか「コチュジャン」とか「ナムル」とか、韓国に興味がない日本人のあいだでも、ある程度の共通理解が取れてきている。

翻訳者を志す人に向けて「インプットしまくること」が大切だと鷹野さん。時代劇は当初分からない単語が多かったらしく「宮廷女官チャングムの誓い(대장금)」「トンイ(동이)」「イ・サン(이산)」を見まくったそう。インプットなくしてアウトプットなし。語学の世界は、特に初期であれば完全に質より量だ。

戸田さんからは、韓国語の習得は大前提として「日本語における文章力が求められる」ということ。それから「好き」と「楽しい」が一番最強だというお話があった。

「何かを達成して楽しい」という気持ちは、モチベーションを維持するのに一時的には効果はあるけれど、すぐになくなってしまう。でも「翻訳のこの作業が好き」「韓国語のこういうところが好き」という気持ちは、何十年も続くモチベーションになるので、いくつ「好き」と「楽しい」を見つけるかだと思う。

これには、本当に勇気をもらった。

ずっと「好き」と「楽しい」だけを基準にやってきたから。今だって、「韓国語の勉強そのものが楽しくて仕方がない」状態が続いているからこそ、ただの趣味として韓国語を2年以上続けられている。お金にもならないこの時間が、人生に彩りを与えてくれる。「好き」と「楽しい」を軸にしたらきっとブレないし、そういう働き方ができるように、来年からの仕事を頑張らないといけない。

余談だが、来年の3月でこれまでの主だった収入源が途絶えるので(もともとそういう契約だったものの、マジで笑えない!)、これからどうして生きていこうということは年内に書いておきたいと思っている。


❷ 『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』著者ファン・ボルムが伝える「よく読み、よく休むこと」

2023年8月に集英社から翻訳版が出版された『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』の著者ファン・ボルムさんによるトーク。韓国では累計25万部を突破し、日本でも三刷が決まったと、担当編集さんから発表があった。

会社を辞めて書店を立ち上げた30代の女性店主ヨンジュと、それぞれに悩みを抱えた普通の人々が交錯する。著者のファン・ボルムさんは書店員を主人公に、舞台を書店に据えた理由をこうお話ししてくれた。

私が小説を書く時に考えていたのは、自分自身が読みたい物語を書きたいということでした。私が読みたい物語となると、私が好きなものを小説に入れていけばいいと最初は自由に考えていました。私が好きなものというと、本や、本を読む人、本を読む人が対話をしている風景、本を読む人たちが集う空間であったりします。それらすべてがある場所を考えると、それはまさに書店でした。なので、迷わず書店を舞台にしようと決めました。

韓国も日本も「休むことが難しい」社会であり、出版の世界では「頑張らなくてもいいよ」という本がべらぼうに増えている。悩める人は、本屋に来るべきだと思っているし、本は処方箋にもなりうると信じているし、実際私も本に救われている。

一方で「お!」と思ったのは、担当編集さんがSNSで発見した本書の感想のなかに「自分らしく生きようというタイプの社会の圧があるが、この本はその押し付けがないのがいい」と書かれていたものがあったということ。

これについては、私も最近考える機会があったので、忘れないうちに書いておきたいなあと思っている。あ、あくまで自分のためにです(読んでくれなんて言ってないからね!)

今回予算を早々にオーバーして合計13冊の本を購入したのだが、早速この本から読み始めている。「会社を辞めて30代で書店を立ち上げた」という主人公の境遇は、まるっと私に当てはまる。

私はすでに人生の影響を受けちゃっている韓国の本が2作品あるのだが、また人生の影響を受けちゃいそう(読む前から「ヒュナム洞書店」が自分の理想の本屋になる予感がしちゃう)である。


❸ 詩の言葉は踊る、弾む、こえる。キム・ソヨン×オ・ウンの二人の詩人と楽しむ韓国の詩

自ら本好きを名乗り、一応10年余り本の世界に身を置いているのだが、私は未だに詩をたしなむことができない。詩は余りにも自由で、しかし忠実で、感覚的でもあり、論理的でもあるから。

キム・ソヨンさんとオ・ウンさんの詩をお二人にそれぞれ二篇ずつ朗読して頂くというなんとも贅沢な時間。

キム・ソヨンさんが『数学者の朝』より「数学者の朝」「オキナワ、チュニジア、フランシス・ジャム」を、オ・ウンさんは『僕には名前があった』より「三十歳」「待つ人」を読まれた。

キム・ソヨンさんは1987年6月の民主化構想のとき、バスで一時間の道のりを7時間かけて歩き、詩人になろうと決めたのだという。「権力とは関係のない生き方が詩人になったらできるのではないか」と思ったそうだ。美しい。

「数学者の朝」を朗読されたあとに「詩人と数学者は似ているのか」という話題になり、オ・ウンさんが「不可能でもあるような正確さを追い求める人」という点で彼らは似ているのではないかというお話をされた。

詩人と数学者は正確さを求めて努める人なのではないかと思います。あるシーンや感情をただ単純に「悲しい」とか「嬉しい」とか、一つの単語でくくるのではなく、その状況がどのように悲しいのか、どれくらい嬉しいのかを、可能な限り正確に捉えて掘り下げていく。それが数学の世界と詩の世界に通じるようなところなのではないかと思います。でも、その正確さを追い求めて、最大限正確になろうと努めるもののよく失敗をしてしまう。それがなかなかうまくいかない人々でもあると思います。

うっとりする。私はこういう話が大好きだ。こういう話は、誰とどこでできるんだろう。日常の世界でこんな話ができる場所って、なかなかない。と、同時に、この話を聞きながら、私が詩を分からないのは、私が数学を分からないのとほとんど同じなのではないかという気がしてきた。

「数学は情緒だ」とは岡潔の言葉だが、このような「不完全な正確さを追い求める人びと」の情緒を理解するに私の感性がまだ乏しい、というような。そういうことなのかなという気がした。誰が興味あるんだこの感想。話を戻す。

それにしても。
詩人による、韓国語での、詩の朗読。

いやぁ。美しかったなぁ。韓国語は、濃音や激音の影響だろうか。比喩的にいえば、音がポップコーンのように弾けたり、独特の抑揚のおかげで急に飛び跳ねるような瞬間があるので、お二人の穏やかな語りのなかにリズムを感じて、もうとにかく心地よかった。

ちょっと違うかもしれないけれど、瞑想しちゃいそうだった。お経や祝詞にも近かったのかもしれない。詩は、声に出して読んでこそだと思った。神様に捧げる言葉なのかもしれない。

ナビゲーターの姜信子さんがおっしゃっていたが、本当に音楽を聞いているかのようだった。韓国語が全く分からない人でもそう感じることができると思う(YouTubeでぜひ聞いてほしい!)。

このような時間を「贅沢な時間」というのだろうなぁと思った。

サイン会の時間にオ・ウンさんに「本当に本当にいい時間でした…!(진짜 진짜 좋은 시간이었어요…!!)」と伝えられて良かった。


❹ 「サイン嬉しかった」っていう話

余談だが、私の名前は(漢字は一旦おいておいて)音だけでいうと「あいだ」「(人間同士の)仲」などという意味がある。

サイ=사이。

で、さらに音だけでいえば「カンナム・スタイル」の御人と同じ(PSY!!)なので「私が韓国で自己紹介をしたら、ほとんどの韓国人の皆さんの脳内にカンナムスタイルが流れるのかなぁ…とちょっと心配している。でも、だとしても、私の名前は偶然にも韓国語で良い響きだなぁと思った。

今回、翻訳者の方を含め総勢名の9方にサインを頂きホクホクなのだが、オ・ウンさんのサインには「사람과 사람 사이에서」という一節があった。直訳すると「人と人の間で」という意味だ(合ってなかったらすみません)。

オ・ウンさんは詩のなかで「言葉遊び」をよくするのだという。ゆえに、翻訳者泣かせとも。

実は、韓国語でも「人間」って「人間」なんですよね。日本と韓国は、中国由来の漢字語を多く共有しているので、もちろんハングルと漢字、微妙な音の違いはあれど、韓国語でも「人間は人の間と書く」ことを韓国の人びとも理解されているのだと思う。そういう意味で「人間は人と人の間で在る存在」ということを書かれているのかな、と。

今回、初めて存じ上げた詩人さんなので、もしかしたらもっと違う解釈が彼の詩の中にあるのかもしれない。だとしたらごめんなさい。でも、この一節によって改めて私の名前、ええやんと思ったのである。

ちなみに、『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』のファン・ボルムさんにも「私も30代で会社辞めて本屋やってるんです」って言いたかったけど、その勇気はなかった。

なんかもう、1日目の振り返りで5000文字近くになっちゃったので(困る)、前後編にすることにする。伝わるでしょう。熱量が。


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