時間がかかるということ
突然ですが、
↓これ何だと思いますか?
一瞬、ドリップコーヒーとか紅茶パックの詰め合わせに見えませんでしたか?(あたくしはそう見えた)
印字されている文字を見ればお分かりですが、これ名刺入れです。
凝ってるなぁー!!!
なんて手間暇かけられているんだ🥺しゅてき🥺
というのがわたしの感想でした。
実は効率主義で、いつも時間に追われている感覚があるわたしが、ある心理カウンセラーさんとのセッションで
時間がかかることは悪だ
という思い込みがあることに気がつきました
でも、見方を変えると、
時間をかけていることは、愛だ
とも言えるよね、というところで
セッションは終わりました
セッションが終わってまだ3日しか経っていないんですが
「時間がかかっている」場面に立ち会うことが増えました。
特にカフェ。
だいすきな古民家カフェのチャイが出てくるのに、思ったよりも時間がかかって
「そろそろかなぁ」と思ったのと同時に
「たぶんそれくらい手間暇かけて作ってくれてるんだなぁ」と思っていた矢先に
お待たせしました、と
手間暇かけて作られたことが見ただけでわかるような美味しそうなにおいと見た目。
そして期待を裏切らない美味しさ。
(写真撮り忘れた、今度は撮る)
そしてそれがランチのセットということで
+250円という良心的な値段で出される優しさ。
これだけ便利になった世の中で、「速い」ということに価値が見出されることも多くなったけど。
手間暇かかるということ
それだけのエネルギーを費やすということは
愛がなければできないこと。
そしてそれを待つということ
時間を気にする性分は、待つのも苦手なんですよね。
「まだかなぁ」を「イライラ」じゃなくて、「わくわく」で待てたら、それこそよい時間の使い方になる。
タイムマネジメントが必要な場面もあるけれど、
「どんな時間の使い方をしたいか、選べる」
くらいの心の余裕は、持って生きていきたいものです。
何かと急かされることが多い(と私が見ている)世の中だけど、待つということの価値も一緒に実感した、気まぐれな休日でした。
おしまい
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