愛が詰まった小さな箱 〈ショートストーリー〉
この冬、君の朝は早い。
まだ暗いうちに起きるとすぐもこもこの靴下を履き、
電気をつけ、ヒーターをつける。
近寄った僕の頭を2、3回ポンポンと撫でると、
そそくさとキッチンに入っていく。
僕は少し離れたところで座って見守る。
コーヒーメーカーをセットして、
ごはんを丁寧に炊いている。
おきまりの手順だ。
ちょっとだけちょっかいを出したくなった僕は、
君の足元まで近づき体を寄せてみる。
僕の毛むくじゃらの体は見事にジャマになり、
「危ないからあっち行っててね。」と、
君は少し怖い顔で言う。
仕方なく、君を見守れる定位置である、
キッチンの入り口に座った。
炊飯器のスイッチを入れ、
キッチンのスツールに座って
コーヒーを飲んでいる君は、
今日もとても元気そうで僕は嬉しい。
僕はまた少し眠くなり、
顎を床につけてちょっと目を閉じてみる。
「本当によかったな。」
僕は犬だけど、犬なりの安堵が胸に広がる。
安堵に包まれて、眠りに落ちそうになった瞬間、
コーヒーを飲み終わったと思われる君が、
バタバタと動き始めた。
君はいつも楽しそうに次々とお弁当のおかずを作る。
ゴールデンレトリーバーである僕の目線は低くて、
何を作っているかは見えないけれど、
自慢の嗅覚でだいたいわかる。
僕は定位置で目を閉じ、
たまにちらっと君の様子を見ながら
この幸せな時間を楽しむ。
その間、匂いで今日のメニューを探る。
今日はどうやら、
卵焼き、いんげんの胡麻和え、
鶏肉の照り焼きのようだ。
君の定番で鉄板なお弁当メニュー。
今日はお父さんの分も作ってあげるのかな。
お父さんにも作ってあげると喜ぶよ。
てりやきのタレの匂いで
少しおなかが減ってきたぼくは顔をあげ、
君にまとわりつくかどうか迷っていた。
君は鼻歌まじりで
鶏の照り焼きのタレを煮詰めている。
まとわりつくのはもう少し後にしよう。
そう思い、また顎を床につけてだらっとした。
君のかすかな鼻歌を聴きながら、
やっぱり僕はさっきと同じことを思う。
「本当によかったな。」
君は今年の春とてもつらい失恋をした。
19歳の頃から5年付き合っていた彼にふられたのだから、君は相当につらそうだった。
泣き続ける時期、友達に話し続ける時期、
お酒を飲みまくる時期。
そんな時期がかわるがわる訪れ、
最後は無気力な時期が訪れた。
あまり笑わず、あまりごはんを食べず、
会社以外あまり外出せず、
ぼーっとしてることが多くなった。
君の自慢のツヤツヤの髪はなんだかパサついて、
ハリのあったほっぺたはカサカサになった。
僕は君の失恋を知ってから、
(君と友達が電話してるのを聞いたんだ。)
ずっとずっと心配だった。
だから君が家にいれば、
いつも君のそばに座った。
僕が言葉を話せればいいんだけど、
犬だからそれはできなくて、
でも心配だったからいつも横にいた。
君は最高だよ。
君は素敵だよ。
僕は言葉が使えないけど、
毛むくじゃらの体で一生懸命伝えた。
そして1ヶ月前のある朝。
早朝の床の冷たさが気になり始めた冬の入り口。
何かを決心した君は、
朝早くから自分のお弁当を作り始めた。
その姿は失恋中の君とはまるで違っていて、
眩しいほど光っていた。
たとえ君が元気をなくしたままでも
僕のスタンスは何も変わらなかったけど、
でも久々に元気な君を見ると嬉しかった。
何かが君の中で変わったんだね。
それが何かは犬の僕にはわからないけど。
今日のお弁当ができたみたいだ。
君は毎朝、
リビングのローテーブルでお弁当の写真を撮る。
僕が君のお弁当を見れる唯一のチャンス。
僕は君の後ろを追ってローテーブルまでついていく。
今日も可愛いお弁当だ。
写真を撮って「よし!」と言う君の笑顔が嬉しくて、
しっぽをふってしまう。
君が君自身を大切にしてくれて僕は嬉しい。
何の言葉もかけてあげられない僕の1番の望みは、
君が君自身を大切にしてくれることだよ。
僕がこの家に来た10年前、
君は片時も僕から離れずずっと一緒にいてくれた。
知らない家に来て、知らない匂いに戸惑う僕に、
君はずっと愛を注いでくれた。
だから僕は君が1番大切なんだ。
失恋なんかに負けないで。
君は君を大切にしてほしい。
お弁当を作ることはもしかしたら
人間には些細なことかもしれないけど、
君が君だけのために小さな箱に素敵なごはんをつめている姿は、君自身へ向けられた愛そのものだよ。
僕はきっと
君より先にこの世界からいなくなるだろうから、
君が君自身を愛する術をたくさん見つけてほしいと思ってるんだ。
悲しい時に僕はそばにいてあげられなくなっちゃうからね。
もういいかな、と僕は思い、
君にまとわりつく。
君はぞんぶんに僕をくしゃくしゃと撫でてくれる。
きっと君は大丈夫。
僕はずっと応援してるよ。
おわり