断捨離と後悔〜終活と『和文英訳の修業』

断捨離の一環として本棚を整理している。自分の部屋の壁一面が本棚で、きちんと数えたことはないけど軽く500冊以上はあるんじゃないか。あとは押入れにも入っているので、トータル1000冊はくだらない。浪人生のときに『図書館戦争』を読んでから小説を読むようになり、本を読む習慣が身についた。大学生になってからもこの習慣は続き、かれこれ10年以上活字を追うのが当たり前になった。ちなみに、本棚には漫画はない。高校まで読んでいた漫画はスペースがないので大学生のときに処分した。今あるのは文庫本、新書、単行本とお堅い本ばかりだ。

大学生のときには月平均10〜15冊は読んでいたと思う。大学院生のときには読むことが本職みたいなこともあり、月に大体25冊(洋書7冊、和書18冊くらい)は読んでいた。院生時代の夏休みや春休みはその1.5〜2倍は読んでいた。アルバイト、授業以外の時間で一番費やしたのが読書、次に研究発表の原稿と論文の執筆と断言できる。非モテ、コミュ障なので彼女もいなかった。それに洋服も全身ユニクロコーデ。奨学金とアルバイトは書籍代となっていた。当時の休日の楽しみは2ヶ月に一度行く神保町。澤口書店と中川書房がお気に入りで足繁く通ったのが懐かしい。

いざ本題へ。終活(部屋の整理)で少しずつだが、本棚整理を進めている。大学の講義テキストにはじまり、もう読まないかなと思う本、買ったけど積読でこれからも読みそうにない本などを処分している。時間があるのだから、フリマアプリに出品したいのだが、あまりにも数が膨大で気の遠くなる作業なので、近くの古本屋の買取金額アップのタイミングでまとめて処分する。書き込みがある本は廃品回収へ。

これまでにニートになって数年。400冊は処分したと思う。まあ新たに買って読んでいるので、プラマイでいうと250冊くらいしか減っていないかもしれないが、本棚に入りきらない状況は脱した。

本棚整理をしていて、処分したことをとても後悔した本がこれまでに30冊はある。そのうち、売ったけど買い直したなんてのもある。要するに、断捨離をすると、後で処分したことを後悔するものがある。そして不安になる。これは断捨離のお約束なのかもしれない。

体感として、100冊処分したら、だいたい多くて5冊は処分を後悔する本がある。でも後悔しない90冊以上の本がなくなると部屋が少しだけスッキリするので、しょうがないと思うように努力している。

わたしの場合、本を処分した後悔は日にち薬な場合が多い。そのとき後悔しても別の事に気が向くとそっちにフォーカスするので、後悔を考える余裕がないと言ったほうがいいかもしれない。

だが過去に処分して、ずっと後悔している本が3冊ある。どれも受験参考書だ。大学を卒業するタイミングで、自分の英語力を過信していたのだと思う。大学院生になるのだからもう受験参考書など要らないとかつてお世話になった参考書は、ぼろぼろの単語帳を除いて、あらかた処分した。3冊は通っていた予備校の先生のテキストと名著と呼ばれる本で、実際の講義と併せて使うと効果抜群だった。

3冊とも紹介するつもりだったのだが、内容が広がり過ぎて収集がつかないので、今回は一冊だけ紹介する。

その本とは『和文英訳の修業』である。
高校時代に行方昭夫先生の『英語の発想がよくわかる表現50』(岩波書店、2005年)で知り、購入して英作文の練習に使った。いまでも予習編の例文500はスパイラルノートに書き写したものを持っている。コピーして貼り付けて書き込みをした大切なテキストだ。このスパイラルノートと『ターゲット1900』は宝物で捨てなかったが、『和文英訳の修業』は演習編の問題が古いからという理由で、愚かにも処分してしまった。

書い直そうと思ったときには時すでに遅し。絶版でプレミア価格で売られていた。それからしばらくして、新装版の発売をAmazonで知り予約したが、予約してから2年近く経つがいまだに発売されない。先日も発売が延期になった……。

こうなると欲しい気持ちが高まるのだが、Amazonで「良い」中古本は最低でも3,500円はする。そしてフリマアプリも相場は変わらない。なら新装版の発売を待つかと思うがずっと延期が繰り返されている。これだけにいいテキストなのになぜと疑問が残る。

断捨離の話から後悔を綴ったが、実際に気にならない90冊分の空間に余裕ができることが大事だときちんと思える自分でありたい。

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