本当にあった、ギターを弾きながら歌をプレゼントされるという話。
今日は、少し昔の話を。
あれは、27歳の夏だったと思う。
当時まだ大阪に住んでいた私は、
夏休みを利用して1週間ほど東京に滞在していた。
20代前半からいわゆるインディーズロックが好きで、
夜行バスに乗っては、ライブのためだけに上京。
「ハコ」という呼び名がぴったりの
下北沢の小さなライブハウスには、何度足を運んだかわからない。
いつしか東京の友達も増え、大阪市内に遊びに行くのも、
東京に泊まりで行くのも、大差がない気になっていた。
とある集まりで出会った東京の男友達に誘われて
ROCK IN JAPAN FESに参加したのが、27歳の夏。
そこで知り合ったカップルと意気投合し、
夏休みの間、彼女たちの家に泊めてもらえることになったのだ。
夏フェスに誘ってくれた男友達と私、そしてカップル。
男女4人の夏物語は、決してオシャレとは言えない、
でも彼女たちの仲の良さがうかがえる、
中野の居心地のいいアパートで始まった。
1週間の間に、色んなところに出かけた。
それぞれバイトや予定があったので、4人で出かけることもあれば、
女2人、男友達と私の2人など、バラバラのことも多かった。
4人では、可愛らしいカーテンのついたレトロな電車に乗って、
八景島シーパラダイスへ。
夜、真っ暗な海の上をいたずらに走るジェットコースターも。
ゆずの歌に合わせて次々にあがる大きな花火も。
その花火が名残惜しくて、中野の小さな公園で真夜中にした手持ち花火も。
絵に描いたような青春すぎて、自分のことながら今でも眩しくて仕方ない。
男友達とは、特に2人で過ごすことが多かった。
吉祥寺で映画を見たり、井の頭公園を散歩したり。
ちょっと背伸びをして、東京タワーの見える場所でワインを飲んだことも。
東京といえば、下北沢か渋谷のライブハウスだった私に、
彼は色んな東京を見せてくれた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、いよいよ大阪に帰るという日も、
私は彼と一緒にいた。
最後のランチは、中野ブロードウェイのB級グルメ。
大阪人の私も目をキョロキョロさせてしまう、
少しディープな雰囲気のお店でお好み焼きをたいらげた。
1週間も一緒にいた情なのか、隣で眺めた花火のせいなのか。
ふつふつと湧き上がるさみしさを抑えるように、中野から品川へ向かう。
はずだった。
「まだ時間ある?」
予想外のその言葉に「う、うん…」と返事をしたかと思えば、
彼はタクシーを拾い、私を乗せ、運転手さんにだけ行き先を告げた。
「え、え、えええええ…………!?」
何分くらい、タクシーに揺られただろう。
ごちゃごちゃとした雑踏から、東京らしいキレイな街並み、
大阪の実家周辺にそっくりな住宅地へと車はどんどん進む。
全くと言っていいほど東京に土地勘のなかった私は、
不安な気持ちに駆られたけれど、
たどり着く先はなんとなく想像がついていた。
彼の家だ。
家に着くなり、干したままの洗濯物を恥ずかしそうに取り入れ、
「お茶でいい?」と、どこかで聞いたようなセリフを放つ彼。
そしておもむろにギターを抱え、私のほうをじっと見つめた。
「好きって言ってた歌、どうしてもプレゼントしたくて」
夏の夕方。
湿ったようなアコースティックギターの音と、か細い声。
それは確かに、私が好きだと言っていた夏の歌。
あまりに突然の事態にしばらく固まってしまったが、
下手ではないその歌声に、少し、ほんの少し、心が揺れた。
「ネイルとか、しないの?」
当時はまだ、ネイルをするほど大人じゃなかった。
色気のない爪に触れ、そして手を握る彼。
これは、恋なのか。恋がはじまるのか。
ひと夏の恋?それとも正式なやつ?
遠距離恋愛ってどうなんだろう?いっそ、東京に住もうかな。
数秒のあいだに、ありとあらゆる思いがめぐった。
どちらにしろ、大阪には明日帰ればいい。
人生、流れに任せたもん勝ちだ。
と覚悟を決めた時だった。
「じゃ、最寄駅まで送ってくね」
空になったコップを台所へ運び、身支度をはじめる彼。
「え、え、えええええ…………!?」
その後私は、聞いたこともない駅に立ちすくむことになる。
品川駅まで送ってくれるのかと思いきや、
地元の駅でリリースされたのだ。
想像していた結末と180度違う現実を受け止めきれないまま、
ひとり、気丈に大阪に帰るしかなかった。
あの夏の夕方のできごとは、一体何だったのか。
何のためのギターと歌だったのか。
そもそも彼の家があった駅は、どこなのか。
数年経ち、東京に住むようになった今でも、その真相はわからない。
ただ一つ確かなのは、彼は私に、東京で唯一の景色を見せてくれた。
狭い部屋で、ギター片手に自分のために歌う男。
テレビの中の笑い話だと思っていたその光景は、
東京タワーの夜景よりも、
しっかりと脳裏に焼き付いている。