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つまづくことが、はじまり

考えていることをつらつらと書ける場所が欲しくて、ふと頭に浮かんだnoteを自分のなんでも帳にしてみようかな、と思い立った今日。

書くのは、SNSでは書ききれない考えとか、日々の思うこととか、そういった類になるかな。ただただ自分の考えをPCに向かって何も考えずに書ける場所を探していたので、書き物に向いているnoteはちょうど良い感じです。

では、はじめての回は、はじまりの話を。

つまづいて、ころんだ。

自分でできることを、自分がやりたいことを、a spoonful ofをはじめよう、と思ったのは、仕事でつまづいたことがきっかけだった。

やりがいを感じていた職にもっと深く身を投じてみようと転職をした。でも、どうやらそこから自分をちょっとずつ追い詰めていたらしく、自分では、うまくやっている、と思っていたのだけれど、実は精神的にも肉体的にもそうでもなかったようで。ある日突然めまいに襲われて、そこから私は仕事を休職した。

そこから3ヶ月。感情のない生活。

何もしたくない。動きたくもない。というか、動けないし。ただただ、頭が(というより脳が)ぐるぐると回っている感覚を感じながら、体を横たえている。そんな生活。

これまでもつまづくことはあったけれど、でも、体にも心にも支障をきたしてしまうのは今回が初めてで。動けない体、ぐるぐる回る脳、湧いてこない感情と向き合っていると、これまでの記憶が走馬灯みたいにパラパラと落ちてくることが多くなった。

考えてみれば、これまで私はつまづき続けてきた。

子どもの頃、精神的なバランスが取れずに不登校になった時期があった。うまく立ち回る、ということが苦手で、自分の中の強い正義感と自己肯定感の弱さとのバランスの難しさに振り回されて、あっちこっちでつまづいた。

大人になってからも、誰がどう見たってずぶずぶと黒い沼に足を取られることになる道を進もうとして、結局身動きが取れず息が出来なくなってしまって、つまいづいた。その時は、仕事や友人、色んなものを手放したりもした。

つまづくたびに、「普通」に出来ない自分にほとほと嫌気がさしていたし、自分がやっていることも、進んできた道も、自分自身のことも、全然"良い"と思えなかった。

つまづきだけが重なっていく、そんな感覚だった。


いつもと違うつまづき

ただ、今回のつまづきはいつものつまづきとは少し違っていた。

それは、今回のつまづきに「適応障害」という名前がつけられたのがそのひとつ。それを知った時「あぁ私は病気なんだ」なんていう悲観的な感情ではなく、なんていうか、「あ、そうか、そうなんだ。だからか。」と、すっと自分の中に落ちた。

そうか。自分はどうも「箱」にはうまく入れないらしい。

これまで、箱に収まろうと一生懸命やってきたけれど、私のこれまでの「つまづき」は、そもそも私が箱に入れないということに集約されているんじゃないだろうか。まぁ、薄々勘づいてはいたけれど、それでも収まろうと頑張っていたのは、頑張ることが「普通」であり、「普通」になることでつまづきが減ると思っていたから。でもどうやらそうではないらしい。

そして。

今回のことで、月並みな言い方だけれど、自分を理解して受け止めてくれる場の、人の存在の大きさを痛感した。

動けない体、ぐるぐる回る脳、湧いてこない感情と向き合っていると、どうしたって自分への肯定度は下がる。つまづき倒す自分が出来ることなんてないし、誰も求めてない、と。

そんな、暗くて黒い日々をただただ見守ってくれて、つまづき倒している(さらにはつまづいてころんだ)私を”良い”と言ってくれて、箱になんか入らずそのままでいけばいいと、どんどん落ちていく自分の自己肯定感を上げてくれた場所の、人の(私の場合はそれが夫や家族、友人だったのだけれど)存在がその時の私にとってとてつもなく大きかった。

「あ、そうか、そうなんだ。そのままでいいか。」と、ちょっとずつ起き上がれるようになった自分を肯定してあげられるようになり、「いいじゃないか、そのままで。」と立ち上がれた自分の背中を押してあげられるようになり、「そのままでいこう。」と歩き始められるようになり、「みんなそのままでいけばいい」と周りの背中を押せるまでになった。そして今、新しい未来に向かってスキップさながらの軽さで歩いている。

箱には入れないという気付きと、受け止める場所・人の存在の大きさ。

今回のつまづきで、私はその2つを"現実的"に理解したし、その2つをこれからの軸にしようと決めた。それがいつものつまづきと違うところであり、a spoonful ofを始めようと思ったきっかけになった。



「きっかけ」と「場所」を。

私は、きっかけを作りたい。

私みたいにつまづいてつまづいて来た人でも、小さな「きっかけ」でそれがぐーんといい方向へ向かったりする。

そういう小さなきっかけを作って蒔いていたら、誰かがそれをふと見つけてあの時の私みたいに「あ、そうか、そうなんだ。」と、これからの進む方向を見つけられるかもしれない。その人の「きっかけ」が他の誰かの「きっかけ」になるかもしれない。

そんなきっかけを、私は作っていきたい。

そして、「場所」を。

そして、たとえ何かにつまづいていたってそのままで"良い"んだと思える、つまづいている(もしくはつまづきそうな)ことを少しでも見せられる、つまづいても頑張っている人が「大丈夫」と思える。

そういう場所を作りたい。



a spoonful of...

今現在、"a spoonful of"として動いているものとして、カフェ、英語教材、執筆、イベント、コワーキングスペースがあるのだけれど、どれもが「きっかけ」になり「場所」になるようにしていきたいと思っています。

例えば。

カフェを、日常で色々うまく行かなくて落ち込んでいる人がふらりと来て「うん、頑張ろう」と思ってくれるような「場所」にするとか。

英語教材を、英語なんて大嫌いだったけどもしかしたら少し楽しいのかもと思ってくれるような「きっかけ」にするとか。

コワーキングスペースを、そこに行けば自分の価値や仕事や頑張りを認めてくれてもっと頑張ろうって思えるという「場所」にするとか。

イベントを、自分には趣味なんてないし得意なこともないと思っていたけれどもしかしたらこれは好きなのかもと思うような「きっかけ」にするとか。


そういう「きっかけ」と「場所」を作れるように、"a spoonful of"として動いていきたいなと。そして、今動いているもの以外でも、何かの「きっかけ」や「場所」になることであれば、どんどん挑戦したり、飛び込んでいきたい、と考えています。


軸をしっかりと持って、きちんと人と向き合っていれば、きっと大丈夫。

Do not wait for leaders; do it alone, person to person.



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a spoonful of
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