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暖炉の温度で生きていく日常。

昔と今、働き方はどんどん変わってる。

最近良く目に耳にするようになった「働き方改革」やテレワーク、リモートワーク、会社に属さない働き方、フリーランス。

仕事はしんどいものだ、とか、嫌なことがあるのが仕事だ、とか、言われてきたし多分沢山の人が今もそう思いながら働いてるんだけど、果たして本当にそうなのかな?

ある人が「人生の70%は仕事の時間なんだよ」と言っていてびっくりした。毎日をただ過ごしていると気づかないけど、そうか、そんなに大きな割合なんだよな。70%って相当。もし、残業が多いとか、休日出勤当たり前とか、長時間の通勤とか、そういうものを加算すれば多分80%とか軽く超えるんじゃないかと思う。

日常であること

先日、新しいことを始めようと地方に移住した方々の話を聞く場に参加させてもらったのだけれど、それぞれが取り組んでいること、これまでの経緯、新事業に対する思い、事業計画(数字も含めて)などなどをほぼマンツーマンで聞くことが出来て、なんだか贅沢な時間だった。

どの事業もそれぞれの「やりたい」を詰め込んだもので、まだ始まったばかりだけど、すごくぴかぴかきらきらしていて。

何より素敵だと思ったのは、皆さんがギラギラしていない温度感でいたということ。薪をくべるストーブのような、ぱちぱちとした炎が見えるのに漂ってくる空気はあったかい、そんな温度感で話をしてくれた。

ぴかぴかきらきらしたものを始めようとしていながら、それが何も特別なことではなく、それぞれの「日常」である(「日常」になっていく)のだなあと、自然と感じた。

仕事はしんどいものだ、とか、嫌なことがあるのが仕事だ、とか、そういう温度を1mmも感じない日常。まぁ、きっとものすごく大変なことだってあるんだろうけれど、その大変なことをも薪と一緒にくべて、ぱちぱちとあの温度感を漂わせるんなんだろうな。


くべる薪を探しに

私も、やってみたいことはたくさんある。

やっていきたいこともたくさんある。

ただそれを上手く進めていく方法を見つけるのが何より難しいし、どうなんだろう、ああなのかな、こうなのかな、ああだめかもしれない、でもこうしたらどうだろう、はたしてうまくいくのかなと悶々と考えている今が、何も生産していなくて何も進んでいなくて無意味に思えてきてしまうこともあるけれど。

今は、歩き回って、色んな人に会って、色んな話を聞いて、色んなことを試して、そこからひとつひとつ薪をもらって、その薪を背負ってまた歩き回って。どんどん薪を増やしていく時間じゃないかなと。


そして、少しずつくべ始めて、あの時感じた温度で私も生きていきたい。


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