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どんな自分でありたいか。
今日のメールを開けてみて、そんな言葉が飛び込んできた。
多方面からのメーリス、日々のニュースの中のコラム、Facebookの広告だって、もちろんNoteの中でも。
『立ち止まれるタイミングなのかもしれない』
『今どんな自分でありたいかを考えるとき』
そんな言葉が躍るなか、もう少し自分で捉えていきたいと思う。
注:
現状に本気で取り組んでいらっしゃる医療関係の方々、対策や対応に追われている方々、また協力しながら悲しみや不安の中にいる方々には、少し軽率な表現に見えるかもしれませんが、
自分の中でどう解釈していくか、の戯言になります。ご理解いただいた上、読んでいただければなと思います。
在りたい自分とはなにか。
日本人として一番最初の記憶の中の、“在りたい自分”とは、
学校で聞かれる将来何になりたいですか?なのかもしれない。
今聞かれると、結構重い質問だ。
その頃から明確で、夢に向かって努力できるスポーツ選手の話や、修行を続ける料理人の話など、たくさんの苦労と美談が織りなす成功例はあるけれど、
高尚な夢より、大きくレールを外れたくない、失敗したくない、なんて方が、
一般的な“在りたい自分”に、近いと思う。
人と異なることや、自分に自信がないことで、不安を感じたくない。だからなるべく同じでいることや同調できる人たちとコミュニティーを作る。コミュニティーとは、家族・仕事や友達、趣味の仲間など、自分の存在が認められて安心できる居場所のこと。自分の居場所(テリトリー)を見つけることは、生きる上でも大切なこと。
近年はそれがネットでも、実名でなくても、ましてや、自分と違うキャラクターを演じていても、できるようになった。
“在りたい自分”=自分の居場所で安心できること。
と言い換えられるかもしれない。
ぱっと見て、アクティブに動いている人や、常に変化している人も、
動いているのが自分が安心できる広義の意味の居場所なのであって、
またそういった動いている中で出会う人たちと交流を重ねることを考えれば、
同じことと思っている。
でも今の時代、どんなコミュニティーにいても、不安な状況になってきている。
より個々の判断や意思が求められるようになり、社会変動の激しい中で、自分の“居場所”が揺らいでいる人もたくさんいるだろう。
仕事は言わずもがな、リモートワーク、失業、経営の不安定さ・・・
会えなくなる友達、優先順位の相違・・・
ネットに引きこもる余裕よりも、将来の不安の方が募ったり、
家族だって、外出できず、これまでの距離感が変わることで変化に脅かされている。
不安定な状況から、新たに居場所を見直さなければいけないタイミングになっている。
=自分の在り方を見直す必要がある。
ということなんだと思う。
今、誰しもに青春が訪れている、ということ。
久しぶりにジブリ映画を見た。
進路に悩みながら、青春真っ盛りの甘酸っぱいストーリーに、
大人になると目を背けたくなる気恥ずかしさがあったり、
女子ならキュンキュンするというやつだけど、現在置かれている状況をどう捉えていくか、ヒントがあるように感じた。
① 受験期の中学生が主人公。
② 今まで一緒にいた家族とは違和感が始まり、友達と同じように勉強することも煮え切らない。
③ 自分のやりたいことは何かに悶々とする夏休み。
④ でも急にやりたいことができるわけではない。
⑤ まずは自分が一生懸命取り組んでみる。
⑥ 自分に足りてないこと、必要なことが見えて、前向きに進んでいく。
↓
↓
↓
① 自分はもう分別のある大人だと思っている。
② 外出を控えなければならない状況に、普段の生活リズムが崩れ、居心地の悪さを感じている。
③ それでもなるべく同じように生活しようとするから、できないことがストレスになる。
④ 自分の手に余る時間があるか、正直なにをしていいかわからない。
⑤ まずはできることから取り組んでみる。
⑥ 新たにやりたいことや必要なことが見えてきて、今の時間の過ごし方に前向きになれる。
それって誰にでもあったプロセスで、みんなあっという間に通ってきてしまったけれど、
今の不安定な状況は、思春期にとってもよく似ている。
年齢を重ねるにつれて、正しいことが見えるようになっていると思い、自分がやっていることが間違いないと疑わなくなるから、活動が安定していくものではあるけれど、実際は、錯覚や思い込みもあり、安定しているように見えていただけで、今、根本から揺さぶりをかけられている。
世界一斉“青春”時代なんて、言えないだろうか。
今さら、そんな青臭いこと、なんて思うかもしれないけど、
松下幸之助さんも、Samuel Ullmanの詩を要約して、晩年座右の銘としていたようだ。
『青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ、勇気にみちて日に新たな活動を続けるかぎり
青春は永遠にその人のものである』
その青春のタイミングが、外部要因とも内部要因とも言えないこの情勢の中で、誰にしも訪れていると思うと、
それってすごいことじゃない!?って変に興奮してしまった。
今世界中で受け取っているであろう宿題。
耳をすませばの主人公のように、今の現状に悶々として、
それでも自分の声に耳を傾け、やりたいことやできることに目を向けていくことで、
今の世の中も前向きになれるんじゃないか。
変な話、今まで一番気にしていた社会性だったり、
人からみられているということが、めーーーっきり減ってるのだ。
できない・やれない理由はいくらでもあって、そんなことばかり言っても変わらない。この情勢も、違和感のある自分自身も。
生き方、というと大業だけど、これからの過ごし方や優先順位を変えるきっかけになるだろうし、自分や関わる人を見つめなおすタイミングであると思う。誰にとっても、よりよい“在りたい自分”に近づく時間となればよいなと。
でも早く落ち着いて、ひとりひとりの大切な何気ない日常が戻ってくることを祈ってます。
Stay Gold.
Sincerely.