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Day009 アジアで暮らすこと③離れることで発見する

朝起きた時に、鳥のさえずりや暖かな優しい朝日ではなく、日本では信じられない喧噪と、差すような日差しが入ってくると、あー、今日もアジアにいるんだな、と目覚める。

長く生活すればするほど、その土地に慣れてくるし、分かるエリアももちろん拡がる。安心して行動できる範囲が拡がることではあるけれど、路上が生活の基盤になっている国は、道が賑わっていて、何度歩いても色んな発見がある。

いつも出社する道には、20バーツ(約68円)でフルーツを売る車がある。ピックアップトラックの荷台にガラスケース並んでいて、おばちゃんも乗り込み、その上にのってせっせとカラフルな色のフルーツを一口サイズ(やや大きい)に切って小分けの袋に分けている。

買わないので、いつも横をそろそろーと、通っていくだけだんだけど、実はずーと眺めていたいくらい華麗な手さばきと、生きるエネルギーを感じている。

3-4歳くらいの小さな男の子が、身体を洗っていたり、電柱と車の間についたハンモックで携帯電話から流れる映像をじっと見ていたりする。

タイでは、トラックでのフルーツの野外販売よような自営業だけでなくて、子供が小さいときは仕事場に連れてきて、面倒を見ているケースも少なくない(オフィスワーカーではあまり見たことはないけど、オフィス清掃とか、配達員のような仕事では特に。)

仕事をしながら子供を育てているお母さんの強さを感じるし、たまに男性が連れているケースもある。両親が仕事している側にいれる環境って、単に自由度が高いとか、なんでもあり、という意味じゃなくて、子供をみんなで育てるという姿勢があるからだし、助け合いの文化のしるしのようで、なんだか羨ましい。

しばらくすると、男の子の姿が見えなくなった。あれ、今日はいないのかな、と仕事場に向かうと、学校が始まって渋滞がひどくなったという話をスタッフがしている。なるほど、彼も幼稚園とかに行ったのかな。

この親子に別にすごく思い入れがあるわけではないんだけれど、子を送り出す様子なんかをなんとなく想像して、しんみりした気持ちになる。久しぶりでどっちも不安だっただろうな、とか、朝行く時に子供は泣いたのかな、とか。もしかしたら、離れて暮らす自分の姿とも少し重ねたのかもしれない。(実際は全然元気に行ったかもしれないけど)

母親の仕事場にいても、色々なふれあいがあると思うけど、同年代が子たちいる中で、喧嘩したり仲良くなったり、もまれながらする経験も大事だということは、育てた経験はなくともわかる。

それによって、自分を客観視できるようになって、人に優しくなれる、と信じている。別な世界を見つけることもあるだろうし、やっぱり家がいいと思うかもしれない。それも、一回離れるから分かる、感じること。

離れて暮らすこと。改めて自分が居た場所を見つめなおすこと。そして有難いと思ったら、大切に想うこと。

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