サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(22) 最終話
十日目★★★★★★★★★★
悠介たちは少し早めの昼食を取って休憩していた。午前中は国分中央から南に向かい、国道10号を右折した。
そこから鹿児島湾沿いに歩いて、平松神社という島津家ゆかりの神社の境内を借りている。
悠介は日陰に座ってペットボトルの水を飲んだ。境内は歩いてきた国道より少し高いところにある。
木々の切れ間から小さくのぞく桜島は見飽きることがない。
境内で休んでいるメンバーはどの顔も高ぶっていた。
「そろそろ出発やな」
隣にいた次郎はリュックのポケットから何かを出してシャツを脱いだ。
「次郎、着替えるのか? あっ」
悠介は目を見張った。
「次郎、その派手なシャツは」
次郎が着替えたシャツは、真っ黄色な地に極太の黒で『大願成就』とプリントされている。
「最後はこれを着ようって決めててな」
「すごいデザインだな。なんとしてもSNSをやめようって気迫を感じるぞ」
「失礼やな。今の俺にはサマスペを歩き通すことこそが、大願やよ」
「ああそうか、そうきましたか」
「弾丸よりも速く」
その声に振り向くとライトが古い社の隣に立っている。
「はい?」
悠介はとぼけた声を出してしまった。
「力は機関車よりも強く」
突っ立ったまま、ライトは喋り続ける。
「なんや、ライト、どうしたんや」
それぞれに午後のスタートの準備をしていたメンバーがライトに目をやる。
「高いビルディングもひとっ飛び」
宙を見据えたライトは何かのせりふを棒読みしているみたいだ。
「何が始まったの。ライトの小芝居?」
アッコが寄ってきた。高見沢がにやにやした。
「あおりだよ、あおり。アメコミのドラマで観たなあ――」
「あれはなんだ」
ライトがついに絶叫する。コース確認をしていた大梅田と水戸も顔を上げた。
「鳥だ、飛行機だ、いや」
顔を赤くしてライトが指さす社殿の後ろから、二村が飛び出てきた。
悠介はのけぞった。ぱつんぱつんの青い長袖シャツに同じく青いタイツ。そして真っ赤なパンツ。ひるがえるマントも赤。とんでもない衣装だ。
「スーパーマンだ」
二村が満面の笑みで腰に両手を当てる。胸にはち切れそうなSのマーク。悠介は吹き出した。
「ちょっと、ウケるんだけど」
アッコが苦しそうに腹を押さえる。全員が笑い転げた。
「よっ、スーパーマン。こっち向いて」
鳥山のカメラに、二村が空飛ぶポーズをしてみせる。
「あの格好で鹿児島市内を歩くわけか」
「ええやんか。お祭りやよ」
「ハロウィンみたいだな」
スーパーマンが境内を飛び回る。拍手喝采が起きた。
次郎は立って二村の方に歩いて行く。「負けたわ」と言って右手を出し、二人は固い握手をした。
悠介は靴の上から足先を触った。
サマスペ初日は、鹿児島まで歩くなんて到底不可能だと思った。雑魚寝をしたお堂を思い出す。
あの晩、寝袋の中でしたように、ふくらはぎをさすってやる。
よくここまでもってくれた。
大梅田がこちらに歩いてきた。
「集合してくれ」
全員が集まった。スーパーマンも飛ぶのをやめて座る。
「みんな、よく歩いたな」
ほんと、よく歩きました。
「ここが最後の休憩地点になる。次はもう、サマスペ目標地点の城山展望台だ」
そわそわと落ち着かない気分になる。むず痒いような変な感じだ。
「鳥山、頼む」
タブレットを触っている鳥山が「はいよ」と前に出る。
「さて次郎君。今年のサマスペの総歩行距離は何キロになると思う」
「えっ、はあ。ええと一日三十五キロとして、初日は午後からだから……三百三十キロくらいですかね」
鳥山は「ちっ、ちっ」と人さし指を振る。
「なんと三百九十キロになるよ」
「去年より四十キロも長い」とアッコ。
「そしてこの神社からゴールの城山展望台までは、わずか十五キロだ。つまりここまで、総歩行距離の96%を歩いたわけだね」
「すげえ」
「残り4%か」
大梅田がにやりと笑う。
「ここまできたら、こっちのもんだな。気合いで歩けるだろう」
おっしゃる通り。
「展望台に着いたらそこでサマスペは終了だ。そして普通の生活に戻ることになる」
悠介は「普通の生活」と呟いた。
「十日ぶりだな。先に言っておくが、俺たち幹事はそこでお役御免だ。もう世話は焼かないからな」
そう言われるとなんだか寂しい。
水戸が隣で笑った。
「去年のアッコみたいに、羽目を外すなよ」
「えっ、熊さん、あたしですか。みんなだって打ち上げで弾けてたじゃないですか」
心外そうなアッコに二、三年生が笑う。
「今夜の宿はホテルを予約してある。ケータイも財布も届いている。そこでささやかに打ち上げだ」
「やった、ホテル」
「待ってました、打ち上げ」
ホテルで打ち上げ。ため息が漏れる。
「あのう、またシーサイドホテルみたいなことはないですよね」
ライトが遠慮がちに訊いた。爆笑が起きる。
「もちろんだ。学生相応の宿だが布団も風呂も夕食もついてる。だから今日は食当もいらない。全員で最後まで歩こう」
大梅田は折りたたまれた鹿児島県地図を開いた。大梅田のリュックには全県の地図が入っているはずだ。
福岡から鹿児島まで、びっしりと書き込みが入った地図たちは、間違いなく大梅田の宝物になるだろう。
「この先は国道10号を歩いて鹿児島市街に入る。海とJRの線路に挟まれて、桜島を拝みながらの一本道だ。迷いようがないが途中、歩道の狭いところがあるので注意するように」
大梅田は「さてそれでだ」と言葉を切った。ラストの旗持ちと伴走の発表だ。
悠介かもしれない。午前中の次郎の旗持ちで、一年生五人は全員が二回以上、旗持ちを務めたことになる。次郎以外は誰が指名されてもおかしくない。
太宰府のスタートは悠介の旗持ちから始まった。こうなったらゴールの地も最初に踏んでやる。悠介は大梅田を挑むように見た。
「旗持ち、由里」
ざわついた。午後の旗持ちは一年が担当する決まりだ。
「幹事長、私でいいんですか」
由里が問いかける。
「今年のサマスペのゴールは由里に一番に切ってほしい」
由里は戸惑うような表情を浮かべた。
「由里がサマスペのことを大切に思う気持ちが、俺はうれしかったんだ。それはみんなも同じだと思う」
全員が頷いた。
「昨夜の由里は、すごく活き活きとして、強い意志を持っていて……そう、魅力的だった」
由里が頬を赤らめる。はやすような口笛を鳴らしたのはライトだった。
「ほんとだ。別人かと思ったよ」と斉藤。
「格好よかったです、由里さん」と二村。
大梅田は優しい顔になる。
「あれが本当の由里なんだろ」
「そうです、そうです。学年一番の元気印だったんだから」
アッコが自慢するように言った。
「お父さんのことがあって、自分を責めているのなら」
由里が息を吸い込んで大梅田を見つめた。
「もう、いいだろ。そのことで由里が元気をなくしていたら、お父さんは悲しむと思うぞ」
大梅田が旗を由里さんに差し出す。由里は下を向いてしまう。
「わかってるんです。いつか吹っ切らないといけないって。だけど」
「由里、そのいつかが、今日でもいいじゃないか」
由里が顔を上げた。
「俺たちには何もできないけどな。由里を応援することはできる。今日、俺たちは全員で由里を応援するぞ」
大梅田は「いいな、みんな」と見回した。
悠介は「はい」と叫んだが「おう」、「了解」、「任せといて」と言う声にかき消されてしまった。
「由里、思い切り走って、もやもやはどこかに吹き飛ばせ」
由里が立ち上がって旗を受け取った。
「はい。私、走ります」
その目から涙がこぼれた。頬を伝って落ちる雫がきらめく。
「それで、伴走だが」
「幹事長、それはあたしのお役目なんで」
アッコが手を上げて立った。悠介も同時に立ち上がる。
「俺、俺に伴走させてください」
けじめだ。由里への気持ちに、けじめをつけたい。
「何よ、悠介。足、遅いくせに。あんたなんか由里についていけないでしょ」
「そうかもしれないけど、俺、走りますよ、必死で」
「二人とも待て。みんな、いいか」
大梅田が声を上げた。全員が注目する。
「伴走、全員」
どういうことだ。
「全員って、梅、どゆこと」
鳥山がカメラを回しつつ質問した。
「全員で応援するって言っただろ。午後は全員で由里を追いかける。それが俺たちにできる由里へのエールだ」
「よっし」
「そういうことね」
大梅田は二村に目を留めた。
「スーパーマン、由里を追い抜かないようにな」
「はっ、ゆっくり飛びます」
「それじゃあ国道に出るぞ」
リュックを背負って境内を出た。鳥居の前の線路を渡る。
「なんか踏切のない線路をまたぐのって、変な感じやな」
「日豊本線だってさ、次郎」
「そう、JR鹿児島駅を通過したら、城山公園展望台は目の前だよ」
鳥山がカメラを手に悠介たちを追い抜いていく。
線路の先を見やった。二本のレールのはるか先は海に吸い込まれているようだ。その海には噴煙たなびく桜島。
一直線に伸びる国道に立ったメンバーの先頭に由里がいた。爪先を立てて足首を回している。その顔は紅潮していた。
大梅田が最後に神社から降りてくる。悠介はスタートの号令を待った。
「みんな、準備はいいな」
「オッケーです」
「よーし、走るぞ」
「由里、追っかけるからな」
「由里さん、鹿児島の果てまでついていきます」
「なんだか男ども全員、由里のストーカーみたい」
アッコの目がうるんでいた。
「由里、そうは言っても本気で走るなよ。誰もついていけないからな。ちゃんと歩けよ」
小声で言う水戸に由里さんが「はい」とほほ笑んだ。
大梅田が息を吸い込んだ。ゴリラのような厚い胸が膨らむ。
「よおし」と天に向かって雄叫びを上げた。
悠介の脳裏に太宰府駅が蘇る。あの日、悠介はわけもわからずに全力でダッシュした。
十日の間に起きたことが次々に頭の中に浮かんでは消える。
その時、熱気を払うように風が強く吹いた。
サマスペは今、一瞬の風のように過ぎ去ろうとしている。
「行くぞ。サマスペ、最終日午後。九州縦断のゴール、城山展望台に向けてスタートだ」
一歩一歩、目的地に近づいていく。桜島が大きくなり、道が広くなり、街に近づくにつれて、悠介は寂しいような切ないような不思議な気持ちになった。
百メートルほど先に由里と鳥山の背中が見える。そのすぐ後ろに高見沢。
悠介は何度か由里に追いついたが、由里は時々走り出すので、そのたびに離されてしまう。それでもいつも誰かしら追いついて、由里と一緒に歩いていた。
由里のことはあきらめる。さっき神社からスタートした時、きっぱりと自分に言いきかせた。
大梅田が由里のことを思う気持ちは明らかだった。
元気になって前を向いてほしい。
その気持ちが、びんびん伝わってきた。そして由里は大梅田をしっかりと見つめて旗を受け取った。あの瞬間に、もうかなわないと思った。
由里の好きな相手も大梅田だ。そう気づいたのは昨日だった。
「もし幹事長に何かあったら、私も退学します」
あんなことはよほどの覚悟がないと言えない。
思い返せば二日目の食当は、悠介と由里、そして大梅田だった。あの時、由里は口数が多かった。よく笑った。つまりそういうことだった。
由里に好きな男がいると聞いた時は、玉砕覚悟で告白するつもりだったが、二人の間に割って入る気持ちは消え失せてしまった。
悠介の出番はない。きっと今日、由里は重い枷から解き放たれるだろう。
悠介はもっと大切なものを得ることができた。
キャンパスで由里と再会した時に、胸を槍で突かれたかと思った。あの衝撃は今でも覚えている。あれはやはり奇跡だった。
あの時に悠介の胸を覆った固い壁に小さな穴が開いたのだ。そこから悠介の体内に泥のように溜まった、仲間へのわだかまりや近づくことへの恐れが漏れ始めたのだと思う。
そして十日間のサマスペがすべてを洗い流してくれた。由里に出会わなければ、悠介の夏はなかった。
今でも他人との間に壁を作って、信じられる仲間のいない、モノクロの味気ない日々を送っていただろう。
だから由里には感謝、感謝だ。
「なんや悠介、ため息なんかついて」
「あ? うん。もうサマスペも終わりなんだなあって」
「なあ悠介。打ち上げが終わったらさ、日田まで付き合ってもらえんかな」
「本気で玲奈さんに会いに行くのか」
「もちろんや。みえちゃんに会ってどないする」
「日田かあ。俺、ちょっと急いでるんだけど」
バイト先のコンビニの店長には可及的速やかにシフトに入ってくれと頼まれていた。由里が子どもを助けたコンビニだ。
あの翌日、もしやランニングの途中で由里が立ち寄らないかと思って面接を受けたのだ。
由里に駆け寄った店長は脱サラしてコンビニを始めた中年おやじだ。いつ寝ているのかわからないくらい働いていて、いつも目が赤い。
「新幹線に乗れば、鹿児島から二時間ちょっとなんや」
と言うことは早朝に出発すれば、日田に寄ってその日のうちに東京に帰れそうだ。
「そうだなあ」
「なあ、頼むわ。なあ」
真剣な次郎に笑ってしまう。
「わかった、わかった。付き合うよ」
「おお、ありがとさん。恩に着るわ」
次郎は「よっしゃ」と両手を突き上げた。
「次郎、何がよっしゃなの」
アッコが追いついてきた。
「内緒ですわ。それより今日の打ち上げ、何が食べられるんですかね」
「なんだろね、やっぱり鹿児島だから黒豚とかさつま揚げとか出るよね。あと、刺身も美味しそう」
「ああ、もうよだれが出そうや。待ち切れん」
「あと少しだよ、次郎」
悠介はアッコの笑顔を見て、テントを張った草原でアッコが言ったことを思い出した。
「俺、アッコ先輩のロールキャベツ、食べてみたいなあ」
「えっ、いつ?」
アッコが慌てたように言う。
「いつって……だから、来年のサマスペで、だけど」
「ああ……うん、来年ね。任せといて」
横を向いたアッコの頬がほんのり赤くなっていて、悠介は妙に落ち着かない気分になる。
「おやおや? なんですの、この雰囲気は」
次郎がアッコの顔をのぞき込む。
「何よ、ばか次郎」
ばか次郎の足にアッコが蹴りを入れて走り出した。
「痛いなあ、もう。暴力反対や」
次郎が足をさする。
「悠介、来年もサマスペに参加するってことやな。約束やぞ」
「ああ、それでさ、次郎。俺、ちょっと考えてるんだけど。来年のサマスペに、あいつも誘ってみないか」
次郎は間の抜けた顔をする。
「あいつ?」
「涼だよ。決まってるだろ」
「ああ……涼なあ」
次郎の反応の薄さに悠介は気負い込んだ。
「医者だって心配ないって言ってるんだろ。来年の夏までに体力と自信をつけさせるんだ。危ないところは俺たちでフォローしてやってさ」
「なるほどな」
「高尾山とか小さい山に登ったりしてさ。徐々に慣らしていくんだよ。次郎も付き合えよ。涼と歩きたいだろ」
興味なさそうな顔をしていた次郎は、リュックのポケットから折りたたんだ紙を出した。
「それは?」
「東京に戻ったら涼の財布とスマホを返しにいかんとな。そん時にこれも渡そうと思ってるんや」
次郎はノートを破いた紙を拡げて見せた。スケジュールらしきものが下手な字で書かれている。
「なになに? 涼、サマスペリベンジへの道?」
次郎はにかっと笑った。
「あのな、悠介。来年のサマスペで涼と歩くのは俺が考えてたことやぞ。このトレーニングプランを見ろよ。毎週、ウォーキングの距離を伸ばしていってやな、山手線一周を最終目標にするんや」
「なんだよ。からかったのか」
「すまんすまん。先に言われてしまったからな。悠介も涼の家、一緒に行こうや」
悠介は涼ママの美しすぎる顔を思い出した。
「いいけど。なんだか緊張するな」
その時、こんもりした緑の丘が見えた。
「次郎、あれってもしかして」
「やった、城山や」
「おーい、次郎、どうする。着いちゃうよ、ゴールだよ」
熱いものがこみ上げてくる。
「お先に」
太ったスーパーマンが赤いマントをひるがえして追い抜いていく。通行人が指さして笑っている。拍手する人までいた。
「なんだ、競争でもないのに」
そう言いながら悠介も次郎も走り出した。『城山入口』の交差点を過ぎて『自然遊歩道入口』の階段を上る。石畳のスロープは思ったよりもきつい。
途中、鹿児島市の街並みが見下ろせたが、林の中を歩いているようだ。
「遊歩道ってどんだけ長いんだ」
息が切れてきた。つまずかないように下を向いて歩いていた悠介は、立ち止まって両膝に手をついた。水を飲もうか迷った。
「悠介、見えた。あそこが展望台や」
顔を上げると、林のトンネルの先に青い空がのぞいている。
「行くぞ、悠介」
次郎が走り出す。
「ィヤッタア」
由里だ。空に突き抜けるような声が響いた。
ああ、最高だ。
悠介たちのエールは由里にしっかり届いた。
悠介は次郎の黄色いシャツを追いかける。大願は目の前だ。
アッコと鳥山の歓声が続く。二村の叫び声。何を言ってるのかわからない。
悠介は夢中で最後の坂を駆け上がった。次郎と並んだ。
視界がいきなり開けた。
一等、見事な桜島。
――――サマスペ最終日 霧島市~鹿児島市 歩行距離三十六キロ
<了>
これにて【サマスペ! 九州縦断徒歩合宿】は完結です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
web小説、そして連載。どちらも初めての試みでしたが
楽しい二か月でした。
最後に旅の行程と参加者名簿を付けておきます。
地図を見て改めて思ったのですが
悠介たちが歩いた太宰府から桜島までの十日間、
さまざまなことが起こりました。
私も彼らと一緒に、少しばかり成長したように思います。
読者のみなさんの胸にも何かが残っていれば幸いです。
酒本歩