【短編小説】先輩がエアマックス履いてきた
私には、憧れている女性の先輩がいる。
文武両道、容姿端麗。何事も完璧、一切手を抜くことなんてない。
びっくりするぐらい艶っぽい黒髪に、物憂げな横顔を覗いた時……私は息をするのも忘れるぐらい、先輩に見とれてしまう。
そんな先輩は今、あらゆる人間から注目を集めている。
いや、先輩はいつも注目の的なんだけど、周りの視線はいつもと違う。
同級生も、先輩も、後輩も、先生も。
先輩の、足元を注目していた。
「なんでだろ……」
登校した瞬間、私は返って疑問だらけで、余計に頭が真っ白になる。
教室へ向かう途中、なんかざわついているのは分かってた。それを不思議に思って一秒。その二秒後に、異変の中心がやってくる。
鹿野先輩。歩き方まで麗しい先輩は今、物凄い目立つ黄色いスニーカーを履いてる。
そもそも、この学校は指定のローファーがある。とはいえ、運動部の子や、体育終わりの子達が、そのまま運動靴を履いていることもあるけど。先輩は部活には参加してないし、ましてや今は始業前だ。
「穗波……その、鹿野先輩……靴が」
一緒に登校していた友達の結芽が、私と同じく呆然としながら、そんなことを呟いてる。
穗波こと、私も同意見だ。なんで先輩はあんな目立つスニーカーを履いているのか。
そうして立ち止まっていると、ふと鹿野先輩が私の方を見て、
「おはよう。一ノ瀬さん」
「は……」
どう返事をしていいか分からず、私は言葉を詰まらせる。
足元はピカピカしているのに、先輩は驚くほどいつも通りだった。
午前中、私の思考は先輩のスニーカーに囚われていた。
クラスの子達も、先輩のそれに気づいたらしく、あちこちで噂している。
おしゃれ。
先生への反抗。
それとも……何かのサイン?
先輩は現生徒会長であり、去年は風紀委員もやってたぐらい、服装はキチンと守っている。誰よりもビシッと制服を着て、だから尚更スニーカーが目立つのだ。
模範的な優等生。そんな人が、いきなりあんな靴を履いてきたのだから、先生達も動揺して注意できないみたい。生憎、先輩は人格者でヘイトを買ってるタイプでもないから、目くじら立てる生徒もいないみたい。
というか、誰も注意できないよ。あんな完全無欠な優等生相手に。
「エアマックス……」
ふと、隣に座っていた結芽が、スマホを眺めながら呟いた。
ちなみに今はお昼休み。西校舎の非常階段は、ちょっとした隠れ場所だった。結芽は堂々とスマホを弄ってるし。そこに映ってたのは、大きめのスニーカーの画像だった。
「なにそれ?」
「知らない? エアマックス。ナイキのスニーカーだって」
スマホを借りると、詳細が載ってた。
どうもナイキのシリーズみたい。結構歴史が長くて、色んなモデルが出てる。色々スクロールしてみると、エアマックス狩りなんて言葉も出てきた。なにそれ。
「多分これだよ。鹿野先輩が履いてたやつ」
「そうなの? 結芽、よく気づいたね」
「先輩の靴、斜めに『AIR』って書いてたから。適当に検索したらヒットした」
確かに見てみたら、先輩の履いてたやつっぽかった。
エアマックスフレア……色は黄色だから……っていうか、今売ってないしプレミア付いてる……元の値段も相当高い。
「これ、昔のモデルみたいだけど、先輩が買ったのかなあ」
「さぁ……?」
「……というか、なんで履いてきたんだろう。エアマックス」
唐突に、派手なスニーカーを、しかも入手困難の高いものを、なんで今?
分からない。ただ思うのは、
「先輩……凄い似合ってたなぁ」
「分かる。清楚でお堅い見た目なのに、足元だけ派手なのクールだよね。
……っていうかさ、穗波、直接聞いてみればいいじゃん。鹿野先輩とは仲いいんでしょう?」
「へっ……いや、その」
確かに、私は鹿野先輩と面識はある。先輩は生徒会長で、私は生徒会委員の一人。話す機会も多いし、今日だって会おうと思えば会える。
だけど……
「なんか、話しづらいっていうか」
「どうして?」
「まぁ……えっと……とにかく先輩、今日一日で目立ってるし、直接話しかけるのは明日にするよ」
なんて、言い訳めいたことを並べながら、私はごまかす。
結芽はそれ以上、つっこんで来なかった。ただ、携帯を眺めながら独り言を呟く。
「先輩、そろそろ卒業なのに、あんなことして内申に響かないのかね」
「結芽、痛いところ突くなぁ……」
放課後、私はとぼとぼ廊下を歩きながらひとりごちる。
訳あって、今は鹿野先輩とは話せない。……その原因は、私の方にあるのだけど。
結芽は部活。私も学校の用事はない。
帰ろうかと思うけど、やっぱり鹿野先輩のことが頭から離れない。話すかけるまでもなく、遠目から覗いて帰ろうかなと思う。
階段を上がって、三階へ。
生徒会室にいるかなと、私は向かった矢先。
「一ノ瀬さん」
数メートル離れたところに、鹿野先輩が立っている。
階段を上がってすぐ遭遇した私は、一瞬思考が凍り付く。普通にびっくりした。まさか、生徒会室の扉真ん前にいるなんて。
そして、相変わらず……黄色いエアマックスは目立つ……ってあれ?
「先輩、靴……」
「……」
私はすぐに異変に気づいた。
先輩が履いているのは、エアマックスではない。普通のローファーだ。足と、先輩の顔を交互に見ていると、
「その……ちょっと困ったことになって」
「へ……?」
「靴……どこかにいってしまったの」
どこかに、いった。
つまり__無くしたって、こと?
「エ、エアマックス狩りだ……!」
「……? 何の話?」
生徒会室には誰もいなかった。
薄暗い、机ばっかりの部屋で、私と先輩は会話する。
「体育の時間にね。学校の靴に履き替えた後、更衣室に戻ってみれば無くなってたの」
窓を開けて、微かに夕日が差し込む。でも、この部屋は日当たりが悪いんだ。会議の時は、いつも悪い話をしている気分になる。
金色の陽を浴びる先輩の表情は、普段と同じく冷静だ。
「他の子に聞いても、心当たりないみたいでね」
「それは……でも、誰かが持って行ったってことですよね?」
まぁ、そもそも。あの靴を履いてきたことに、逆にみんなが質問したいと思うんだけど。
「いいえ、それはないわ。それに、持って行かれたら私も気づくはず」
「そう……ですか」
「でも……ロッカーは制服で一杯になるし、よく上とか地面に置いてるの。何かの拍子に紛れ込んだのかしら」
「そうかもですね……って、いやいや! あんな目立つスニーカー、誰も間違えないですよ!」
あまりにも冷静に、整然と言うもんだから鵜呑みにしそうだったけど、そんな訳ないじゃん! とツッコんでしまう。
同時に、ハッとなる。迂闊だった。あまりにも言いづらかった、あのスニーカーの目立ち具合に、うっかり言及しちゃった。
「……」
固まる私と、少し驚いたように口を半開きにする先輩。
目が合う。視線が痛い。ややあって、私はそのまま聞くことにした。
「先輩は、なんであのスニーカーを履いてきたんですか?」
黄色いエアマックス。あれは、あまりにも不釣り合いで、あまりにも似合いすぎてていた。
冷静に履きこなす先輩に、ツッコむ人は少なかっただろう。私もそうだ。でも、聞くならこのタイミングしかない。
「それは……」
先輩は言い淀んだ。何か答えたくないことがあるのかな。それとも、
「逆に……聞いてもいいかしら」
「は、はい?」
「一ノ瀬さんは……どうして、私に告白してきたの?」
今度は、こっちが答えに困った。
先輩は、数日前のことを言ってるんだ。
「そ……れは」
告白。
私は、数日前に先輩に告白したのだ。勿論……愛の告白。
「迷惑……でしたよね」
後悔しないために、先輩に好意を伝えたつもりだった。でも、今は凄く後悔している。
先輩の顔を見る。ほら、困った顔をしている。当然だ、同性の後輩に、突然付き合ってくださいなんて。先輩を戸惑わせるのは、分かっていたはずなのに。
「ごめん、なさい」
「い、いえ! 一ノ瀬さんが悪いわけじゃないの。……ただ、正直に困惑したこともあるの」
この場で、はっきりそう言ってくれるのは、先輩の優しさだ。こんな時でも、胸がじわりと温かくなる。やっぱり私は、この人のことが好きなんだ。
『先輩、そろそろ卒業なのに』
昼休み、結芽と話したことを思い出す。先輩はあと半年で卒業する。
「先輩が卒業する前に、伝えたかったんです。でも、ただの自己満足でしたね……」
「そんな……ことは」
「大丈夫ですから!」
これ以上、先輩に甘えたくない。
私は話を無理矢理打ち切って、何とか笑顔を作る。
そうして、椅子から立ち上がった。このまま、教室を出てしまおうと……
「待って」
そんな私の手を、先輩はとった。
「え……?」
「私は……一ノ瀬さんの告白に答えられない。それは、私自身が……私のことを、よく分かっていないから」
「……自分のこと、ですか?」
「告白の時、一ノ瀬さんは私に言ってくれたよね。尊敬してる、完璧な先輩って」
先輩の熱が、手の平に伝わる。
その瞬間だけ、私はいつもの先輩と、今の先輩が全然違う人物のように思えた。
「それは……今も変わりません」
「でも、私はそうは思っていない」
「……?」
「私は、みんなが思っているほど完璧な人物じゃないと思う。そもそも……自分がどういう人物だなんて、分からない」
絞り出すような先輩の声を、私は無心になって聞いていた。
かれこれ、もう一年ぐらいの間柄だと思う。
それでも……先輩のこんな話は、初めて聞いた気がする。
「何が好きかも、何が嫌いかも。私には分からない。
たまに友達と話していて思うの。みんなみたいに、夢中になれるものとか、笑顔になれるもの。私にはそれが無いから」
確かに、プライベートなことは一つも聞いたことがない。
それ以上に、先輩はただみんなの話を聞くのがとても上手で……私は、それに甘えていて、
「靴を変えてきたのも、ただのきまぐれ」
先輩の話に、頭の中であのスニーカーを思い出す。黄色い、派手な靴を。
「唯一周りで……私のおじいちゃんがね。趣味に生きている人だった。
私はその人が好きだった。それで……一年前の誕生日に貰ったのが、この靴。これを履けば、おじいちゃんの考えていたことが分かるかなって」
大切なコレクションだったみたいだけどね、と。先輩は初めて笑った。
「でも、悪目立ちするだけ。私には、釣り合わない靴だった」
「……」
なんて、言えばいいか分からない。
私は、先輩のことを何も知らなかった。完璧な先輩に勝手に憧れて、ただ何を考えているかとか、逆に先輩の好きなものとか……一切理解しようとしてなかった。
だけど、
「先輩、凄く似合ってましたよ」
「え……?」
ここで踏みとどまれば、私は先輩に一生顔向けできない。
「素敵だと思いました。クールな先輩が、あんな格好いい派手なスニーカー履いて」
「い、一ノ瀬さん……?」
「だから、探しましょうよ」
離れようとした手を、私は握り返した。
「エアマックス……先輩の大好きなスニーカーを!」
ちなみに、
意気揚々と生徒会室から出た私達は、結果的に十分ぐらいでエアマックスを見つけることになる。
校舎のエントランスまで降りた瞬間、出くわした体育担当の中島先生が持っていたからだ。
「マジか」
先生は女子にモテるタイプの女性だった。すらっとしたスタイルに、短い髪と眼鏡。昔、東京で就活していた時にSPと間違われたことがあるとか。
先生は気を遣ってくれたみたいで、職員室横の談話室みたいなところで、私達と話をしてくれた。
「いやなに。着替え終わった後、念のため更衣室の鍵を閉めるだろう? その前に誰かいないか確認で中を見た時、ロッカーの上に目立つエアマックスがあるじゃないか」
「本当に……すみませんでした」
「鹿野が謝ることはない。先生もちょっと同じようなスニーカーを持っててな。また教頭に見つかったら面倒だと思って、とりあえず回収したんだ」
そもそも、生徒の更衣室に置き忘れるはずがないんだけどな、と。先生は付け足す。ちなみに回収した後、すぐに違うスニーカーだったのを気づく&自前のスニーカーの無事を確認したみたい。
「良かったですね、先輩のスニーカー見つかって」
「……うん」
「……まぁ。ともあれ、鹿野も卒業が近いんだ。あまり先生達に睨まれるようなことはするなよ」
中島先生が、スニーカーを先輩に渡す。
先輩はすぐに履かずに、ただそれを見つめていた。
「あと、ちゃんと手入れしろよ。貴重なスニーカーなんだから」
「そう、なんですか?」
「知らんのか。ええっと……今買おうとすると」
先生はスマホを取り出して、値段を検索。そのまま、画面を私達に見せてくれる。
私は金額を知っていたけど、先輩は固まっていた。初めて見る顔だった……先輩、値段知らずに履いてたんだ……
帰る頃には、すっかり日が暮れていた。
先輩と並んで帰るのは、初めてだ。いつも他の人がいるから……だけど、せっかくの二人っきりなのに、喜ぶ気にはなれなかった。
「中島先生、優しかったですね」
ただ、今から出る言葉は形式だけのもの。待ち望んだ時間かもしれないけど、私は通り過ぎて欲しいまである。
「ええ……先生が見つけてくださらなかったら、どうなっていたことか」
「スニーカー……もう履かないんですか?」
「学校には、ね。高価なものだし……それに、何の意味も無かったから」
好きなものを見つける。
先輩の願いは、結局叶わなかったんだ。
「ねえ、先輩……」
何か先輩に言ってあげたい。そう、言葉を探す私の前で……
「えっ……?」
先輩は、何故か走り出していた。
今まで想像したことがない。そんな、先輩の自由な姿だと思った。
軽やかで、いつもの大人しいイメージは一切無くて。
少し距離が空いて、振り向く。先輩は笑っていた。
「ありがとう、一ノ瀬さん」
「せ、先輩……?」
「一ノ瀬さんが、背中を押してくれたから……私は、少しだけ前に進めた気がする。
好きなものは今も分からない。でも、私はやっぱりこのスニーカーが好きだったみたい」
スニーカー履いてるんだから、走らないと損でしょ? なんて冗談付きで。
笑いかける先輩に、私は目が眩みそうだった。
「あ……ちょ、ちょっと待ってくださいよ。先輩!」
思い出したように、慌てて私は追いかける。
今日であった私が知らない先輩。だけど、私の心はますますあの人に惹かれるばかりだった。