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知的意見交換、あるいは祭りづくりの空間の意味とは ハンナ・アーレント「人間の条件」を読むVol.7

ついに、武蔵小杉でハンナ・アーレントを読み始めて1年が経とうとしています!

長かったような、あっという間のような。そして、読み終えたのはたったの…10ページ!!!(驚愕)

思えば、一年前に初めて先生に会ったとき、この状況は予測しておくべきだった。

(そのときの記事ね↑)

ちょっと説明すると、「人間の条件」は5→2→1と読み進め、そのあと2、3年ほどよく考えると、わかるようになるんでしたね(笑)

このうち「5」はちょくちょく先生に言われて飛んで読んでますが、読み通したと言うことはできず。我々は本日「2」の10ページめ(P.52)から読むことになっているので、「人間の条件」のうち読み進めたのはたったの10ページ、ということになります。(大笑)

ま、こんなもんでしょう。
進んだページ数は微々たるものですが、その間に参加者の頭の中に起きた変化は、その比ではない、と私は断言できますよ。

では、本日のレポートへ!

前回までの総ざらい


今回は新しく参加する人も多かったので、今までの復習を

アーレントは哲学者ではなく政治理論家を自負


スコットランドに関する雑談から。
蛍の光は、スコットランドの事実上の国歌である。そしてこの曲は世界中で歌われているんですよねえ。ノルマン民族が入ってきてから公用語も英語になったけれど、それまではケルト人の国だった。かつてはヨーロッパの北部を支配していた。

そのスコットランドの都市・アバディーンでハンナ・アーレントが講義を頼まれた。1968年頃、佐藤先生が大学に入学した頃の話である。ここでアーレントは「私は今から『精神の生活』という話をしますが、私は哲学者ではないので、政治理論家と呼んで欲しい(この場合の政治理論≠政治学)」と話した。

現在誰もが認識している「政治」は、誰がリーダーになり、それをどう選ぶか、という行為を指す。そして、社会をどう秩序づけて統治するか、という学問が政治学。

だが、それを始めたのはプラトンであり、それ以前には、ソクラテスのもと、古代ギリシャで行われていた「言論活動」としての政治しかなかった。つまりその言論活動行為を理論化しているのが、アーレントの仕事というわけです。


「実は私には自分に問いかけてくる別の存在がいて、それはダイモン=Daemonなのだけれども、それと私は話しているだけなのだ。アテネに新しい宗教を作ろうなどと考えているのではなく、私自身に問いかけてくる存在と対話をしているだけなのだ」「ダイモンとの対話は、法律や習慣とは関係なく、自分自信が正しいと思えるかどうかだ。」(これは佐藤先生の言ですが、たぶんソクラテスの弁明にこういう一節があるのでしょう

そう言ったソクラテスは、毒杯を飲まされて死んだ。それを見ていた弟子のプラトンは「これはまずい」と思った。政治というものは利害に囚われずに大局を俯瞰できる人によって行われるべきで、大衆はそれに従うべきだ(そうしないと、こんな賢人を死刑にするような愚行に走ることになるので)と、「国家」に記した。

https://www.amazon.co.jp/国家%E3%80%88上〉-岩波文庫-プラトン/dp/4003360176

合議と同調圧力


合理的無知

さて、そうすると前回も出た、大衆側の政治への参加の仕方についてに話が飛ぶ。

こんな知識のない自分に、はたして投票する権利があるの?という「合理的無知」から、人々が政治に参加しなくなる。

熟議 

決定することが目的の話し合いは、どこかで誰かが最終的に譲る。ある意味での合意を作ることは悪いことではないけれど、合意を作るというのは最終的に譲ることになる。人間というのは、自分の思っていることを自由に心の底から発言してみんなと交流してみたい、という願いをもっているはずなのに、どこかで妥協してしまう。

同調圧力と利害?

パラグアイで開拓をしていたご両親を持つ方の話になる。パラグアイで、ある時に別の人と致命的な意見の対立が起きて、そこで生活をしていくことはできなくなってしまった。生活をしていると、利害の対立は必ずどこかに発生してしまうので、それに折り合っていく必要が生じる。

お祭りの良さは、自分の良さを表現ができるところ。それでお祭りが成功すると、一緒にやってよかったね、という気持ちが生じる。みんなが一人一人個性を出し合って作るものに、自分が関わるというのは、人間の根本的な欲求である。かつてのギリシャにあったポリスではそれが日常的な営みであった。

「日本のゆずりすぎる集団関係は嫌いだけれども、日本人であることを拒絶したいとは思わない。結局、自分の人間関係において、自分が不可欠な存在であるということを認めてもらうことはうれしいことですよね」と先生は言う。
「だから横井さんのやってるコスギアートみたいなのは、本当に必要なんですよ」と付け加えるのも忘れずに。先生のこういうとこ好き

都市とは単なる集住ではない。都市というのは必ず真ん中に広場があって、みんながそれを作っているという意識がある。(これはポリスの原点でもある)

佐藤先生

「フィレンツェ、行ったことありますか?」と先生が私に聞くので、
「はい」と答える。
「何がありましたか?」と問うので、
「ひ…広場がありました」 と答えてしまった。(空気と流れの読める子を演じてしまった。つまらんなぁ…)

先生はあははと笑ってダンテ の話に持っていく。

ダンテはフィレンツェの評議員のひとりであった。(つまり「神曲」で知られる詩人ダンテ は政治家だったのです)
ダンテ は、帝政論において、人類は秩序も作らなければいけない。地球規模でいい。ひとりひとりは、共同で、自由を最大限発揮するべきであり、フィレンツェはそういう都市であるべきだ、というのをスローガンとした。

(なんか、いいスローガンじゃない?)

人間が他者と生きたいというのは根本的な欲求。でもそこに主従の関係が生じるのは違う。生活の必要のために統治に従っているのでは意味がない。例えばお祭り。市民ひとりひとりがそれを楽しみにしているわけで、それはもともと政治とは関係がない。自分の村のお祭りのためなら、どんなことをしても駆け付ける、という人も多い。祭りは、一人だけで思っていた郷土愛が拡大されて表現される。それがポリスの原点である。

(だからコスギアートはすごいのね)

そのポリス的なものを論理的に書き記していく、というのがアーレントの根本的な思想。


講の力 大山講を例にとって

前回も出た、横浜市の政治決定をするための機関についての話になる。「無作為に選ばれた利害関係のない人たちが集まって政治決定をすればいいのではないか」というのが実験的に行われた、と言う話だった気がする。これについては、一定の効果はあるんですよ、と先生は言う。でも、最終的に何かを決めるために集まっているのだから、やっぱり妥協が生まれる。

人間は決めるためにだけ生きているわけではない。
この話になると必ず先生が言うのは、「たとえばこの集まり(ハンナアーレントを読む会)は、何かを決めるために集まっているわけではない。人の生活には、こういうものこそが必要だ」と言うんですね。
私も一年やってきて、この会や、以前私が武蔵小杉でやっていた「戯曲を読む会」が必要だったということが改めてわかってきました。

講 はどういう始まりだったかというと、浄土真宗の流れが大きい。昔は信仰のためにお坊さんが講義をしたところから始まっているから「講」という。蓮如が出てきて、一番大事なことは講義を聴くことではなく、信徒が集まって自由に話し合うことが大事なんだ、ということを強調。それが日本一強大な政治組織(だと為政者が認識するよう)になったのが、一向一揆。

富山は瑞泉寺を中心に自治都市を作っていたけれど、堺の大仙古墳のあたりもそう。堺で鋳鉄が行われて、それが応神、仁徳のころ。鉄の武器を作る(武器で支配する)基盤ができた。その技術をもとに自治都市ができた。そんな堺のいろいろなものを引越しさせて大阪市ができた。

そういう全国の自治都市を支えたのが浄土真宗。危険な政治組織として排除されたりもしたが、もともとはただ単に地元の人たちが話し合っていただけ

江戸時代は、藩を超えて行き来はできなかった。そんな市井の人びとに唯一許されたのが「お詣り」。だからお伊勢参りも大流行したし、近いところでは大山にみんなこぞって詣でた。大山詣りの山開きをするのは新橋の芸者だった。(大山で芸者遊びをしたのか?)その帰りには鎌倉の遊郭(江ノ島)に繰り出して大騒ぎしたらしい。

「丸山教って知ってますか?あれは幕末から明治にかけて日本最大の新興宗教だったんですが、実は富士講であり、富士山詣りを口実に支配者の目を逃れて自由遊びクラブだったんですよ」と先生。

へー、へー!面白!!

これは先生お勧めの本。読まなきゃ。

こういう、庶民がどうやって生きていたかということが、歴史の教科書には書いていない。歴史というと、政治統治者がいつ、どんなことをしたか、ということを学ぶだけ。それじゃあダメだよね、と先生。

余談になるけど、私が親に買ってもらっていた「まんが人物日本の歴史」という本には、聖徳太子や織田信長、という巻に混じってたまに「江戸っ子」とかいう巻があって、私の1番のお気に入りはその巻だったりしました。

さて、大事なところ。

アーレントが語る「政治」は「社会を統治するシステム」のことを指すのではない、ということを理解してからでないと、ハンナ・アーレントは読めない。

佐藤先生、これを言いたくて上記のことを新しい参加者の方々に述べていらしたんですえ。

はい、前回までのおさらいでした。
ここまでで2時間。だから亀のあゆみなんですわ…(笑)

アーレントの言うポリスとは


さて、休憩を挟んでいよいよ本を開いて読んで行きますよ。
本日は、「人間の条件」P.55。相変わらず「公的領域と私的領域」の章です。

「坂本龍馬を思い出してください。龍馬は脱藩したわけでしょう。近代国家に邁進するためには、脱サラしないと政治に関われない、という判断があったんですね」

「マリアが処女懐胎をしたのはなにを意味するのか、という議論がありますが、生物学的には雄の役割は細胞分裂のきっかけをつくるため、遺伝子が多様性を持つためと言われています。でも300万分の一の確率で、雄の介在がなくても細胞分裂し始める例がある。家族の支配から逃れる必要がある、家父長である父親の支配を受ける神の子はいけない。地域の利害支配を超える存在でなければいけなかった。」

おっと、おっとっと。
先生大事なところをだだだだだーっと行きましたね(汗)

エフェソスを例にとって

エフェソスに行ったことがありますか? 

アメリカ・ヨーロッパ経由でキリスト教を見ると、キリスト教とイスラム教が対立しているように思うけれども、本来まったく対立しているものではない。

トルコは、政教分離のために、(アタチュルクのころ)一国家一民族を目指し、ギリシャ人を大量に追い出した。

古代ギリシャに興味があればまずはいかなければいけないところ。そして、カトリックの人にとってはマリアの終焉の地としても大切。

中世では、人々の関心の中心は「来世」(あの世)にあった。町は各封建領主のための村落になってしまった。

南米では、解放の神学が生まれたことによって、民衆のためのものに移った、という経緯もある。仏教だってそう。本来は悟りを求める宗教であり、日常生活を捨ててでも悟りを得たいという人たちに施しをするのが小乗仏教。日本では革新的な仏教が興り、弘法大師と最澄までは支配者のための宗教だった。あの頃は庶民に仏教を教えてはいけなかった。弘法大師は偉い人で、庶民にもこれを伝えなければいけない、という思いを持って、支配者と庶民と両方に伝えた。法然・親鸞は「南無阿弥陀仏(阿弥陀様に帰依いたします)」と唱えると、誰でも救われると説いた。それ以前は学識がなければ仏教は理解できないものとされていたが、物事の善悪を判断できるような人がいるわけがない、自分は悪人であるが、救われたいという謙虚な思いを持つ人のみが救われるのだ、と言った。

東本願寺と西本願寺の分裂はあの世で救われるか、この世に救いがあるか。つまり彼岸を信じるのか。

私的領域のなかに家族制を持ち込まないことの重要性


「家族も結局はお父さんが給料をもらってきて、生活する場となっている。女の人は昔だったら家事をやって支えているのに、それだけでは何もやっていないかのように貶める文化がある。労働者とは賃金収入を得ている人をいう。つまり専業主婦は「労働者」ではないということになる。一番労働している人が労働者と認められていない、家族の中の運営がたいしたことじゃないという文化になっている。
いまはさらに家族的なつながりの成す地盤もつながりも消えている。息子や娘をいい学校にいれないと自分の価値がないのではないかと、女性が思うようなしくみになってしまっている。」

家族を超えた集まり、さっきも話が出た「講」のようなものが、必要なのだということをアーレントは説いているんですね。

今回はとても腑に落ちる話でした。

「PACKS(連帯市民契約)をフランスが1999年に認めて、世界的に広がる稽古にあるのに、日本だけはこれを話題にもしないんですよ!?」と先生はちょっと気色ばんだ。

「今はお墓の産業は急速に衰退している。そもそもこれは明治に始まった習慣。それ以前は庶民は木でも立てて手をあわせたもの。人は三代に手を合わせればいい。いくら遡っても室町時代には辿りつかない、1600年くらいにキリシタン弾圧のために、宗門帳を作らせたところが始まりなんです」


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