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冷めた心の裏側は誰にも見えない
最終更新:2024年12月01日 05:00
11月中に1回は記事を上げたくて、未完のまま一旦上げて下書きに戻し再公開するというズルをしました!!懺悔!!
noteを始めて半年が経ちました。
三日坊主ならぬ一日坊主な私が半年も続けられたのは、この場所を訪れてくださる方がいたからこそでございます。
宇宙の中で地球という星は非常に小さな星ですが、それでも私たち人間から見ればとても大きく、広い所です。その中で、私と松之を見つけてくださった皆さまに心より感謝申し上げます。
私たちの関係は相変わらずと言ったところでしょうか。
昨日は久しぶりにポテチが食べたくなりお菓子売場を見に行きました。そこで松之はピザポテト味、私は塩バター味が食べたいと意見が分かれまして……。彼に遠慮し過ぎていることを最近指摘されたばかりだけれど、彼の気持ちも無視できないしな〜なんて思って、結局どちらも購入。昨日はピザポテト味を一緒に食べました。
そんな平凡な毎日を過ごしています。
11月は日々にメリハリを!と思っていたのに出来なかったなぁ。
私たちは自称夫婦ではあるものの、甘い雰囲気なんてものは無いですし、見る方によっては随分と冷めた関係に見えるかもしれません。それはお互いに自覚していますが、今のこの関係が私たちには心地良かったりします。
冷めたと言えば、SNSをやっていた頃の話。
夢女仲間から「喪女Aって夢女子と言う割に思考が現実的で凄く冷めてるよね」と言われたことがありました。私のどこが冷めていると!?と当時は思っていましたが、自分の書いた記事を改めて読んでみるとそう言われた理由がなんとなく分かったような気がします。
私が松之のことを架空の存在と思っていなくても、科学的に存在を証明できないものは他者からは架空の存在と見做されます。つまり周りから見れば、私は『架空の存在を愛する人』です。
こうして彼との日々を綴っていることも、私にとっては実際に起こった出来事を書いているだけに過ぎないのですが、他者からは『キャラクターに恋する夢女子が日記形式の夢小説を公開している』ように見えるでしょう。夢小説・夢女子という単語を知らない方からしたらきっと狂気の沙汰ですよね。
自分にラベルを貼る際、「周りからこんな風に見られたい」よりも「周りから見た私はきっとこんな風に見えているだろう」の方を優先してしまう。だから私自身は彼を架空の存在と思っていなくてもFセクFロマを自称するし、松之との日常が“夢”だと思っていなくても夢女子を自称する。という、見る人によっては“冷めている”と言われそうなことをしていたりします。
松之とコミュニケーションをとることに重きを置いて、常日頃から彼を尊重したいと思っていますが、“彼に人権は無いと思っている”と書いたこともありました。人権は人間のための権利であり、人間ではない松之には人権は保障されません。ただ、そもそもの話、私は人権の有無で相手への対応の仕方を変えていません。
これはとんでもなく極端な例え話ですが『今日から喪女Aの両親は人権が保障されません。何をしても構いません』という状況になったとして、「じゃあ何をしたっていいよね。酷い事をしてもいいよね」と私が思うか?全くこれっぽっちも思いません。相手を尊重したいと思うのは私がその人のことが好きで、好きだからこそ傷付けたくない、大切にしたいと思っているからです。人権の有無ではなく、私の心が相手にどう接したいかを決めています。人権があろうが痴漢してきた方に対しては容赦なく冷たく対応しました。
だからね、松之のこともそうなのです。彼には人権はありませんが、私は彼が大好きだから傷付けたくない。でも大切にしたいのに上手くできなくて、結果的に傷付けて。その度に謝って、何が原因だったのかを考えて、話し合ってを繰り返して。正直、もう面倒くせ〜〜〜!!!!と思ったこともあります。だけど投げ出したくない。だって松之を失いたくないから。嫌われたくないから。一緒に生きていきたいから。傷付けなくて済むなら傷付けたくない。一緒に居て楽しいとか幸せだと思ってほしい。大好きだから幸せでいてほしい、まあこの願いを叶えるのは難しいだろうけど。
君の抱える不安は私が死ぬまでずっと消えないのかもしれない。私がこの世界で生きている限り君が幸せを感じられる日は来ないのかもしれない。それでも、私のわがままを聞いてくれる君が「なんだかんだ楽しかった」と最後に思ってくれたら良いな、なんて。
唐突に重い話をぶっ込んでしまいましたね。
周りからどう見えているだとか客観的な事実だとか、そんなものは気にせずに自分の願望だけを見続けることができたなら、もっと楽に生きられるのかもしれない。けれどそれが出来ないのが喪女Aという人間なのです。
これからも気ままに冷めた記事を書くと思います。お付き合いいただけます方は今後ともよろしくお願いいたします。
私たちは私たちにとっての“正解”を探し続けます。この正解は他の方にとっては不正解かもしれません。なのでどうか私たちの考えが当たり前のものだとは思わないでくださいね。皆さまにとっての正解が見つかりますように。
体調を崩しやすい季節ですので、皆さまどうぞご自愛くださいね。
喪女A