2024/3/31

産みの苦しみってあるよなぁと思う。そう思うことがあったので、せっせとここに残しておく。

そりゃあ泣いちゃうよね、雫ちゃん

昨夜、『耳をすませば』を観た。2ヶ月の試しを終えた雫ちゃんに毎回グッとくるのだが、今回も例に漏れず号泣した。

雫ちゃんが作品を書き上げるシーンの直前は、彼女が畳に寝っ転がってぼんやりと外を眺めるシーンだ。なんだかそこに共鳴してしまった。グッと来た。そこからの、あのお爺さんの一言…。そりゃあ泣いちゃうよね、雫ちゃん。

ものを作ること、ものを作っている人が好きだ。私の場合はもっぱら演劇だけど、それ以外でも良い。バイオリンでも、物語でも。伝統工芸品でも、音楽でも、家でも、一本のスプーンでも、一本のネジでも、何でも。愛や情熱や拘りを持って、一つのものを作ること自体がとても好き。

ものを作るのは、産むことだと思う。出産を経験したことはないけど、腹を痛めると言うぐらいだし、イメージからしてもかなり辛そうな感じがする。ものを作るのもそれと同じだと思うんだ。辛いことなんだと思う。私の場合、体のどこかを代償にするようなイメージがある。一つの役を貰うたび、私の体の一部が無くなっていく。多分私が演劇をやめるのは、その代償になるものがなくなった時だ…なんてロマンチックなことも考える。

ちなみに、右肩をあげた女の子はまだそこにいる。そんな感じだ。オカルトっぽいけど、あの子には私の右肩をあげたんだから、もう私の右肩は私のものじゃなくて彼女のものだ。そう思ってる。特にあの子は、公演中止になっても私のそばにいてくれたから多分もうこのままだと思う、死ぬまで。

産みの苦しみってあると思う。それを乗り越えてでも出会いたいから、やっぱり私は演劇が好きだ。

私のコロナ禍 


コロナ禍が始まったのは大体四年くらい前だと思う。私がかかわった中で公演中止になった作品は四つ。そのうち三つはすでに再演している。その四つ目、最後の作品が先月再演した。キャストは残ったり残らなかったりだ。とても嬉しかった。
それから間も無く、私がよく行っている現場がマスクオフOKになった。人の顔が見えて、話をしても怒られなくて、不要不急なんて言われない。たったそれだけの事なんだけど、少しだけ泣けた。

ちょっと感傷に浸りながら書く。
私が学生の時、コロナが始まった。どこに行くにしてもマスク、演劇は不要不急、公演の発信をすれば批判され、自粛を促され、学校に行くことすら駄目になった。あの時は言語化出来てなかったけれど、結構傷ついた。いやもう言葉を選ばずに言うと、とても、本当に、マジで息が止まりそうなくらい辛かった。鬱になる人が続出したのも頷ける。

大好きな演劇を、自分の人生を捧げたいと思ったそれを「不要不急」と言われることが辛かった。「不急」はまだ納得できる。だって、あの時は医療従事者の皆さんが本当に大変で、これ以上あの人達を辛くさせたら駄目だと思えたし、実際コロナになって後遺症が残って、原因も治療法もなくて辛い人も沢山いると知ってたし。でも「不要」は。「不要」だけは許せなかった。人が人らしく、心を豊かに暮らすために必要なのは芸術だと思ってたから。でもその発信も「不急」だということも理解できていた。だから、どうしたら良いか分からなかったけど、ずっと怒っていたし、ずっと悲しかったし、ずっと辛かった。

よく生き抜いた。よく耐えた。
私も、私の友人も、家族も。演劇人も。あの時色んな場所で傷ついた全ての人。よく生き抜いた。生き残ったんだと思う。大袈裟かもしれないけど、あのコロナ禍には、そのくらいのインパクトがあった。

産んでも報われないかもしれないという恐怖と共に生きていたこの四年を思うと、割とガチで涙が出る。この四年をきちんと客観的に振り返るにはもう少し時間がかかりそうだ。

産みの苦しみはある。それが報われないこともある。もうない右肩がそれを証明している。苦しみながらでも、劇場のそばで生きて劇場のそばで死にたい。
私自身もコロナに感染し、いまだに嗅覚が戻らない。でも、この数ヶ月が最終章だった。私のコロナ禍が終わった。
明日から4月だ。やあ、新世界の皆さん。そんな気持ちで朝目覚めようと思う。


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