愛してる、でもこれ以上は愛せない
家族に依存していたんだと思う。
そこから抜け出すというか、逃げ出すというか。とにかく自立せねばと地を這いつくばる今の自分に至るまでを、残しておきたいと思い筆を取る。きっと何度思い出しても傷は痛むけれど、それが人生なのだと格好つけてみながら。
何故あなたに言われなきゃいけないの?
ことの発端は数年前の年末だ。家族と喧嘩した。
さっそく訂正。あれは世間一般から見れば喧嘩ではない。ただの会話。でも、私にとってはそれすら初めてだった。何故なら、当時25歳の私はそれまでの人生で家族に口答えなんてしたことがなかったからだ。
言われたように生きてきた。望まれた顔をしながら過ごしてきた。それが一番平和と知っているからだ。
我が家はDVがあったとか、お金がなくて取り立て屋が来てたとか、そういう事は全くなかった。多少経済的に苦しい時はあったかもしれないが、両親はそれを私たち子供に察させるようなことをしなかった。立派な親だと思う。
家族はとても仲が良かった。毎年のように家族旅行へ行った。毎晩、全員で食卓を囲んで笑った。「本当に理想の家族やね」と言われたのはいつだっただろうか。私の自慢ですらあったのだ、あの家は。
幼い頃、姉から暴力を受けていた。行為自体は頬をつねったり、足を蹴ったり、頭を叩くような可愛いなものだ。でも、あれは当時の私を萎縮させるに値した。だから暴力。当時の私を守るため、今の私は敢えてその言葉を選ぶ。
弟は町内の子供達とグルになって私の悪口を言ってきた。なんなら、家の中での出来事を近所の子に話して笑い物にしてきた。
父は普段は穏やかだが、敵と認識した相手に容赦なかった。冷たい目で暴言を吐いた。いつその矛先が自分に向かってくるか全く分からない。酔っ払って帰ってくる父が階段を登ってくる足音が怖かった。
母は何も言わなかった。何も言わなかったけれど、母が泣いていたことを知っている。普段ニコニコと笑うあの女性が背中を小さく丸めてテッシュで目元を抑えている姿を一度だけ見たことがある。それでも彼女は、無関心を貫いた。
ここに書き連ねたものは、敢えて大袈裟に表現している。今になって思うのだ、大事なのは行為の大小ではなく、私が感じたことなんだと。
私は家族にとって捌け口にしても良いと認識された存在だったと思う。そう思わせる側にも責任がある?逃げ出さなかった私が悪い? 勿論、その意見にも頷こう。その通りだ。けれど私は逃げ出さなかった。逃げ出せなかった。「友人よりも恋人よりも、家族を選んで当然」というあの家の空気に負けたから。
言われたように生きてきた。望まれた顔をしながら過ごしてきた。それが一番平和と知っているからだ。
「コロナ禍でうちの家族だけは何もなくて良かった」?
東京で過ごした私の傷を知らないくせに。
「〇〇はあまり話さない子だからね」?
話を聞かなかったのは貴方じゃないか。
年末の出来事はあまりにも衝撃で、些細を覚えていないのが事実だ。でも、上の二言がどうしても許せなかった。だから言った。「何故あなたに言われなきゃいけないの?」。
その後のことはもっと覚えていない。
でも、翌日には東京に帰ると言った私に母が「お願い。帰らないで。」と涙声で囁いてきたことはしっかり脳裏に焼き付いている。
だめだ、ここに居ては窒息する。本能的にそう思った。翌日、私は東京に逃げ帰った。
家族を否定してまで、私は生きたくない
私の不幸は、間違いなく家族に愛されていたということだ。既に書いたように立派な親だった。姉や弟も、それぞれの道を自分の意思で選び歩める強い大人になった。彼らは私を愛している…おそらく今でも。
愛されているから許さなくてはいけない?
愛ゆえだから責めてはいけない?
そんなこと誰が決めたんだろうか。もし決めた誰かがいるなら、今目の前に連れてきてほしい。私はそいつを八つ裂きにしたい。
「友人よりも恋人よりも、家族を選んで当然」というあの家の空気を吸って育った私は、家族以外のコミュニティに加われなかった。逃げ場はなかった。というより、逃げるという発想がなかった。私には家族しかいない、たとえ傷付いたとしてもこの人達の承認がなければ生きていけない。本気でそう思っていた。私という存在を縁取るアイデンティティは家族しかなかった。それを否定し抗うことは、私の存在の否定だった。
家族を否定してまで生きるほどの価値など私にはない。私の存在を決めるのも、価値を決めるのも、全て家族。家族、家族、家族…。
私は愛されていた。守られてきた。大事に育てられた。思い出の中で笑う家族は私にいつも優しいのだから、これは確かなことだ。愛に窒息するなんて、幸せな証拠だ。その幸せの中に私の自由はなかったけれど。
今こそ別れ目、いざさらば!
許さないことにした。
姉の暴力を、弟のいじめを、両親の身勝手と無関心さを、私は許さないことにした。謝ってもらうことはきっとこの先もないだろうけど、もし謝罪されたとしても私は許さない。しっかりと恨ませてもらう。憎ませてもらう。もらった愛を絆創膏にして存在を打ち消していた傷を、本当の意味で癒すために。
家族を切り離した私は、文字通り空っぽだ。何もない。無意味で無価値な肉の袋である。つまりこれから満たしていける。つまり自分の意思で自分の姿を決められる。空っぽの方が良い音が鳴る。今の私はそこそこ響く小鼓くらいにはなれると思う。
親不孝だ、薄情だと言う人があるかもしれない。そのバッシングくらいで私の人生が自由になるなら安いものだ。どれだけ悪人と言われても構わない。それら全てを引き受ける覚悟と共に、私は私の人生を選んだだけだ。
愛していた。歪でも。
愛している、でもこれ以上は、私の意思で愛さない。
これが今の私。