仮構に向かっていくこと
「第2回松本家展―昨日の記録、1万年の記憶―」というグループ展を昨夏に開催した。この展示の振り返りをちゃんと書いていなかったから、日記として少しずつ書いていくことにする。
日記ゆえ、読みにくさは許して欲しい。もし書き溜めてることができたら、まとまった文章に編集しようと思う。
第2回松本家展はリサーチに基づいた展示であった。縄文遺跡の発掘調査書を読み込んだり、松本家のご家族の方々にお話を伺ったり、かげ広谷地の集落に関する調査をまずは行った。この調査が起点であることは間違いない。
しかし、リサーチに忠実であるとは到底言えない作品になっていった。
1. 影絵劇を中心としたインスタレーション
最初にできた作品は影絵劇だった。松本家のご家族の聞き書きをもとに影絵劇を制作した。当日の展示では、松本家にゆかりのあるモノを配置した蔵の中で、影絵劇の映像を投影した。
インタビュー映像を投影する、昔の写真を投影するなど、同じ映像でも選択肢があった中で、影絵劇を選択した。言葉あるいは景色をそのまま映し出すのは鮮明すぎて避けたいという話を当時はしていた。
2. 松本家通信2022年夏季号
次にできた作品は「松本家通信2022年夏季号」であった。蔵に置いたモノたちと影絵劇の映像それぞれにつけたキャプションがこの冊子に掲載されている。
展示に関わる人たちみんなで、対象から自由に想像力を働かせた文章をキャプションとして書いた。例えば、次のような書き出しで始まる。
どれも対象に関連する内容であることは間違いない。しかし、歴史調査のテキストとしてはでたらめだ。内容の正確さよりも自分たち自身の言葉と想像力で書くことを大切にしようという話を当時はしていた。
3. 松本家架空日記
最後にできた作品は「松本家架空日記」であった。展示制作者も来訪者も一緒になって、松本家に関する架空の日記を書いて投稿する作品である。アプリから日記を投稿すると、会場にある電球が点灯し、アプリ上の日記にページが追加される。
松本家架空日記では、紀元前から遙か未来まで好きな日付で日記を書くことができる。インスタレーションを見て、キャプションを読んで、そこから想像を働かせて、展示会期中に様々な日記が投稿された。
仮構に向かっていくこと
インスタレーションからキャプション、そして架空日記へと、歴史調査から制作が始まった第2回松本家展の作品はフィクションになっていった。このように仮構に向かっていくことに、どのような意味があったのだろうか。
仮構に向かうに連れて得たものは、自分たちの言葉であったように思う。それが仮構だとしても、自分たちの言葉で松本家について語るようになっていった。
また、松本家展は住まれなくなった松本家の建築計画を考えることを目的に始まった展示である。そうであるから、仮構であった架空日記はいずれ建築計画を考える上での材料になっていくかもしれない。
そのように考えると、歴史調査から出発して、仮構に向かっていき、そこから建物に戻ってくる過程の中で、自分たちの言葉を掴み取っていく過程が第2回松本家展であったのではないだろうか。仮構を経由することで、自分たちの言葉でイエあるいはムラについて語ろうとしたのではないかと、展示を振り返る中で考えた。
これはおそらく次の文章で書いた内容と関連している。
さて、仮構の先で私たちはどこに向かうのだろうか。今はまだよくわからない。