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あぶくぶくぶく#1

タイムカプセル

久しぶりにギターをアンプに繋いで弾いてみた。
アンプの前に立てかけてあった小学校の卒アルが目に入る。徐に手に取って開いてみると、最初の方にある当時の校長先生の卒業に寄せての文章が目に留まった。

多分、ちゃんと読むのは初めてだと思う。アルバムを受け取った当時は写真のページや自分たちの文集のページばかりが気になって、そこばかり読んでいた。そして中学生なり高校生になりアルバムを開くこともない日々が過ぎ、10年前に同窓会を企画して日の目を見て以降はここに置かれたままだった。

校長先生は、先生らしく、「今ある恵まれた境遇に感謝し、これから二十歳ぐらいまでの間の人生で一番成長する時期にいろんな経験をして欲しい」というようなメッセージを書いてくださっていた。そして最後に先生の好きな言葉として「路傍の石」からの引用で締めくくられていた。

かんなん汝を玉にす

校長先生は当時、これから様々な経験をするであろう私たちの前途が、常に有望であることはないだろうという前提のもと、しんどい時にこそ励みになるこの言葉を送ってくれたのだなと、40数年の時を経てしみじみ思う。卒業してから今まで。いろいろあって今がある。だが艱難と言えるほどの苦労を自分自身は経験していない。他人の人生との比較は主観的に見れないからできないと思うが、それでも自分の周りの人達に比べれば私なんてまだまだ。だが大変な経験をしている人達は身近にもいる。そういう人を支えるのが自分の役割なのかもしれない。
当時この言葉を読んでもあまりピンと来なかったかもしれないが、こうして時を経た今見ると、その後ろにある重み、深さを立体的に感じることができる。本当の意味で、今、この言葉を受け取ったのかもしれない。タイムカプセルを開けたような気分になった。


支えるということ

運命と宿命の違いをあまり意識することはない日常だけれど、自分が置かれた立場や役割に時々モヤっとすることがある。以前はさほど気にならなかったし、今もどちらかといえば人の役に立てることに嬉しさを感じることの方が多いのだが、自分が身を削ってそれをしている時に、気楽に過ごしている家族を見ると、なんだかなぁという気分にならないと言えば嘘になる。
何のことか分かりにくいと思うので、ズバリ言うと、sibling(きょうだい)のことである。関係ないけどこの英語、姉弟でも兄妹でも兄弟でも姉妹でも使えるから便利。日本語だとこんな風に1単語で表現できないもんね。
閑話休題。私自身、家族の中で一番身動きが取れる状況なので、何かあると私が動くことになる。このこと自体は「動けるからありがたいんだ」と思うけれど、時々モヤっとするだけじゃなくしんどくなることもある。それが溜まってくると、一番言いたくない
「私ばっかり」
という言葉が出そうになる。そんな時は、自分は支える側にいるだけ幸せなんだと思い直すようにしてる。支えられる側は本当に辛いから。
「しんどいな」とかモヤっとする気持ちが浮かんでは、思い直して飲み込むという生活。きっと私だけじゃないと信じて、今日も飲み込んでいる。







【あぶくぶくぶく】
note1本書くほどでもないけれど、浮かんできた思いを忘れないように書き留めて行こうと思います。

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